ポテトエッセイ第102話

ジャガイモからの連想【ジャガイモ博物館】

*** ジャガイモからの連想***

 「ジャガイモのような顔をしていますね」と、誰かに言われたら貴方はどう 感じますか。多くの人達、特に年輩者は、「よくまあ、この顔で」と侮辱され たと思うのではないでしょうか。
 ヘミングウェイの短編『キリマンジャロの雪』の一節に 
 「.....ふと立ち寄ったカフェでは、あのアメリカの詩人が、前にコー ヒーの皿を積み上げ、ジャガイモみたいな顔に、まぬけな表情をうかべて...」
 と言うのがあり、北 杜夫の『童女』という題のショートショートの中に も、
 「少女は村では赤ズキンと呼ばれていた。ジャガイモに似た顔立ちの伝わる この村では、近来こんな可愛らしい生れたことがない。」
 と書かれていました。英語でも、ポテト・ノウズとは魅力的ではない鼻のこ とを表し、ポテト・ヘッドとは頭の弱いことを言っています。さらに、ミート ・アンド・ポテト・マンとは、肉の取り合わせにはジャガイモしかないと思っ ているような、単純で面白味の欠ける真面目くさった人を言います。このよう に、一般的にジャガイモとかばれいしょと言えば、人を誉めるのに使われるこ とが少ないようです。
 ところで、北海道新聞に昔連載していた『人脈北海道』という欄で、NHKの 井川良久アナを「十勝の畑でよく実ったジャガイモの感じ」と評してしたこと を呼んだことがありました。また、千昌夫を(元)夫人のジョーンさんは、 「章夫は、プロポースの英語はもちろん、日本語だって訛っているイモにいち ゃん」と言っていました。
 この2例は、少し格が上がって、ふるさとの香りが豊かで、内に力をひそ め、個性的なことの代名詞につかっているのではないかと思われます。
 こんな例もあります。宮内庁大膳職主厨長(しゅちゅうちょう)であった秋 山徳蔵が『味』という本を処女出版たとき 吉川英治 が「この人はいつも土から掘りたての新ジャガのようだ」と評し、秋山さんが調子づいて2年後に『舌』という食べ物随筆集を出した時には、「だいぶ厚皮の下に芽を吹いて来た古薯だ」と評した。最初の本については、70歳になんなんとしていても、視点が新鮮でよい随筆を書いているから、新ジャガだと評したのでしょう。
 そこで、"ジャガイモ(ばれいしょ)"から受けるイメージを整理してみよう と、北海道にある私の研究室に出入りする方にお願いして、この言葉からすぐ 頭に浮かぶ言葉を聞かせてもらうことにしたことがありました。それは1977 (昭和52)年のことでした。
 当時の40代以上の年齢層は、男女とも「代用食」、「戦争」、「開拓」とい う言葉をあげる人が多かった。20代では、これらの言葉を含め、多様化してき ました。この若い世代から比較的多くあげてもらった言葉としては、「土」、 「百姓」、「素朴」、「故郷」などで、戦中派のあげた言葉のほかに、「牛 肉」、「洋食」、「男性」、「不格好」、「あほう」などもみられました。  頭に浮かぶ"言葉"をお願いしたのですが、「ポテトチップ」と答えた若者も 多かった。年輩者はジャガイモ(ばれいしょ、ごしょいも)を戦争体験を通じ てやや後ろ向きにとらえ、若者のほうはジャガイモのから受ける感じを率直に 表現していて、変化に富んでいました。性別の差は少なく、年齢の差が出てい ました。
 なお、ジャガイモの花は5月17日(一説がは6月13日)の誕生花になって いて、「慈悲(善行)」の意味をもっているのですが、アンケートには一つも 顔を出しませんでした。この日生まれた方は、ふるさとの香り豊かな顔をして いるかも知れないけど、おそらく個性的で、底の深い人だろうと勝手に想像し ています。
「ジャガイモ43話」北海道新聞 1978年刊


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