日本の家庭料理、お袋の味と言えば、「きんぴらごぼう」、「おから」、「干し大根」もありましょうが、「肉ジャガ」、「カレーライス」、「コロッケ」を思いうかべる人も多いのではないでょうか。面白いことに、後の3つには全国広く栽培され、ビタミン類が多様で豊富なジャガイモが使われいてます。
その「肉ジャガ」を考えたのは日本の旧海軍と言われています。
無敵のロシアバルチック艦隊を日本海で破って世界に知られた東郷平八郎元帥が、英国ポーツマスに留学していたときによく食べたシチューを日本風にアレンジしてつくらせたのが「肉ジャガ」の元祖らしい。
コロンブスの西インド諸島発見以降、スペイン、ポルトガル、イギリスなどの海軍、貿易船、海賊などの大航海が盛んになりましが、強敵や嵐に勝つ海の男でも勝てなかったのが航海中のビタミンC欠乏による壊血病でした。ジャガイモがヨーロッパに持ち込まれる前の1497年に航海に出たバスコ・ダ・ガマを例にしますと、ポルトガルのリスボンからインドのカルカッタまでの10カ月の旅で乗務員160人中100人が死亡しました。その後新鮮な野菜の必要性を知り、ライムや、南米から持ち込まれた貯蔵性のより高いジャガイモを船に載せるようになってからこのような無駄死が激減しました。陸軍は途中で野菜を買ったり、略奪していたのでジャガイモの必要性はあまり理解していなかったようです。太平洋戦争のおりでさえ、マニラの連合軍捕虜の中に、ジャガイモに多いことで知られるパントテン酸(B6)の不足による焼足症状が出て問題になったことがありました。(この時食べさせたゴボウも後日の東京裁判で捕虜に木の根を食べさせたとして問題になりました)
ところで、「肉ジャガ」発祥の地はわが市であるとしているのが2市あります。1901年、旧海軍舞鶴鎮守府の初代長官として着任した東郷元帥が、留学中に食べたビーフシチューを懐かしんでつくらせたのが「肉ジャガ」の発祥であり、ワインが不足なためしょうゆと砂糖を使った、と言っておりいるのが京都府舞鶴市です。
旧海軍経理学校の『海軍厨業管理教科書』(1938年発行)に「甘煮」としてのっているのがこれに近いとしています。そして市民グループが1995年「まいずる肉じゃがまつり」をやり、1998年4月に海上自衛隊北吸桟橋で見学者にふるまい、同年8月ポーツマス市へ『肉じゃが市民交流の旅』を企画し、同市名誉市長から肉じゃが里帰り証明書をもらってきました。
いっぽう、広島呉市は、舞鶴市民の活動をみて、97年に「肉じゃが」を旗揚げしました。そして、1890年に旧海軍呉鎮守府参謀長などを歴任していた東郷が、壊血病や脚気の予防に効果があることから、旧海軍経理学校の「海軍厨(ちゅう)業管理教科書?」に艦上食のメニューとしてあげていた、と主張しています。
呉市では、恒例の「くれ食の祭典」で肉ジャガ500人分を市民に提供し、発祥の地を主張する観光ポスター1500部を貼るなど、旧軍港間の熱い戦いが最近展開されています。
フランスで、おふくろの味と言えば『ヴィシソワーズ』となるのでしょうか。こんな話があります。フランス生まれのコック、ルイ・ディアさんはニューヨークのあるホテルのシェフとして招かれた。1917年、夏になるとポタージュがあまり出ないと感じていたころ、彼の母のことを思いだした。お母さんは、ジャガイモとポロねぎを鶏の出汁(だし)で煮込んで温かいポタージュをつくってくれた。それが残ると、翌朝これに冷たいミルクを加えて食べさせてくれたものだった。それを思い出し、ミルク入りジャガイモの冷たいポタージュをお客に出してみたところ、このスープが大評判となり、たくさんのお客がホテルのレストランに押し掛けた。このスープに、彼は生家にほど近い温泉保養地『ヴィシー』(Vichy)の名をとって、『ヴィシソワーズ』(Vichyssois、ヴィシー風の)と名づけることにしました。