ポテトエッセイ第55話

スペインへ =松露の一種として珍重される【ジャガイモ博物館】

 チリインデアンに「パパ」(下記のシエサ・デ・レオンによる)と呼ばれていたジャガイモを、初めてヨーロッパへ持ち込んだ名祖の英雄は誰で、いつのことであるかは、共にまだはっきりしていません。一般には、南米征服のため遠征したスペイン軍によって、1532〜’34年に導入されたものと想像されます。
 ロー(1952年)によると、1534年にスペインに持ち込まれ、16世紀中ころにはスペイン南部のアンダルシア地方やモロッコの西側の大西洋カナリア諸島で栽培されたそうです。 また、ハーバード大学のE・J・ハミルトン教授は、1934年に出版した『アメリカの財宝とスペインにおける価値革命・1501〜1650』という著書の中で、セビリアのラ・サングレ病院の1576年の会計簿に、パタタスの名でジャガイモを買っていた記録があると述べています。初めは1ポンド単位で購入していたものが、1584年以降はアローバ(25ポンド)の単位になっていたことから、生産量が年々上昇したことがわかり、また、秋から初冬にかけて入手していることなども書かれていたさうです。このことからジャガイモは16世紀中葉にはスペインでも栽培されていたことがわかります。
 南米でのスペイン軍の識者は、このジャガイモを概して好意的に記述していました。例えばカステラノ(1536年)は、「インデアンにとって結構な贈物であり、スペイン人にとってもぜいたくな御馳走である」といい、『年代記(ペルー誌)』(1553年)の著者シエザ・デ・レオンは、「パパ(ジャガイモ)はピーナッツの一種で、ゆでたのは料理した栗のように柔らかい。そしてトリフ(松露)より薄い皮がある。」と述べていました。
 またある者は、ペルー高原の住民に言及して、トウモロコシが無くても、これを食べていると百歳、またはそれ以上も生きられると述べ、植物学者ジェローム・カルダン(1557年)も、「ジャガイモの風味は栗のそれよりも優れている。ジャガイモは、人間のあらゆる要求をみたすために、賢明にも自然が人間に与えた食物である」と大いに礼賛し、「松露の一種である」とも言っております。
 また、スペインの神父、ジョセフ・ド・アコスタ(1591年)は、ジャガイモは穀類の生育が悪いクスコ周辺の高地に住む人たちの頼みの綱であることや、チュノーはメキシコのポトシ・ミネの銀鉱山で働く労働者の食べ物として運ばれる重要な交易品であったことなどを述べていました。ポトシでは、ほとんどチュノーだけ食わせて銀を掘らせ、財産をつくっていたのです。

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目数の多い塊茎と5連のもの
ペルーのリマにあるCIP(International Potato Center)の旗