ポテトエッセイ第54話

コロンブスの新大陸発見【ジャガイモ博物館】

 コロンブスの新大陸(正確には西インド諸島)発見の約500年前に、北ヨーロッパのバイキングが北米にたどりついたり、アラスカ、チュコト半島を通ってユーラシア大陸に渡ったともいわれていますが、どちらもジャガイモの移動には関係しませんでした。  マルコポーロの『東方見聞録』によって刺激されたコロンブスが、黄金を求めて大西洋を横断し、一四九二年に西インド諸島を発見して以来、征服者、探検家、あるいは移民などが続々と新世界を目指しました。この結果、多くの植物が新世界からヨーロッパへ持ち込まれた。その中の根菜類としては、ジャガイモ、サツマイモ、タピオカイモ、ヤムイモなど、果実類としては、トマト、パパイヤ、パイナップル、イチゴなどがありました。そのほかカボチャ、トウモロコシ、トウガラシ、コカ、ナンキンマメもありました。
 これらの大部分は、今日の我々の日常生活に不可欠なものとなっています。しかし、新大陸から入ったものとは気がつかないことが多い。たとえば、トマトはヨーロッパ、ナンキンマメは中国生まれと思われることが多いようです。動物では、七面鳥が新大陸から入っており、タバコや梅毒も入ってきました。
 さて、一介の豚飼いからのしあがったスペインの探検家、フランシスコ・ピサロが、わずか180人余りの兵を率いてインカ帝国を攻撃し、大量虐殺や略奪のすえ、征服者の地位についたのが1532年。同じスペインの探検家エルナン・コルテスが1519年メキシコのアグテク帝国を攻撃した時と同じように、1年たらずで完全に征服してしまいました。
 コルテスから、相手方の王を捕らえると容易に勝てることを教わったピサロは、皇帝アタワルパにキリストの信仰を強要して怒らせ、それを理由に捕虜にしたのでした。
 ピサロは策略を用いて皇帝の部下を無力にし、皇帝アタワルパを暗い石の部屋に幽閉しました。そのうえ、「私を釈放するなら、この部屋一杯の金銀をやる」との皇帝の申し出を承諾したと見せかけ、インカ帝国の各地から貴金属を集めさせました。精巧をきわめた工芸品でさえ、運搬に楽なように次つぎと延棒にしてしまいました。しかも、最後には、公金の浪費、偶像崇拝、一夫多妻などの罪名で、皇帝を絞首刑にしてしまったのです。
 ヨーロッパ人と言う「大野蛮人」(チョニク人の言葉)によって、数多くの略奪、破壊、強姦が繰り返され、ジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシなどが残りました。これらは、征服者にとってそれまで見たこともない食糧ばかりで、これらを避けると、日常の食べ物を確保することが大きな悩みとなりました。
 狂信的なカトリック教徒にとって、バイブルに無い異教徒の食べ物を口にすることは、耐え難いことであったでしょうが、南米での生活に慣れる必要から、これらを食べるほかなく、しだいにジャガイモの食糧としての価値を認めることになってしまいました。
リマ市にある南米侵略者ピサロの像
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