ポテトエッセイ第24話

ジャガイモの紙【ジャガイモ博物館】

 ソバの生産日本1として知られる北海道の過疎の村・幌加内町で、地元資源の笹をパルプ化し、町おこしに役だてていますが、パルプは木材以外のいろいろなものからつくることができます。
 1940年(昭和15年)のヒットラーの誕生日、彼はある箱入りのものをプレゼントされました。さて、中身は何であろうと、中をあらためてみると、真新しい書簡用紙と封筒のレターセットでした。 このプレゼントの品は、なんとジャガイモ・パルプ(カルトッフェル・ホルツ)からつくった良質の紙だったのです。
 『わが国の技術水準は、世界最高である。2年間で工業化を達成してくれたことに賛辞を贈る』と、満足の様子でした。 このジャガイモ紙は、各種の色素でよく染色でき、しかも丈夫なのが特徴です。このため軍用通信紙に最適だったのです。しかしジャガイモの茎からパルプをつくるまでの間に、多くの技術的困難があり、当初は絶望視されていました。しかし、昭和13年ころからの緊迫した欧州事情を考え、また国内パルプの自給資源確立のために、ジャガイモの茎を活用し急いで工業化までもっていくよう命じていたのでした。
 度重なる失敗に屈しないで、ドイツは2年間の短日時で工業化を完成しました。そして、ジャガイモ産地のチューリンゲン新聞社で、ジャガイモ紙に印刷をしたのはもちろんのこと、一流雑誌、軍でも使用を開始しました。
 ジャガイモ紙の製造工程は、イモの収穫前に、まず茎葉を集めて、乾燥し、圧縮して針金でしばってから第1加工工場に送ります。そこで、まずチョッパ−で粉砕し、その後、レンガ状のペレットに圧縮して本工場に回しました。
 1haから、水分14,5%に乾燥した茎1tほど得られ、チューリンゲン地方で150万トン、ドイツ全土では300万トンのジャガイモの茎が得られる計算だったのです。
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サッチャー首相と
マダムタッソーにて