ポテトエッセイ第107話

松尾 孝さん 【ジャガイモ博物館】

 広島県広島市出身。1937年父の死後18歳でその家業を引き継ぎました。1945年の原爆で、工場は全焼する。戦後の極端に栄養の悪い状態を見た孝さんは「健康にいい、栄養のあるお菓子をつくること」を自らの志とした。
まず荒れ地に生えているキク科の鉄道草(ヒメムカシヨモギ)の団子やキャラメルを作って売りました。そして米不足が続く中日本で初めて小麦粉によるあられ製造に成功。甘い水飴でコーティングした、お米のあられとは違う新感覚の「スナックあられ」で、これを「かっぱあられ」と名付けて売り出しました。
 しかし期待したほど売れなかった。そんななか、丸ごと食べられカルシウムやタンパク質の豊富なエビに着目しました。社名のほうも1955年 にカルシウムとビタミンB1を組み合わせて社名をカルビー製菓株式会社としました(後年アメリカに進出したときはCaliforniaとbee(密蜂)の組み合わせと冗談混じりに説明していたとか)。
 東海道新幹線が開通した1964年、子供の頃近所の川で獲った小エビをヒントに、瀬戸内海で獲れる小型エビを殻ごとすりつぶし小麦に練り込む『かっぱえびせん』を発売したものの期待したほど売れなかった。しかし1969年「やめられない、とまらないかっぱえびせん」のCMを流すことで爆発的ヒット、またロングセラーとなりカルビーの今日の基盤を築き、発売開始から6年目の、1970年には、売り上げは百億円を超えました。旅の友として持参し、カモメにお裾分けしていた者にも出会いました。
 1971年にはカード付きお菓子の先駆けとなった、仮面ライダースナックを発売。
 1972年には、原料にこだわって、100%北海道のジャガイモを使用した「サッポロポテト」を発売するなど、ヒット商品を次々と世に送り出して行きました。

 さらに、1975年北海道小清水町にあったあみ印食品株式会社北海道工場を買収し、そこでポテトチップスを製造し全国に売り出しました。
 実はこの工場では1973年北海道立根釧農業試験場馬鈴しょ科とタイアップし、後の1974年に「ワセシロ」となる「根育11号」を「男爵薯」などと並べて栽培し、7月20日から10間隔で6回収穫し、収量、揚げたときのカラーなどを比較しており、いずれも「男爵薯」より勝っていたことから工場は早生良質品種として着目していました。これが縁で、同社の"新ジャガポテトチップスは「ワセシロ」"が定着、本州まで知られることになりました。
 当時のチップス製造業者は比較的小規模であったので、カルビーのCM効果と全国縦断生産体制には太刀打ちが出来なく、廃業を考えるところもありましたが、チップスを手にする人が急増したお陰で、先発中堅会社の製品も伸びることになり、共存できました。
 CMは、女優の藤谷美和子が「100円でカルビーポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで100円は買えません。あしからず」と言うものでした。手頃で美味しく、こちらの方が止められない、止まらない人もいたのではないでしょうか。

 焦げたカステラ色ではなく、黄金色が良質チップスと言えますが、これは甘みの素であるグルコース(ブドウ糖)含有に左右され、品種によるところが大きい。また通常低温で保管し続けたり、貯蔵期間が長くなるにつれてグルコースを増して行きますが、これも品種によるところが大きい。ジャガイモの主産地は北海道ですが、そこでは春植えの夏作しかできない。比較的貯蔵しやすい野菜とは言え、秋収穫したものを翌年まで保管してチップス原料に使える品種はありません。鹿児島県、長崎県産のものからしだいに北上していき、東北・北海道産のものに繋ぐ、いわゆる「ジャガイモ前線」に依存しています。品種改良の品質上の重点は低温で芽の出を抑えて、長く貯蔵してもグルコースの増えにくいものに置かれています。しかし不十分なところもあるので、子会社カルビー・ポテト(株)はアメリカから元種を入れています。例えば「アトランチック」、「スノーデン」、「ノーキングラセット」、「アンドーバー」、「シェポディ−」がその例です。会社独自に育成したものとしては「ぽろしり」があります。
 1970年「カルビーアメリカ」、1980年バンコク「カルビータナワット」設立など海外展開も果たしました。日本のスナック食品市場確立の多大な貢献により1976年に藍綬褒章を受章、また1980年には農林水産大臣賞を受賞しています。菓子業界で初めて、商品に製造年月日を表示したことでも知られています。
 ポテトチップスがよく売れるようになり、全国各地の工場に品質のよいものを安定的に供給するために、原料部門を分離して、1980年カルビーポテト(株)を設立させました。農家とは契約栽培とし、フィールドマンが一筆ごと周り、品質に応じて受け入れ価格を決め、ヨーロッパに比べ春が遅く、秋の早い北海道にあっても遜色のないものを使用できるようにしました。原料ジャガイモの輸送は列車かトラックが普通ですが、船で送ることを考えました。1984年船をジャガイモに最適の貯蔵庫として「カルビーポテト丸」を就航させ、北海道の十勝港から鹿児島工場に向けて就航させました。
 加工食品用馬鈴しょ技術功労者顕彰会を立ち上げ、1983年6月東京千代田区の如水会館で、「ワセシロ」がポテトチップス製造の早期操業に貢献している元北海道立根釧農試馬鈴しょ科職員(代表浅間和夫)や、中堅品種「トヨシロ」育成の元北海道農業試験場の職員(代表坂口 進)らの労をねぎらってくれました。【写真右が松尾さん】
 同年、小林綾子が演じたNHK朝の連続テレビ小説『おしん』の少女時代を熱演し、一躍、その名を馳せ、その後海外80ヶ国以上で放映され、人気を博しました。松尾さんは殊の外この少女の苦労話が気に入り、1983年『かっぱえびせん』のCMに採用しました。
 1995年には、ジャガイモを主原料にし、細い棒状に整形して油で揚げ、持ちやすい逆台形のカップのような容器に入れた「じゃがりこ」の発売を開始しました。数種類あります。命名由来?は、開発担当者の友人のりかこさんが試作品を美味しそうにたべている姿を見て思いついたものだとか。
 難しい原料を使い、見ため、歯触り、美味しさ、油の酸化防止などを追求し、スナックの未来を開拓し、カルビー名誉会長を務めておりましたが2003年10月28日91歳で御逝去されました。

付記:国内で育成したポテトチップス用品種としては、「ワセシロ」、「トヨシロ」、「オホーツクチップ」、「リラチップ」、「きたひめ」などがあります。


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