三 円 薯

***Vermont Gold Coin***

 6個3円は高いか
 敗戦後の昭和21年3月末の東京銀座の焼け野原で、「男爵いも」と「紅丸」が混ざった種いもが5個で10円で売られていたそうです。
 青空市でのこの品質と値段に、道産子は驚いた。しかし明治38年に6個で3円もしたのがあった。北海道で1俵(60キロ)、およそ40銭の時代の話。昭和8年になってからでも米1俵が10円でしたから、いかに高価であったかがわかります。この高価ないもは、この品種の来歴は「Old Jersey Peachblow」の実生らしく、青森県農事試験場が、アメリカから輸入したものであったが、原名が「バーモント・ゴールド・コイン」と長いためもあって、「三円いも」と名づけて、普及に移つすことにしました。
 このいもは、丈が高い晩生種で、皮色が黄白、形が偏卵の大きないもでした。疫病などの病害には弱いが、味は甘く、休眠が長く、貯蔵しやすいものでした。
 外国の例では、第一次大戦に負けたドイツで、1923年秋に、1個が400万マルクもしていた。当時ドイツは、どんなことをしても払うことができない1,320億マルクもの賠償金を請求されていた。国をあげての返済の努力にもかかわらず、支払いが遅れたため、23年1月、フランスとベルギーは、賠償金の支払いが少し遅れたことを口実にして、ドイツ工業の中心部であるルール地方を占領した。このため、鉄道、石炭などの生産は、2割以下になってしまい、インフレがどんどん進行した。そして7月1日には、1ドルが16万マルク、翌月には100万マルクに下落した。当時、ドイツ国民は、リュックサック1杯のお金を背負って食糧品店の前に何時間も立っていたといいます。

白い花のジャガイモ農林1号

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