ポテトエッセイ第51話

ジャガイモと出会ったインディオ【ジャガイモ博物館】

 【ペルーのクスコの北西マチュ ピチュMachu Picchu:写真提供:齊 惠子氏】
今から1万2千年ぐらい前の旧石器時代の終わりころ、東北アジアの人類モンゴロイド達は、当時氷河でつながっていたベーリング海峡を、マンモスを追いながらアメリカ新大陸へと移住して行きました。新大陸に入ってからは、アラスカ中央部からロッキー山脈の東側を通って、狩猟採集などの生活をしながら南へ南へと進みました。こうして、ベーリンジアが再び海に沈んだ1万年前ころには、南米の最南端にまでたどりついていました。

 インディオの先祖は、アンデスにたどり着く前の、北米の南か少なくともメキシコに移住したころ、ジャガイモ類に出会い、それが食べれるものであることを知ったのです。それは今私どもが食べているものに比べ、小粒で、皮の色は赤や紫もあり、多様でした。南米北部では海岸を南下しましたが、赤道付近では山脈東部の谷合いから、もっと涼しい高原へと移住しました。そこで、先祖の見たものとは違うジャガイモ類を知ったのです。

花の色は、紫、青、赤紫などの外、少し遠いイモ仲間には黄色もありました。5陵の花弁の切込みは、今日見られるものより深く、絵に書いた星のようなものも見られました。草丈が低かったり、茎の色がナスの茎のように紫のものもありました。葉一枚を見ても、今の改良されたイモに比べ、小葉が疎に着くものが多くありました。通常のジャガイモでは、1つの葉が幾つかの小葉に分かれているのですが、柏の葉のように単葉に近いものや、多数の羽状の小葉に分かれているもさえありました。

 アンデスには、東に東コルディラ山脈、西に西コルディラ・ネグラ山脈の2山系が平行して南北に走っています。両山系の間には、アルチプラン高原と呼ばれる富士山より高い地帯があります。この海抜4,000mの高原には多くの湖が点在しています。その代表的なものがペルーとボリビアの国境にあるチチカカ湖(位置南緯16度、標高3,812m、広さ四国の半分ほどの8,800平方km)と、南のウユニ湖です。今このチチカカ湖畔には、御存知のあの山高帽をかぶるアイマラ族が住んでいます。彼らは昔インカ帝国に平定された人びとの子孫なのです。

 およそ1万年前にジャガイモ類を食べていたことは、紀元前8,000年と推定されるチルカ渓谷の洞くつからジャガイモのでん粉と思われるものが発見されたことから窺うことがでます。しかしまだ家の近くで栽培するところまでいかず、狩猟採集の生活がしばらく続いていました。食糧を求めて移動しながら、一時的に作物の栽培を始めたのは、紀元前4,000年ころになってからのようです。そしてさらに2,000年ほどしてから農耕生活が定着したのです。リャーマ(アメリカラクダ)やアルパカを家畜にしたのもこの時代でした。

 
チロエ島のジャガイモ:写真提供:鈴木順久氏
現在インディオ達が栽培しているジャガイモ品種名を拾うと(【週間朝日】2008.4.4より)
「嫁泣かせ」これはゴツゴツして皮むきが大変なのか、「豚の糞ころ」、「牛の風邪」、「イモムシ」となると抱腹絶倒だ、極めつけは「ワルガキのオナラ」これはどんなものか想像もつかない。

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