「宮本武蔵」、「新・平家物語」などで知られる小説家吉川英治の父は一緒に設立した人との裁判に負け、刑務所に入れられたりした。母は、女学校を卒業後、国学者宅に見習いに出るなど教養豊かな女性らしかった。家政婦、店員、工員、船具工職人、給仕などあらゆる職について一家を支えました。英治も小学校を中退し、小僧奉公に出ました。店員、給仕などで、母を助けた。
ある晩のこと、その母が台所で放心していました。米はもちろん食べる物が尽きてしまったのでした。それを見た少年英治は、生きるため他所の『ジャガイモ畑』にわけ入って、ジャガイモを掘りだしてきた。... これは、「忘れ残りの記」のくだり。畑の向こうにには、希望したけど貧乏のため入れなかった県立一中の校舎があった。彼の川柳に、
『貧しさもあまりのはては笑い合い』もあるほど。
直木賞受賞作家野坂昭如の文藝春秋より刊行した『アメリカひじき・火垂るの墓』から推察すると、彼自身戦中から戦後にかけて食料に困窮し、妹2人を失い荼毘にふしたりしていることから、小説のようにジャガイモや野菜を盗んできた体験があったものと思います。
以下は私たち育種家にとって子どもとも言うべきジャガイモが遭遇したいも泥棒の話。
ジャガイモの改良に従事していた頃、夏の朝は、白衣はほとんど着なかったが、いも畑の回診と決っていました。
ある日、試験場庁舎から一番遠くの畑まで来て、異常事態を直感しました。
畑の一角が鳴門の渦潮を連想させるように乱れているのです。茎が倒され、抜かれ、新ジャガが飛散していました。野良犬軍団の悪ふざけか、と思いながら近寄ってみてさらに驚きました。なんと男性用パンツも捨てられているのです。
じっくり検証してみたところ、優れたジャガイモの種を求めて、私どもが品種改良中の畑に入った泥棒の仕業と判明しました。しかしその後『コナフブキ』になる『根育19号』の育種家種子は大丈夫でした。
それまで近所の吉川英治の母もどきが、朝食のワカメ汁の具にするのか、新ジャガを求めて、さぐり掘りに来たこともありました。しかし、その日のものは有望な系統を求めての本格的浸入とみうけられました。
「盗まれるほど優れたいもをつくろう」、と仲間と頑張ってきた効果がでた!のです。しかし、何故パンツまで脱ぐ必要があったのでしょうか。
早速仲間(イモダチ)と検証・論議した結果、次の結論に達しました。
2枚重ねてはいてきて仕事にかかり、汚れた外側の1枚を捨てて帰ったものであろう、と。
書き遅れて申しわけありませんが、近年アメリカ同様ズボンをパンツと言うことが多いですね。
追記:大巧社刊 福井県丸岡町編の「日本一短い「母」への手紙」(一筆啓上)に次のようなものも載っていました。
『荷物届きました。
でも「パンツ」とは「ズボン」の事ですよ。
ガマンします。』.....佐々木司さんの手紙
(元道立根釧農試馬鈴しょ科長 浅間和夫)