インディオの先祖は、アンデスにたどり着く前の、北米の南か少なくともメキシコに移住したころ、ジャガイモ類に出会い、それが食べれるものであることを知ったのです。それは今私どもが食べているものに比べ、小粒で、皮の色は赤や紫もあり、多様でした。南米北部では海岸を南下しましたが、赤道付近では山脈東部の谷合いから、もっと涼しい高原へと移住しました。そこで、先祖の見たものとは違うジャガイモ類を知ったのです。
花の色は、紫、青、赤紫などの外、少し遠いイモ仲間には黄色もありました。5陵の花弁の切込みは、今日見られるものより深く、絵に書いた星のようなものも見られました。草丈が低かったり、茎の色がナスの茎のように紫のものもありました。葉一枚を見ても、今の改良されたイモに比べ、小葉が疎に着くものが多くありました。通常のジャガイモでは、1つの葉が幾つかの小葉に分かれているのですが、柏の葉のように単葉に近いものや、多数の羽状の小葉に分かれているもさえありました。
アンデスには、東に東コルディラ山脈、西に西コルディラ・ネグラ山脈の2山系が平行して南北に走っています。両山系の間には、アルチプラン高原と呼ばれる富士山より高い地帯があります。この海抜4,000mの高原には多くの湖が点在しています。その代表的なものがペルーとボリビアの国境にあるチチカカ湖(位置南緯16度、標高3,812m、広さ四国の半分ほどの8,800平方km)と、南のウユニ湖です。今このチチカカ湖畔には、御存知のあの山高帽をかぶるアイマラ族が住んでいます。彼らは昔インカ帝国に平定された人びとの子孫なのです。
およそ1万年前にジャガイモ類を食べていたことは、紀元前8,000年と推定されるチルカ渓谷の洞くつからジャガイモのでん粉と思われるものが発見されたことから窺うことがでます。しかしまだ家の近くで栽培するところまでいかず、狩猟採集の生活がしばらく続いていました。食糧を求めて移動しながら、一時的に作物の栽培を始めたのは、紀元前4,000年ころになってからのようです。そしてさらに2,000年ほどしてから農耕生活が定着したのです。リャーマ(アメリカラクダ)やアルパカを家畜にしたのもこの時代でした。