ジャガイモの出てくる 映 画  第41集

浅間和夫

411.『小さいおうち』
 2014年、邦画。 映画監督:山田洋二。
 2010年、『小さいおうち』として文藝春秋から出された中島京子の小説(写真)を映画化したものである。
 1936(昭和11)年、山形から出てきた純真な娘・布宮(ぬのみや)タキ(黒木華、晩年は倍賞千恵子)は、東京郊外に建つモダンな赤い三角屋根の小さな家で女中として働き始める。
 タキは昼夜問わず仕事に明け暮れ。お国なまりを出すまいという気持ちも加わり、言葉は少なげに推移する。食事においても原文48頁で、タキはナイフとフォークがどうしても苦手で、どこへ行ってもカレーライスを注文する。とあり、139頁では、久々の外食。わたしはカレーライス。心が晴れやかになる一日であった。
と記述されている。
 家の主人で玩具会社に勤める平井雅樹(片岡孝太郎)、その妻・時子(松たか子)、2人の5歳になる息子の恭一とともに穏やかな日々を送っている。昭和13年の正月の挨拶をきっかけに、夫の部下である板倉正治という青年が現れ、平井家に通うようになり、夫人の心が板倉へと傾いていく。時子の帯の模様が出かけたときと逆さになって帰ってくることからそれを確証する...。平井家の温かい生活と小さな秘密を描きいたもの。それから60年後、晩年のタキが大学ノートにつづった自叙伝を読んだタキの親類・荒井健史は、それまで秘められていた真実を知る。
 筆者は中島京子の時代考証に興味があった。すなわち、
 1872(明治5)年7月、北海道開拓使東京出張所のお雇い外国人の昼食に『タイスカレー(ライスカレー、rice and curry)、フライホテト(フライドポテト、揚げいも)』と載っており、1906(明治39)年10月一貫堂(東京外神田松富町21こと、現在の地名で、千代田区外神田4丁目6から13番地)が熱湯を以てドロドロに溶き 温き御飯にかけて食べる"ライスカレイの種"なるものを発売しているように、大正時代から「ライスカレー」という言葉が日常的に使用されており、この小説の時代の庶民もライスカレーと呼んでいたのではなかろうか。カレーライスが一般的に使われだしたのは、小説の時期よりもかなり後の高度経済成長時代ころからと思われる。女中と言う呼称がお手伝いさん、家政婦と変わっていったように。

412.『らんまん』
 2023年、NHK連続ドラマ。
 春らんまんの明治の世を天真らんまんに駆け抜け、天才植物学者へと成長する物語である。
 少年期の槙野万太郎(森優理斗、小林優仁)は、祖母・タキ(松坂慶子)、病床の、母(広末涼子)の愛のもと四国の酒屋蜂屋で育つ。新設の小学校に通い始めるが、授業がつまらないため、植物の研究に没頭しているうちに万太郎(神木隆之介)に東京行きのチャンスが生まれる。上野の博覧会会場で、後に伴侶となる寿恵子(浜辺美波)と出会い、さらに博物館では憧れの植物学者、野田基善(田辺誠一)と里中芳生(いとうせいこう)に出会い、大きな刺激を受ける。東京大学の植物学教室に出入りすることになる。
 一途に情熱的に突き進んだ主人公とその妻・寿恵子(浜辺美波)の波乱万丈な生涯を毎回載せる美しい草花の情景とともに描いて好評であった。  がんとなり、病院で抗がん剤を飲んでいる人の食べ物の嗜好が変わり、無性に粉吹きジャが食べたい、と家族にその差し入れを希求する事例に出会ったことがある。このドラマでは、2023年7月18日(火)の第16週が特に目に止まった。すなわち、
十徳長屋で妊娠3ケ月目に入った寿恵子は食欲を失い。寝床にいる。万太郎が食べられるものを探しているところに東大4年生の親友藤丸(前原瑞樹)が訪ねてくる。彼の義理の姉がつわりのとき、揚げいもばかり食べていたとし、ジャガイモの揚げ方を伝授。早速ふたりで、ジャガイモを輪切りにして、そのまま油に入れて揚げたいもを寿恵子にやると(写真)、箸を使ってつまんで食べ、『食べられます。美味しい!』と笑顔がみられる。ロケは九州産の肉の黄色く球の「デジマ」と思われるものを使い、これを棒状ではなく、厚めのポテトチップスのようにスライスして揚ている。勿論その後の妊娠時も揚げいもを食べていたことになっていた。
 牧野富太郎がジャガイモを食べたのは、1947年に鎌倉書房から刊行された『牧野植物随筆』によると結婚前の1880(明治13)年土佐の石鎚山下の黒川村で宿泊したところで、松露(しょうろ、キノコの一種)の形をして皮が黄白色のものを出された時である。その名を聴いたらコウボウイモ(弘法薯)と教えてくれたと言う。弘法大師のように有り難い食べ物の意味である。長崎か飛騨あたりから入っていたものであろう。
 今日ジャガイモは、馬鈴薯(バレイショ)とも呼ばれている。古くは1745年頃岐阜県飛騨では代官にちなみ“善太夫いも”、1777年頃山梨県甲州で代官中井清太夫にちなみ“せいだいも”、1786年探検家最上徳内が北海道に持ち込んだ時は“五升芋”と呼ぶなど、多様であった。これらのいもは1808年江戸時代の本草学者小野蘭山は「耋莚小犢(てつえんしょうとく)」という本のなかで中国の“馬鈴薯”のことであるとした。ついで天保の凶作からの窮乏を救おうとした江戸後期の学者高野長英も1836(天保7)年の著書『二物考』で“馬鈴薯”を使っている。
 これに対し1825年本草学者栗本丹州はジャガイモと馬鈴薯は別物と主張し、本ドラマの主人公・日本植物分類学の父牧野富太郎(1862−1957)も、その著書『植物一日一題』(1953、東洋書館)などでおよそ「馬をみて鹿だという人のことを馬鹿と言う。ジャガイモをみて、馬鈴薯だという人も失礼ながら馬鹿というよりほかない」などと主張した。以後大別すると、日本植物学会、園芸学会、日本土壌微生物学会ではジャガイモを使い、一方日本育種学会、日本作物学会、日本植物防疫協会ではバレイショを使っていっており、現在の農水省、北海道庁、長崎県庁などの官庁、市場、農協でも馬鈴薯(ばれいしょ)が広く使われ、筆者もかっては馬鈴しょ科長であった。

413.『イントゥ・ザ・ワイルド』 (原題:Into the Wild)
 2007年アメリカ映画。監督:ショーン・ペン。
 原作は、1992年に青年が放浪の末にアラスカで死体で発見された事件を描い た1996年のジョン・クラカワーの作品(佐宗鈴夫訳『荒野へ』集英社.1997)を 映画化したもの。
 裕福な家庭に育った、青年クリス(エミール・ハーシュ)は、両親に逆ら い、あり金をすべてを慈善団体に寄付し、世界の真理を求めアラスカへと旅に 出る。 ヒッチハイクでヒッピーの夫婦や身寄りのいないロン(ハル・ホルブ ルック)と会ったり、運転手から長靴をもらったりと様々な人と出会いながら 旅をする。食べるためにリスを撃ち。あてどなく歩いていると、崖の上に生活 の痕跡のある不思議なバスを見つける。彼はそのバスの中で暮らすことにす る。しかし食料は徐々に減っていく。
 空腹のあまり銃を乱射したあと、食べられるリス、カモ、ライチョウなどを 探す。種子にしようとしたジャガイモも食べてしまう。あるWEBでは野生ジャ ガイモを食べたとあったが、北米には野生ジャガイモは生えていない。映画は 牧野富太郎が馬鈴薯と呼んだホドイモに近いアメリカホドイモApiosだと思っ てヘディサム・マッケンジィ(ワイルド・スイートピー)の根を食べるシーンを 見せることになる。ホドイモとは違って、根には毒がある。本には麻痺、消化 不良などの症状があり、治療しないと飢餓に陥って死亡すると書いてある。こ うしてバス生活100日を過ぎると、やってきた熊が食べようとしないほど衰弱 してしまう。
 衰弱しきったクリスは“Happiness is only real when shared”(幸福が現 実となるのはそれを誰かと分かち合った時だ)と日記に書き込み、クリストフ ァー・ジョンソン・マッカンドレスと本名を書いたプラカードをバスに掲げて 旅立つことになる。二週間後、猟師が彼の遺体を見つけ、妹カリーンが遺灰を 持ち帰った。未現像のフィルムを焼くと、バスの前で笑うクリスの姿があっ た。

414.『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』
 1976年、邦画。監督:山田洋次。
 『男はつらいよ』シリーズの17作目。とらやで内輪喧嘩をして、家を飛び出す。憂さを晴らそうと上野駅前の焼き鳥屋で飲んでいたところ、みすぼらしい老人(宇野重吉、写真上左)が無銭飲食を店員にとがめられるのを目にする。かわいそうに思って支払いを肩代わりし、家に連れて帰る。老人は宿屋と間違え、おいちゃんたちに横柄な態度を取り、顰蹙(ひんしゅく)を買う。寅次郎に説教された老人は、「お詫びだ」と言って紙に筆で落書きしたかのような絵を渡す。神保町の古本屋で、この老人は日本画壇を代表する池ノ内青観画伯と判明する...。
 これで思い出すのは、ジャガイモ顔の男のこと。浜田光夫が昔コンビを組んでいた吉永小百合から『わたしの理想とする男性は、年が上で、宇野重吉さんのようなジャガイモみたいな顔の人が好き』言われ、彼女を諦めその後は仕事に没頭することができたという話。また笹野高史がある講演で、15歳のころに憧れの渥美清の映画を見て、この人が出来るのならジャガイモみたいな自分でもできるかもと考えたことを語っていた。さらに日曜日の夕方の長寿テレビ番組“笑点”に出ている三遊亭小遊三が、ある対談で、師匠の三遊亭遊三から『お前は、しっかり弟子を育て、立派な真打にしている。自身も、落語での活躍はもちろん、大喜利レギュラーも40年近いし。で、自称《落語界のアラン・ドロン》だって? ジャガイモみたいな顔して(笑)。まあ、下着泥棒や女湯ののぞきとか、バカなネタを話していても、イヤな気にさせないし、どこか色気があるんだね。』といったことが知られている。
 この他の世に言う、ジャガイモみたいな人を探すと、TBS系列の時代劇『水戸黄門』で《じゃがいも黄門 》の名で親しまれた小沢栄太郎、アランドロンの「太陽はひとりぽっち」のオデッセイのクルーの一人マットシ・デイモンは「ディカプリオとジャガイモを足して2で割ったような」と言われた。映画『ダイ・ハード』に出てくるブルース・ウィリスは娘ルーマーから、「私のあごが父に似て嫌いだったの。母(エマ・ヘミング)は美しいのに、私は『ジャガイモ』って呼ばれているのよ」と語っていた。このようにジャガイモには、格好悪い、ダサイ、粗野、田舎者のイメージがあるようだ。ジャガイモの出てくる映画を探すと、戦争絡みが多い。これからも推定されるように、かっては戦争、代用食、忍耐強い、根気、お袋の味、素朴などの意味が強かったと記憶する。
(写真は、宇野重吉、三遊亭小遊三、笹野高史、ブルース・ウィリス)
参考文献
日色ともゑ 1988.じゃがいも父さん−宇野重吉一座 最後の旅行記.

415.『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』
  1978年、邦画。監督:山田洋次。
 九州の熊本県まで来た寅次郎(渥美清)は、黒川温泉の西にある田の原温泉で失恋青年・留吉(武田鉄矢)を見つけ意気投合する、留吉は彼を立派な先生と誤解し、家族とともに尊敬する。  田舎で格好つけていたが、稼ぎは少なく、妹さくらに、宿賃を貸してくれないかと速達を送って、はるばる熊本までさくらに迎えに来てもらう。留吉がジープで迎えにでる。温泉まで連れてくるところで手前に赤紫のジャガイモが花が見られた(写真)。猫の額ほどの畑だが、よく咲いていた。ここは蛍が有名なところと言う。
 妹に迷惑かけた反省から、柴又に帰り、暫く真面目にはたらく。社長(太宰久雄)がお見合い話を持ってくるのだが、松竹歌劇団(SKD)の花形スター・紅奈々子(木の実ナナ)が訪ねてくる。
「農村の将来を考えるシンポジウム」に参加するために上京した留吉がレビューを観覧したいということになり一緒に出かけ、奈々子と親しくなる。
しかし、奈々子には10年交際をしていたという劇場の照明担当の男・隆(竜雷太)がいた。いろいろあったが奈々子は、『夏のおどり』公演で正式に引退することを座長に伝え、自分のために作られた『道』をソロで歌う。歌劇団に入ってから現在までの道のりを歌詞に込めた歌である。憧れて入った世界から離れることへの迷いが出ていたが、共演者に励まされ、最後の舞台に立つ。この浅草の国際劇場では、さくらも観劇していた。実は後方で誰にも気づかれないように寅次郎も観覧していたが、途中で退席。これにてこの恋も終りとなり、寅さんは熊本に向かう。そこには東京で踊り子に振られた留吉がおり、またも女にふられていた。

416.『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』 (原題:Falstaff Chimes at Midnight)
 1966年、スペイン・スイス合作映画。監督:オーソン・ウェルズ。
 シェイクスピア(1564−1616)の作品『ヘンリー四世』から『ウィンザーの陽気な女房たち』まで作品中のフォルスタッフという創作人物を監督自ら演じ、圧縮して見せてくれた映画である。
 フォルスタッフは戯曲の中の人物であるが、50歳になった監督にぴったりの太った老騎士であり(写真)、臆病、大酒飲み、強欲、狡猾、好色だが、機知に富み、時として深遠な警句を吐く憎めないところがあった。『ヘンリー四世』ではハル王子(後のヘンリー五世)の放蕩仲間として登場するが、最後にそのハル王子に追放されてしまう。エリザベス女王がその『ヘンリー四世』に登場するフォルスタッフ(Sir John Falstaff)を気に入り、“恋するフォルスタッフ”を描くよう御注文する。急いで書いたものが『ウィンザーの陽気な女房たち』(The Merry Wives of Windsor)であり、その出版は1602年であるが、書かれたのは1597年より前だと考えられている。
 筆者が関心があるのは、その第五幕 第五場
 森でフォルスタッフが猟師の姿に扮して、登場する。そこにフォードの妻が現れる。そこで、
Let the sky rain potatoes.(ポテトの雨を降らせろ)
などと言いながら彼女を抱擁する。
 この場面のpotatoesとはジャガイモかサツマイモかと言うことに関心があった。一時ジャガイモと訳された時期があったが、スミスL.E.の著書により、当時催淫の効果があると考えられていたsweet potatoことサツマイモと判明した。西インド諸島ではサツマイモをbatataとかpadadaとか呼んでおり、これを導入していたヨーロッパでは“バタータス”とかそれが訛った“ポテト”と呼んでいたのである。
なお、ジャガイモは南米アンデスの高地で栽培されていたため、数10年遅れてヨーロッパに導入された。先輩のいもと区別して“アイルランド・イモ(Irish potato)”と呼ばれていた。1740年の飢饉がきっかけで、プロイセンのフリードリッヒ大王がジャガイモを奨励したのは有名で、後々各国にいい影響を与えた。なお、sweet potatoが初めて辞典に記録されたのは1775年版のオックスフォード英語辞典であるとされ、この時期のルイ15世の頃のパリでも媚薬の効果あるとして一時人気がでたことがあったと言う。
参考文献
シェークスピア 三神勲・西川正身訳. 1951.ウィンザーの陽気な女房たち. 河出書房.

417.『トレインスポッティング』 (原題:Trainspotting)
 1996年、イギリス映画。監督:ダニー・ボイル。
 アーヴィン・ウェルシュの同名小説を映画化したもの。原題Trainspottingの意味は"(鉄道マニアが)列車を観察[撮影]すること"もあるが、80年代のイギリスの口語の言葉では、その意味は“些細なことに夢中になる”ことである。 それが麻薬でも"ジャガイモと映画"であってもかまわないようだ。
 主人公であるレントン(ユアン・マクレガー)はスコットランド・エディンバラに住むヘロイン中毒の若い男性である。007 などの映画オタクでヘロイン中毒のシック・ボーイ(ジョニー・リー・ミラー)、同じくヘロイン中毒で人がいいスパッド(ユエン・ブレムナー)、 麻薬はやらないが非常に暴力的なベグビー(ロバート・カーライル)、そしてスポーツ万能で彼女がいるトミーという友達がいる。
 ジャガイモ絡みでは、ロンドンの不動産仲介屋に勤めるレントンのところにシック・ホーイとアルコール中毒のベグビーが来てフィッシュ&チップスをたかられるシーンがある(写真)。
 ある日レントン、シック・ボーイ、スパッドは麻薬をやめるよう試みる。レントンはトミーと彼の恋人の自家製ポルノビデオを偽って借りてくる。それを見たレントンは異性との関係が自分の人生には足りてないと感じる。クラブに出かけたレントンはダイアンに一目惚れして声をかける。一夜を過ごした翌朝彼女がまだ学生と知り、レントンは犯罪者となるのを恐れて彼女と距離をとる。一方でスパッドは恋人との最初の夜で失態を犯す。
 そうしたうまくいかない現実への対応として彼らは再び麻薬を使い始める。 また、トミーはレントンがビデオを借りたことがきっかけとなって恋人と別れた。失恋をきっかけにトミーは麻薬を使い始める。 ある日レントンたちが麻薬に夢中になっている間に麻薬仲間アリソンの幼い子供が死んでしまった。 これ以降、レントン、シック・ボーイ、スパッドは麻薬に以前よりのめりこみ、麻薬のためには万引きなどの犯罪も躊躇しなくなる。 そして万引きが原因でレントンとスパッドは警察に捕まり、薬物使用に関してレントンは執行猶予付きの判決、スパッドは6か月の実刑となる。

418.『人生は六十一から』 (英題:Life is from 61 years old(1941))
 1941年、邦画。監督: 齋藤寅次郎。
 喜劇の神様と呼ばれた齋藤寅次郎監督が高齢者なら思い出していただける横山エンタツ・花菱アチャコのチームがタッグを組んだモノ黒のどたばたナンセンス・コメディであり、発明大好きな男が還暦を迎えるまでを描くもの。
 前半、横山金助(エンタツ)は、家族を幸せにするために、苦節を重ねて発明に夢中になっている。しかし、一度も成功したためしがなく、妻・かね(英百合子)は仕立物の内職をして糊口(ここう)を凌(しの)いでいる。ある日、白衣を着て、ロイド眼鏡を掛て頑張る金助が、「ついに成功した!」と妻に声をかける。固形ガソリンが24時間燃え続けていると大喜び。これを耳にしてかねは涙を流して喜んでいるかと思いきや、
「あんたが、わけのわからない発明に凝って、ちっとも働いてくれないから、情けなくて泣いているんです。ねえ、正気になって、子供のことを考えて、真面目に働いてくださいよ。」と
 金助は怯(ひる)まずに「国家的大発明」の固形ガソリンを「危険」と描いてあるトランクに詰めて、会社に売り込みに行こうとする。「帰りにうーんと肉買って来るからね、ネギでも切っときな」と、息子・義雄に飛行機、娘・春子にお人形をお土産に買ってくると、いそいそと出かけていく。
早速とある自動車会社で、新案の固形ガソリンのプレゼンテーションをす る。「...というようなわけでございまして、長年研究に研究を重ねて、やっと完成を見たのであります。これは世界的な発明でございまして、名付けまして"固形ガソリン"。原料はジャガイモの皮でございます。このように白い球であり、携帯にも非常に便利でございます。」と得意げに説明する(写真)。 外に出てバスの後部エンジンに二個投入する。蓋を閉めた途端に爆発音!次のカットではバスが大炎上。金助は? と会社のスタッフが空を見上げると、金助はパラシュートでふわりふわりと空に浮いている...。
 最初に五輪マークと『民族の祭典』の看板が出てくるが、1940年予定していた東京五輪が消えた後の皮肉な作品である。

419.『いのちの朝』 (英題:Dawn of a Canvas)
 1961年、邦画。監督:阿部豊。
田舎(武蔵野という設定らしい)で40年間自分の書きたいものだけを自分を磨きながら絵を描いている孤高の吉元小次郎(宇野重吉)がいる。描くのはもっぱら風景かジャガイモ。ジャガイモ以外は筆を握りたくなるほどの魅力がないのか。風景も大きなキャンバスには描かないのか書けないのか、このため、絵は全く売れず、家は困窮している。娘の冬子(芦川いづみ)の嫁入り資金も出せずに、当時としては24歳で独身のままという設定であり、娘はそんな家を助けるために保険会社で働き始める。
 男の昔からの友人画家村野は派手に大きな絵ばかり描いて売れっ子になっている。その友人が「100号の大きなキャンバスに描いてみろよ」とアドバイスしても頑固な小次郎は「ジャガイモを描くこともまだまだなので…」と断る。父を慕っている冬子がとうとう「大きなキャンバス絵画のモデルになる」からと肖像画を描くよう進言する。やっと乗り気になった小次郎が描き始め、自信を取戻した小次郎の冬子像は完成する。その素晴らしい出来栄えに、批評家は讃辞を惜しまなかった。冬子が待望する父の個展も開かれ、外国行っていた沢辺と冬子との結婚も実現しそうになる...。
 原作は武者小路実篤の『暁』である。武者小路の『真理先生』では石ばかり描いていたが、今回はジャガイモや近所の自然のみ描いているという設定。モノ黒映画であり、阿部豊の最後の作品となったもの。映画のタイトルは、絵画の作品名である。当時のアイドル芦川つずみの魅力を十分に堪能できる作品である。白のブラウスにタイトスカートという洋装も、浴衣姿の和装も、彼女の清楚さを際立たせるのに十分で、よく似合っている。厳しい父親に泣かされながらも、健気に頑張る姿も美しい。家族間で「ありがとう」が言える武者小路実篤らしきホームドラマである。

420.『吾輩は猫である』
 1936年、邦画。監督:山本嘉次郎。
 原作は、夏目漱石の長編小説であり、処女小説である。1905年(明治38年)1月、『ホトトギス』にて発表されたもので知られる。市川崑監督のもの(1975)もその後つくられている。
 産まれて間もなく捨てられた猫の「吾輩」は行く当てもなく彷徨っていたところを、中学の英語教師珍野苦沙弥先生(丸山定夫)の家に拾われて一命を取り留めたが、御存知のように名前はない。苦沙弥先生の日常と、書斎に集まる美学者迷亭(徳川夢声)、理学者水島寒月(北沢彪)、哲学者東風らといった明治の知識人たちの生活態度や思考を飼い猫の目を通して、ユーモアに満ちたエピソードとして描いた作品。細君(英百合子)を含めた人間の生態を鋭く観察したり、猫ながら古今東西の文芸に通じており哲学的な思索にふけったりする。人間の内心を読むこともできる。隣宅の雌猫、三毛子に恋心を抱くが失恋を味わう。最後は飲み残しのビールに酔い、水甕に落ちて出られぬまま溺れ死ぬ。漱石の痛烈な文明批評・社会批判が表れている風刺小説を映画化した。
 これを取り上げたのは、現在わが国で広く使われている『シチュー』という言葉を最初に活字にしていたためである。肉や野菜をとろ火で煮込んだ料理を言うため、その歴史は非常に古い。しかし、ウィキペディアによると、シチュー(stew、ラグー)の料理としての確立は、16世紀後半から17世紀前半のフランスにおいてとされる。
1871(明治4)年、東京の九段にあったレストラン『南海亭』のメニュー(ちらし)に「シチウ(牛・鳥うまに)」と載ったのが本邦初らしく、外明治初期には、『スティユ』とか『シチー』とか呼ばれていたようである。明治中頃までにビーフシチューはレストランのメニューに普及。明治末期にはシチューのレシピが上流階級向けの婦人雑誌に掲載されるようになり、昭和に入ると都会の少し「モダン」な家庭では、かなり一般的に普及していたらしい。


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