ポテトエッセイ第8話
近年のジャガイモの値段は、全国の栽培面積の過半数を占めている北海道の作付け面積がおよそ6万ヘクタールと計画的に生産されているため、変動が少ない。
敗戦後(昭和21年3月末)の東京銀座の焼野原では「男爵薯」と「紅丸」が混じった種イモが五個で100円で売られていたそうです。
青空市でのこの品質と値段に道産子は驚かされましたが、明治38年に6個で3円もしたものが日本にあったのです。これは北海道で1俵(60kg)およそ40銭の時代の話です。この高価なイモは、青森県農事試験場がアメリカから輸入したものでしたが、原名が「Vermont Gold Coin」と長いためもあり、その名を「三円薯」*と名づけて、普及に移しました。昭和8年で米1俵が10円でしたから、明治としてはどんなに高かったか想像がつきましょう。【*青森県では「オコッペいもっこ」と言う】
【三円薯。写真提供は上北農場】
大正5年(1916)に青森県の奨励品種になり、昭和11(1936)年には青森県(特に上北、下北、三戸)を中心に全国で7,219ha作付されていましたが、朝鮮戦争勃発時に、米軍の特別需要として国産のジャガイモが調達された際に、輪腐病の発生という販売上の事故が続いたことから、一時消滅に向かいました。
平成になって、青森県大間町で農家が自家用に作り続けていた「オコッペいも」(大間町奥戸(オコッペ)で主に栽培されていたことによる)が「三円薯」であることが確認され、地域の特産品として再び生産・販売されるようになりました。平成12年(2000)に青森県で29ha作付されています。
このイモは、丈が高い晩生種で花色は白。皮色が黄白、形が偏球〜偏卵で、大きなものでした。病害には弱いが、煮て食べると甘く、貯蔵が容易です。
鈴木茂.“青森県における馬鈴薯について”.いも類振興情報.64,11-15(2000)
【アメリカでは大きくなる『ラシット・バーバンク』】
高いジャガイモの例を外国から拾ってみますと、第一次大戦に負けたドイツで、1923年秋に、1個がなんと400万マルクもしました。どんなことをしても払うことができない1,320億マルクもの賠償金を請求されたドイツが国をあげて返済の努力をしました。しかし1923年1月、フランスとベルギーは、賠償金の支払いが少し遅れたことを口実にして、ドイツ工業の中心部、ルール地方を占領しました。このため、鉄道、石炭などの生産は、2割以下になってしまい、インフレがどんどん進行しました。ブラジルなどもインフレで苦しんでいるようですが、当時ドイツの国民は、リュック一杯のお金を背負って食料品店の前に立たなければなりませんでした。