ジャガイモのヨーロッパへの導入の大波は2度ありました。最初の導入はコンキスタドールがスペインとイタリアへ入れ、『大地のトリュフ Turma de Tierra』と呼んでいた。
二度目はどこからかわかりませんが、イングランドへ入った。この導入はフランシス・ドレイク卿による、とするのは間違いだとするのが定説となっています。ドイツにはイタリアから入った。そして16世紀末に菜園の植物として扱われていました。
そしてオーストリアにジャガイモが定着し始めたりは、ヨーロッパにジャガイモが伝わってから約200年も経った18世紀後半のことでした。1761年、今のニーダーエスタライヒ州にあるプリンツェンドルフの教会にオランダからヨハン・エーベルハルト・ユングブルート(Johann Eberhard Jungblut 1720-1795)という司祭が赴任。司祭は故国からもってきたジャガイモを観賞用としてではなく食用として植えた。そしてこれが州全体に広がってゆき、おかげで他の農作物が不作のとき人々が飢饉から救われました。そして19世紀になるとじゃがいもはオーストリア=ハンガリー帝国全体でも欠くことのできない主食になりました。 人びとは、ヨハン・エーベルハルト・ユングブルートさんに敬意をこめて「イモ司祭」と呼びました。そして同国食用ジャガイモ発祥の地となったこのプリンツェンドルフの聖堂区教会に1834になり「ジャガイモ記念碑」を建立しました。