ポテトエッセイ第52話

ルーツ・ジャガイモと出会ったインディオ【ジャガイモ博物館】
  ジャガイモのふるさと
 この地球に塊茎(おいも)をつける野生の祖先種が出現したのは7000万年前と言われています。その後中央アンデス地方に今のジャガイモの祖先になる野生種が出現しました。そしてルチカ渓谷の洞窟の中でジャガイモでん粉が見つかったことから紀元前8000年前にインディオがその近くからジャガイモを採取してきていたこも判っています。そのころのジャガイモはアルカロイドを多く含んでいたので毒抜きを学習した。
 ジャガイモの発生地を知るには、いろいろなジャガイモ類が自生しているところを探せば見当がつきます。人類が改良を加えていないジャガイモ類の分布は、北米ネブラスカ(ロッキー山脈)からメキシコ、中米諸国を経て、チリ南部の南緯四七度にわたる西部に広くみられ、その分布高度も海岸沿いの低地から4,500mの高地に及んでいます。
 そして最も変化に富むジャガイモ類が見られるのは、中央メキシコの高原とペルー・ボリビア地域(特にチチカカ湖周辺)からアルゼンチン北西部にわたる高地であり、ついでチリ南部のチロエ島及びその近辺です。
 ジャガイモの先祖は、古く先史時代よりこのような広大な地域に自生していた野生種であったのです。つまり、南米の先住民族が紀元前2〜4,000年前にソラヌム・ステノトヌム*と言う近縁種を選んで植えたのが人類のジャガイモつくり(栽培)の始まりとされています。*Solanum stenotomum 2倍体種
 このステノトヌムから突然変異や選抜によってソラヌム・フレヤ*と言う種(しゅ)が生まれました。フレヤは、インデオの早熟性を意味する言葉フレハヤに由来していて、収穫したイモはほとんど休眠せずにすぐ芽を出します。以前のものに比べ、茎は太くなり、イモは丸みを帯びてきてました。両者はチチカカ湖周辺やペルー、ボリビアの高地に分布しています。*S. phureja 2倍体種「インカのめざめ」はこのDNAを持っています。
チチカカ湖。手前はキノアの畑。(坂口進氏による)
 さらに紀元前500年ころとなり、現在のジャガイモにごく近いソラヌム・アンデゲナ亜種*が生じました。この原始的ジャガイモは休眠を持つようになった外、染色体数が倍の4倍体となり、収量が高まってきました。しかし、まだ短日にならないと、イモができないという性質を持っていました。*S. andigena 4倍体種、収量多い
 このアンデゲナ亜種から、インデオ達によって、夏の長日下でも塊茎(イモ)を形成でき、目(くぼみ)が浅く、より大形の塊茎をつけ、茎がいっそう太く、各部の着色が薄く、子イモが親イモの近くにまとまって着くものへと選抜が繰り返えされ、ツベロスム亜種(狭義のジャガイモ)*が誕生しました。これで高緯度の欧州や北海道でも栽培が容易になりました。*S. tuberosum 4倍体種、現在の品種の多くはこれ
 ペルーを中心として栄えたインカ帝国時代、このジャガイモはトウモロコシと並んで重要な作物となり、リャーマの干し肉とともに大切な栄養源の一つになっていきました。そのころどんなジャガイモを栽培し、食べていたかは、後ほど述べるチューニョというジャガイモの乾燥品や、ペルー太平洋岸のチンボテあたりの古墳から出てくるジャガイモの型をしたつぼや水差しなどから推定されています。



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