2)「がじゃいも」
作詞:秋元康、作曲:後藤次利。歌:石原伸一、カクテル弱井。 その歌詞は、
どこのだれだか わからない/赤いマントをひるがえし/...
メイクィーンという名前の/それは きれいな 姫がいたとさ.../足も出ないが 芽は出るぞ.....
続きは
*「がじゃいも」*
3)中沢啓治の「ハダシのゲン」に出てくる 替え歌
中沢啓治の『はだしのゲン』は自身の原爆の被爆体験を元にした漫画。史実では正確ではない部分が多いが、実写映画やアニメ映画・テレビドラマも製作され,海外での翻訳も多い。戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公中岡ゲンの姿が描かれている。
作のなかで、『軍艦行進曲』の替え歌が出てくる。元の歌は、
○守るも攻むるも黒鐵(くろがね)の/浮べる城ぞ頼みなる/浮べるその城 日の本の/皇國(みくに)の四方(よも)を守るべし/眞鐵(まがね)のその船 日の本に/仇なす國を攻めよかし...そして替え歌
○ジャンジャンジャガイモ サツマイモ〜 /浮かべて 並べた楽しいな〜/蒸かして 食べたら おいしいな〜...
終戦直後,有楽町のパチンコ屋で,こわごわ軍艦マーチのレコードをかけたら,進駐軍のクレームはなく,それがきっかけで,全国のパチンコ屋に拡がったという話もある。
私どもも戦中「我は海の子」の替え歌『我はノミの子/シラミの子...』を歌っていた記憶がある。
4) じゃがいもほり2曲
植付けから頑張ったり,親にお手伝いしたりしてきて,いよいよ待ちに待った収穫を前に歌う子供の歌は昔から多くあったようです。
A 童謡 じゃがいもほり
深山 澄作詞,大中寅二作曲の「じゃがいもほり」もその一つ。太平洋戦争へ突入する直前の戦時色の濃い昭和16年(1941)に生まれた。食糧が不足になりつつあって,空地を耕し,いも類,野菜などを植える風景が年々増えてきた時期の作曲。家族総出で収穫で出かけ,次はどんないもが土の中から顔を出すか想像した期待と収穫を楽しむ歌。
エツサッサ エツサッサ/エツサッサと ほりだせじゃがいも...
みれ
B「じゃがいもほり」
生活に余裕でてきてから生まれた同名の曲。群馬県で障害児のいる学校などに勤務していて「なつがくる」を最初に,以後子供向きの歌をたくさんつくった吉井一仁先生の作詞作曲,村山 猛編曲によるもの。
○じゃがいも ゴロゴロ じゃがいも ごろごろ.../みんなで つくろう カレーライス
カレーライスのところを適宜「コロッケ」「ポテトサラダ」などに替えて楽しまれている。
4)北 みよ子 「ジャガイモ人生」 1993年
ヤフオク:カセット 厚岸旅情 しゃがいも人生 北みよ子
どんな歌詞なのか、私にはわかりません。
5)森進一,黒柳徹子らが つくっていた「じゃがいもの会」
「じゃがいもの唄」
森進一,本名:森内一寛は1984年に大原麗子と離婚した後に,新しい挑戦として社会福祉活動「じゃがいもの会」を設立した。デビュー当時より面識があり,社会福祉活動に力を注ぎその前年からユニセフ親善大使の職を拝命されていた黒柳徹子を始めこれに賛同した原田直之,小林幸子,森昌子らが参加した。彼は「森内一寛」として,多くの仲間とともに数多くの福祉・社会的活動に参画してきた。2007年ひとつの山を越えたとして,じゃがいもの会23年の歴史に幕を閉じた。 会から売られた『じゃがいもの唄』は原田博行作詞になるもので作曲した森進一と森昌子/川中美幸/森口博子らが歌っており,そのCD も売られた。
○でこぼこ顔の お兄さん.../じゃがじゃがじゃがじゃが 手をつなぎ.../この愛を 届けよう