ポテトエッセイ第21話

  梅毒とジャガイモ【ジャガイモ博物館】


特定地域にあった食べ物などが世界各地に伝わって行く速さを比べるのも面白いものです。
 マルコポーロの『東方見聞録』によって刺激されたコロンブスが、黄金を求めて大西洋を横断し、1492年に西インド諸島を発見して以来、征服者、探検家、あるいは移民などが続々と新世界を目指しました。
 この結果、多くの植物が新世界からヨーロッパへ持ち込まれました。その中の根菜類としては、ジャガイモ、サツマイモ、タピオカイモ、ヤムイモなど、果実類としては、トマト、パパイヤ、パイナップル、イチゴなど。そのほかカボチャ、トウモロコシ、トウガラシ、コカ、ナンキンマメもありました。
 これらの中では、ジャガイモが最高の贈物であったと言えましょう。
 これらの大部分は、今日私どもの日常生活に不可欠なものとなっているのは御存知の通りです。しかし、新大陸から入ったものとは気がつかないことが多いでしょう。たとえば、トマトはヨーロッパ、ナンキンマメは中国生まれと思われることが多いのです。動物では、七面鳥が新大陸から入っており、タバコや梅毒も入ってきています。
 梅毒は、中米ハイチ島あたりの原住民の一種の風土病であったと言われています。これが北欧にもたらしたのはバイキングとの説もありまが、本格的な影響を与えたのはコロンブス一行であって、彼らによってヨーロッパに持ち込まれ、1493年にはバルセロナに流行らせた。フランスのイタリア遠征に参加したスペイン兵が、ヨーロッパに広めると同時に、大航海時代の船乗りたちによってインドからマレーシアへと波及し、バスコ・ダ・ガマの一行にも助けられ?、和冦と呼ばれる海賊たちが南の島で感染し、わが国には永正九年(1512年)に入ってきたらしい。ポルトガル人が初めてわが国へやってきたのは天文10年(1541年)ですから、梅毒は西洋人より一足先にわが国へやってきたわけになります。つまり、梅毒はコロンブス後わずか20年で日本にきたのですが、ジャガイモでは5,60年もかかってもたらされました。ずいぶん遠回りしたことになります。日本に入って来た時代を作物間で比べますと、カボチャやトマトはジャガイモより早く、サツマイモは遅れてやってきています。

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