ポテトエッセイ第108話
ジャガイモを野球の球に使ったいたずら話でもないものか、と探してみました。ありました。しかし、格調高い野球の記録に繋がる話ではありません。
マイナーリーグではありますが、ジャガイモを投げて"背番号が永久欠番"になった選手がいました。野球で「公認の球以外の物、例えば卵やトマト、を投げてはならない」というルールはありませんが、仮にジャガイモを球がわりに投げたら...審判はどうする。
インディアンス傘下の2Aウイリアムスポート・ビルズに所属していた1987年8月31日のこと。この日チームは"ポテト・デー"と称し、ジャガイモを持ってきた観客には入場料を割り引くサービスを行い観客を集めたことがありました。
マイナーリーグ ビルズ対フィリーズの試合、ビルズはこの試合に負けると最下位になります。場面は5回表1対0、2アウト3塁、ビルズの最大のピンチ。ここでキャッチャーデイブは「ミットの具合が悪い」とベンチへ戻りました。絶対に負けられないと感じていた彼は、予め用意していたジャガイモをミットに忍ばせてグラウンドに戻りました。試合が再開し、ピッチャーの第1球を受けたデイブは牽制球を装ってジャガイモを3塁へ投げました。暴投となり、ジャガイモは3塁手の頭上を越えていきました。これを見たランナーは本塁へ突入します。しかし正規のボールはデイブのミットの中。ホームベースを踏もうとしたランナーにデイブはタッチしました。ここで、不正に気づいた審判はランナーをセーフとし、デイブを退場させました。
このことを知った球団オーナーのゴメス氏は「彼の行為はプロ野球選手のすることではない。安っぽい二流のプレーだ」と激怒した。後日監督は、この選手に罰金50ドルを命じた。しかし、彼は50個のジャガイモを持参し、応じなかったため、球団は彼を解雇処分とした。
そのジャガイモを投げた人の名前はデイブ・ブレスナハン(Roger Philip Bresnahan)で、背番号59の捕手。どこポジションでもこなす男としても知られていました。オハイオ州トレド生まれ。右投げ右打ち。愛称は"The Duke of Tralee"(トラリー公爵)。1904年と1905年のニューヨーク・ジャイアンツのリーグ二連覇をしたときの捕手であり、1試合2本のランニングホームランを、アメリカンリーグ(1902年5月30日)、ナショナルリーグ(1904年6月6日)の両方で記録していました。
問題のジャガイモを手にした審判は、スタンド最前列のゴミ箱に投げ入れました。十代の少年がこれをきれいに拭いてから家に持ち帰り、高校の標本瓶の中に置いて、アルコールを注ぎ、保存することにしました。
このジャガイモ投げ騒動は、スタンドには大受けだったようで、デイブ・ブレスナハンの解雇には抗議が殺到し、世界中から数多くのインタビュー要請を受け、シカゴトリビューンのボブ・ヴェルディが1988年には“1987 Sports Person of the Year.”「1987年のスポーツ人」と名づけ、ウィリアムズポートクラブは「デ−ブ・ブレスナハンの日」を開催して、彼の背番号59を永久欠番としました。そのセレモニーで、「かつてルー・ゲーリッグは、2000試合以上に連続出場して、3割4分以上の打率を残して永久欠番となり、『自分は世界で一番幸せな男だ』と言いましたが、自分はマイナーで2割ちょっとしか打てず、ポテトを投げただけで永久欠番になったのだから、☆ 世界で一番幸せな男よりも幸せだ ☆」と語ったという。
なお、彼は1944年12月4日65歳のとき 心臓発作でこの世を去った。