(1)来 歴
1877(明治10)年、北海道開拓使札幌官園はアメリカより「アーリー・ローズEarly Rose」,「雪片Snow Flake」など36品種を導入しましたが、そのなかに後日「蝦夷錦」と呼ばれることになる「グリーン・マウンテンGreen Mountain」をも含んでいました。これが羊蹄山ろくの倶知安地方に明治末期から除々に普及していきました。これには倶知安町樺山の精農柳原寅蔵さんを中心に行われた種いもの保存によるところが大きい。大正時代には「蝦夷富士薯」、「柳原薯」の外、地名から「樺山薯」、「仁木薯」などとも呼ばれて、作付が伸びていました。
1927(昭和2)年に至り、後志農産物出荷組合が名称を「蝦夷錦」に統一しました。当時としては豊産性のものであり、肉質はやや粘質で、「男爵薯」に比べて煮え難いのですが、食味が良かったので、1928(昭和3)年、「男爵薯」や「メークイン」と共に北海道の優良品種に決まりました。その後もしだいに栽培面積が増え、1938(昭和13)年には9,000ha(道内作付の16%に相当)にも達し、種いも用、本州・朝鮮・旧満州への移出用、澱粉原料用などとして広く栽培されました。
昭和13年の多収品種「紅丸」の出現以降、作付は減少を続け、第二次大戦後にはほとんど姿を消しました。「蝦夷錦」の普及保存に努めた柳原さんは、その功績が認められ、昭和37年に我孫子賞を受賞しました。
(2)特 性
この品種の草丈は中ぐらい、葉色は淡く、小葉は大きく、花は白い。いもの皮色は「農林1号」同様の白黄色、形は長卵でやや角張り、大きさは大です。目の数は中ぐらいであり、その深さはやや深い。
休眠が極く長いため、貯蔵は容易です。還元糖含有が高く、油で揚げる料理にはあまり向きませんが、煮物や焼薯用に好適しています。
道外でも古くから広く細細と栽培され、熊本県の「金時薯」、埼玉県の「中津川イモ(大滝いも)」(赤)、群馬県上野村の「赤芋」、群馬県神流町の「赤いも」、山梨県の「おちあいいも」、長野県の「下栗芋」(赤)、静岡県の「赤じゃがた」、徳島県の「祖谷いも(ごうしゅいも、源平いも)」(赤)、愛媛県の「地芋」(赤)、宮崎県の「しょうのじゅ」などの在来種も元をただせば同じものと言われています。
熟性は中生の晩で、「男爵薯」より草丈が高く、姿勢が直立し、分枝は多い。茎は緑に濃赤色が分布しています。葉形は楕円形で濃緑、花は赤紫色で先が白い。
塊茎は楕円形で、その色は濃紅。表皮は滑、目の深さ及びその数は中位。粒揃いはやや良。澱粉価は「トヨシロ」並ないしやや高いが、昔の品種としては高く、収量もやや高かったので澱粉用として各地で栽培されていた。食味は、「紅丸」同様、低温下に貯蔵すると甘みを増していきます。澱粉が多く、粘質なため、芋餅には最適とされ、煮たいもを棒で練っていると木鉢ごと持ち上がった、などの逸話があるほど。