ポテトエッセイ第110話
落語の中の食べ物の題材としては、八さん熊さんの時代には"ジャガイモ"は
出て来ません。出てきたとしても高度経済成長時代までの話なら"馬鈴薯"とし
てだ。"ジャガイモ"が見つかるなら量から質の時代に変わってからのネタにな
りましょう。
馬鈴薯が話に出るものを見つけました。その噺を書いたのは、鈴木凸太(1942
年)。演じたのは、若い頃ちょんまげを結っていて2011年亡くなったさん助師
や二代目三遊亭円歌師です。ストーリーは以下のようなものです。ジャガイモ
焼酎でも飲みながら聞くといい噺です。
駒込に住む大家・馬場進さんの長屋に借り手がやって来た。予め隣で聞く
と、大家は大の馬好きだから、午年以外の借家人は置いていないので、午年の
貴方なら借りられるかも知れないと...。大家は午(うま)年の午の月の午
の日、午の刻に南部の馬の生産地で生まれたと言う。
馬の悪口は決して言ってはいけないなどと、住人に知恵を付けられ、ウマ
くやると家賃をまけてくれるかも知れない、と大家に入っていきます。なんと
入口に馬頭観音を飾り、馬小屋のような玄関の造りになっていた。
「私は昭和5年生まれ、数え三十三の午年生まれの者ですが、あすこに空い
ている一万二千円の家を借りたいのですが・・・」。午年と聞いて、手数の掛
からないのがやって来たと、中に通された。入ってみると、飼葉桶に灰を入れ
て火鉢にするほど馬一辺倒の大家。
借り手の前職は曲馬団(サーカス)団員。その時馬を攻めすぎて、片足が
不自由になってしまったが、口の利けない馬をそれ以後は大事にしたと言う。
大家は馬に成り代わってお礼を言うよと、家賃を半額の六千円に負けてくれ
た。
いままで住んでいたのは、横浜・馬車道に永らくいたが、その後東京・浅
草の馬道8丁目、厩橋(うまやばし)と駒形橋の間で焼け出され、練馬の方に
引っ越して、叔母さんが日本橋の小伝馬町と馬喰町の間にいて、叔父さんが渋
谷の駒沢と上馬にいます。
ここ駒込に引っ越してきたら、馬が揃うが、生まれは何処だと聞かれたの
で、群馬県の相馬村です。名前は本馬皆奈(かいな)と言う。
ところで、好物はと聞かれ、好きな食べ物は人参とウマ煮だ、と答える
と、生人参食べるかと聞かれる。大家は馬肉だという不心得者が居るがとんで
もないが、どんなうま煮を食べるのかと問われ、隙無く、ジャガイモと言わず
「馬鈴薯です」と答え、酒は白馬(しろうま=ドブロク)を頂きますと。
馬場 進という大家さん。干支は午年で婆さんも午年だがどうして?「午年の大家でないと借てやらないと言うのだ」と何か逆の立場になりそう。
借りられる事になって、名を聞くとほんま幾造だと言う。大家夫婦以上に息子はもっと馬に似ているという。あまりにも可笑しいので「ひひひ〜〜〜
ん」と笑った。笑い方がよい、と二千円負けてくれた。息子は競馬の騎手をしているという。
引越の日は午の日に決めて手を打ったが、今の職業はまだ聞いていなかっ
た。
「ばケツを作っている」と言う。「馬力を掛けて作っているので、困る事
はない」とも言う。
「旦那も奥さんも長い顔で、宇治川の先陣争いをした佐々木・梶原のいけずき
・するすみのようで」という調子でおだてたところ、大家もすっかりいい気持ちに。馬の話が出るたびに、どんどん家賃を安くする大家はまた感服して、ついに家賃はタダにしてしまう。
「婆さんや、イイ若い者だ」、「最初から最後まで馬を器用に操っていた
ね」。
そして落ちは、
「それもそのはずだ、前の職業が曲馬団だ」。
古い速記では「午歳だけに尻尾を出しそうになりました」という落ちになっ
ていました。