ジャガイモの出てくる 映 画  第19集

浅間和夫

191.『ぐうたらバンザイ!』(原題: ALEXANDRE LE BIENHEUREUX)
1967年、フランス映画。監督:イヴ・ロベール。
フランスのとある田舎町で、働きものの妻とともにつつましくも幸福に暮らす農夫のアレクサンドル(フィリップ・ノワレ)。ところが彼は大の怠け者。仕事よりも寝る、釣り、ビリヤードが好きである。奥さん(フランソワーズ・ブリオン)は美人でしっかりもの。朝から彼をたたき起こし、指を鳴らしたり、トランシーバーでアレクサンドルに命令する。
 ある日、親友のサンガンのところでジャックラッセル・テリアの子が生まれる。彼はその一匹をもらうのだが、奥さんが犬を飼うことを許さないので、預けておいて頻繁に会いには行っている。1年ほど経ったある日、サンガンから引きとりを迫られ、別の友達に預けるのだが、犬は賢こく、バスに乗って帰ってきてしまう。アレキサンドルは喜んで、なんとかごまかして飼おうとするのだが、奥さんに見つかってしまう。奥さんは渋々飼うことに同意するのだが、犬のいたずらに頭に来る。
 そんなある日、奥さんと義父母が車で親戚の葬式に行く途中で、奥さんのスピードの出しすぎて事故を起こし、三人とも逝ってしまう。
 かくして快適なぐうたら人生が全開となる。ベットから出ないで、犬をお使い代わりする始末。犬はバスケットをくわえて買い物に行ってくれたり、村の店を閉め出されると、ここ掘れワンワンとばかりジャガイモを畑からゲットし、鶏小屋から卵を咥えてきてくれるほど。うるさい村人たちも追い返してしまい、文句も言わない忠犬ぶりを見せてくれる。
 そんな折、食料品店で働くセクシーで怠け者のかわいい女の子アガタ(マルレーヌ・ジョベール)が、彼の怠け者ぶりに興味をもつ。一方、村人やサンガンは、彼を家の外に出し、犬と外で遊ばせようとする。しかし、外に出ても魚釣りやビリヤード三昧の生活を送るようになる。アガタとも会っているうちに、二人は惹かれ合っていく。ここで、彼が思ったより広い農地を持っていることが判り、彼女はプロポースを願うようになる。彼の農地をうまく経営して儲けようとの下心も出てきた。
 結婚式の日を迎える。教会の祭壇の前で二人が並んで式が執り行われていた時に、外で犬が吠える。
アレキサンドルは静かにさせるため、見に行くいくのだが、アガタはそれが気に入らない。
 神父が「この女を、汝の妻とするか」と言って返事を待った時、一瞬躊躇する、そして思わず「いやだ」と言う。
 そして教会を出て犬と共に走り出す。花嫁姿のアガタと村人たちは追いかけるが、畑の中の案山子に扮した彼は、追っ手を巻いてしまう。こうして、どこへともなく立ち去るのである、愛犬と一緒に嬉しそうに。
 のんびりながエスプリの利いた洒落た映画であった。 (2019.1.5)

192.『人生フルーツ』
2016年、東海テレビ放送。監督:伏原健之。
建築家の津端修一と妻の英子の最晩年を、2年間に渡って記録したドキュメンタリー映画である。
 津端修一は丹下健三の教えを受けて卒業し、一時ある企業に就職後、日本住宅公団の誕生に合わせてそこに務めた。阿佐ヶ谷住宅をはじめ、名作といわれる団地をいくつも設計した。愛知県にある高蔵寺ニュータウンを設計した縁で、自身もそこに土地を購入し、広いキッキンガーデンのある小さな家に40年以上そこで暮らすことになる。
 団地全体の配置デザインを多く手掛けた津端は、その作風から「風土派」と呼ばれるようになり、その思想は後の団地設計に大きな影響を与えた。それは団地を建てる前の自然地形を壊さずにそのまま残し、その記憶を住まい手に伝えていこうというものであり、「自然と人間の関係を問い直す」ということを意識していたのだと、後に語っている。
 伴侶は3歳年下の英子さん、結婚当初はお金がなく、彼女は質屋通いをしながら、夫にやりたいことをやらせてあげた。雑木林に囲まれた大きなキッチンガーデンで、70種類もの野菜と、50種類もの果物を育て、日々のお惣菜はもちろん、ジャム、お菓子にベーコンなどを作りながら、ゆっくりと暮らしを楽しんできたそのライフスタイルは、いくつもの女性誌や数々の書籍などで紹介された。
 ジャガイモ絡みでは、夫はジャガイモが大好物なので、
「私、ジャガイモ苦手なのよ。すぐお腹いっぱいになるでしょ、ジャガイモってだけだと嫌なの」って言いいながらも嬉しそうにコロッケや肉ジャガなどのジャガイモ料理をよく作っていた。
   穏やかなこの流れで終わるのではなく、戦争での出来事、さらには修一さんの死もあったが、最晩年を追っていた。撮影開始時は90歳(2015年6月死去)。映画は、2017年1月2日より劇場公開された。ナレーション担当の樹木希林は2018年逝去。(2019.1.6)

193.『ある女学生の日記』(英題:A diary of a high-school girl)
2007年、北朝鮮映画。監督:キム・ラエ。
北朝鮮映画初のカンヌ国際映画祭上映作品。勇ましい少女ではなく、子供ぽさのある、良い子で、大学進学に悩む女学生スリョン(パク・ミヒャン)を中心に描いた作品。
一家の主は、父親は研究所の寮に暮らしながら、国家のために働いている。暖かい家庭の中にも父親のいない空虚感が次第にスリョンを押しつぶしていく。そんなとき、母親が癌であることが発覚したりするが、病気を押して頑張っている。叔父さんは優しい。祖母は料理が上手で、ジャガイモでん粉で水飴をつくったり、大豆で豆乳をつくってくれている。家庭の淡々と平凡な日々が描かれ、冒頭電気アイロンを使うシーンで電圧の不安定なことは出てくるが、意図的なドラマチックな展開はない。そしてこちらが知りたい街事情、飲食店、ものを売る店、サービス業なども顔を見せない。街は、インフラの未整備とか、物資不足は見られず、服装も小ぎれいだ。食糧事情は逼迫しているわけではない。
 物語は、妹はサッカー大会で活躍でき、ヒロインは人も羨む大学に進学でき、一家は広い高層アパートに転居することになる。
 日帝は極悪人、北の民族は世界の正義、「将軍さま!万歳!」と言った直接的言葉はなく、勧善懲悪の押し売りもない。北朝鮮の道徳観や家族観が垣間見られ、サクセス・ストーリーであり、静かな涙もので終わっている。 (2019.1.7)

194.『世界を変える100人の日本人!』
 2002〜2010年、テレビ東京系テレビ番組、構成:田代裕・安達元一ら、演出:水谷豊ら、司会:三宅裕司・三村マサカズ。
 毎週金曜日の20:00 〜 20:54に放送されたバラエティ番組であるが、ここでは2010年9月3日放映(テレビ北海道など)の『カリフォルニアのポテトキング・牛島謹爾』を取り上げたい。
 牛島謹爾(うしじまきんじ)は1864(文久4)年、現在の久留米市梅満町掛赤で生まれた。頭脳明晰で、小学校のとき飛び越し進級試験を受けようとしたら、先輩たちから袋だたきに遭ったほど。上京し、漢学塾二松學舍(現二松學舍大学)に入り、東京商業学校(現一橋大学)予科に進学したが、その後本科には不合格となる。
 そこで本場の実用英語を学ぼうとしたのか、一旗揚げてみたいと夢見たのか1888(明治21)年渡米する。そこでアメリカ人大好きのジャガイモに目をつけ、借地してジャガイモとタマネギの栽培を始める。4人の共同経営であったが、ジャガイモの不作が予想されると、他の3人は彼に借金をかぶせて逃げてしまう。その後借金を返し、長いヨシが生え毎年水害にあう土地を改良し、いろいろな災害を克服し、ついに4万haもの耕地を切り開くことに成功し、カルフォルニアの全ジャガイモ生産量の8割以上を占めることもあった。やがて牛島はポテト・キングと呼ばれるようになる。
 そんな1906年4月18日早朝サンフランシスコが大地震に見舞われる。人びとの住む家がこわされ、食糧が不足する。早速彼ジョージ・シマは、パン、肉、ジャガイモなどの食糧をトラックに積んで、毎朝市民に無料で配り、市民から喜ばれる。
 1908年に結成された在米日本人会の初代会長として邦人の世話もよくする。人種的偏見からくる排日運動の緩和につとめ、引き続きボランテア活動をするなど,大きな功績をあげる。日本人に自信をもたせるだけでなく、みすぼらしいアメリカ婦人を気楽に車に乗せてやるなど、親切で、曲がったことが嫌いで、あっさりした豪傑肌の人であった。一度事業にあたるときは、真剣にとり組み、品質のよいものの生産に努めたので、彼の信用は絶大であった。1926年、日本へ帰国する途中、ロサンゼルスで脳溢血で死亡する。死後、その功績に対し、勲四等旭日小綬章が追贈され、1999(平成11)年には生誕地鳥飼小学校付近の梅満町の小公園に偉人と同じ身長の碑が建てられ、命日の3月27日に近い日曜日に碑前祭でジャガイモ汁をつくり顕彰している。
 牛島の働きが昔日本の修身の教科書にも載ったこともあるが、今日では日米で『馬鈴薯王(ポテトキング)』ことジョージ・シマを知る人はほとんどいない。しかし、出身地にある「ポテト王を語る会」では、鳥飼小学校付近の梅満町の小公園に郷土の偉人の身長と同じ180cmの碑を1999(平成11)年)に建立し、命日の3月27日の近い日曜日に碑前祭をジャガイモ汁をつくり顕彰している。
 蛇足になるが、彼の亡くなった1926(大正15)年に、同じカリフォルニアに住んでいたルーサー・バーバンクも死亡している。『植物の魔術師』とも呼ばれ、「とげ無しサボテン」や今も広く栽培されているジャガイモ品種「ラセット・バーバンク」などの育成者である。

196.『ポンペイ』 (原題:Pompeii)
 2014年、アメリカ映画。監督:W・S・アンダーソン。
 紀元62年、ローマ帝国の支配に抵抗したケルト人はコルヴス率いるローマ軍に蹂躙され、少年マイロ(キット・ハリントン)だけが生き残るが、彼は奴隷として売り飛ばされる。十数年後、マイロはロンディニウムで敵う者なしの剣闘士に成長する。マイロの持ち主グラセウスは彼の実力に満足し、興行のために奴隷たちを引き連れてポンペイに向かう。その途中、一行は裕福な商人の娘カッシア(エミリー・ブラウニング)の馬車と遭遇し、マイロは怪我で苦しむ彼女の馬を殺処分で、苦しみから解放する。カッシアは1年間ローマに滞在していたが、傲慢なローマ人たちに嫌気が差して故郷に戻ってきたのである。
 マイロはブドウ収穫祭のイベントである剣闘会に出場することになり、対戦相手にはポンペイ最強の剣闘士アティカスが選ばれた。アティカスもマイロと同じく被征服民族の出身で、マイロとの戦いに勝利した暁には自由の身を与えられることになっていた。
 同じ頃、元老院議員になっていたコルヴスがポンペイを訪れ、カッシアの父セヴェルスと会談し、ローマで出会ったカッシアを妻に迎えるつもりでいる。しかし、カッシアはコルヴスの傲慢さを嫌って申し出を断る。宴のおり、ヴェスヴィオ火山が噴火して、カッシアの馬が暴れ出す。マイロはカッシアに頼まれて馬をなだめ、恋に落ちていた二人は馬に乗り逃亡する。その後捕まるもカッシアの懇願でマイロは助かるが、コルヴスはグラセウスに剣闘会でマイロを殺すように命令する。  剣闘会当日。グラセウスはセヴェルスの命令で剣闘の内容を変え、観衆を盛り上げるためにマイロとアティカスを殺そうとする。しかし、グラセウスは闘技場が噴火の影響で崩れ始めていることに気付き、ポンペイから逃げ出そうとする。<中略>マイロとカッシアは郊外まで脱出するが、溶岩流に追いつかれてしまう。馬が速く走れるようにマイロは自分が降りてカッシアだけ逃がそうと考えるが、彼女はそれを拒み、マイロと口づけをしたまま共に溶岩流に飲まれて固まってしまう・・・。

 紀元前後の馬の体はポニーより大きく、対州馬から木曽馬ぐらいだったと思われる。時代考証により小型の馬を集めてくるわけにはいかないため、現代の馬が使われたが最後のシーンで"二人乗りで逃げるのは無理"と言葉で表現していた。
 さらに時代考証すれば、ヨーロッパに16世紀に入ったジャガイモがこの映画に出てくることはあり得ない。このコラムであえて、取り上げたいのは、次の理由からである。映画『ポンペイ』公開記念したジャパン・プレミアが 2014年5月26日「TOHOシネマズ 六本木ヒルズ」で行なわれた。プロモーションのために来日したアンダーソン監督と、その妻で女優のミラ・ジョヴォヴィッチが夫婦そろって登場し、報道陣を前に熱いキスまで披露した。
 また、その後行なわれた舞台挨拶にもミラが観客の一人として客席に登場するという嬉しいサプライズがあり、客席から、
ミラ 「ジャガイモの話してよ」
監督 「わかったよ。当初の脚本に、(主人公キット演じる)マイロがジャガイモを食べるシーンがあったんだ。だけど、この作品で描かれている時代にジャガイモを食べる習慣がなくて、そのことを指摘された時に、俺は学生の頃に戻った気分でションボリしてしまったんだよ。このエピソードのことをミラは言っていて、今僕を侮辱しているんだ」とお茶目に語った。 (2019.1.10)

197.『珈琲時光』 (コーヒー・タイム)
2004年、邦画。監督: 侯孝賢(ホウ・シャオシェン、台湾)。
 ウィキペディアによると、「珈琲を味わうときのように、気持ちを落ち着け、心をリセットし、これからのことを見つめるためのひととき」というテーマを、小津安二郎の生誕100年を記念し『東京物語』のオマージュ(レスペクト)という形で製作された映画であり、喫茶店が似合う神田神保町や鬼子母神等の古き日本の街角や路地、また山手線、京浜東北線、高崎線、都電荒川線の車窓風景の映像美が評価された映画でもある。
ストーリーは、東京で暮らすフリーライターの女性井上陽子(一青窈)が、台湾のボーイフレンドの子供を身ごもる。妊娠を知って冷静な義母は私たちの年金では陽子を支えてゆけないだろう心配する。逆に父親(小林稔侍)は内心ひどく動揺しているが、上手く言葉に表せず沈黙するところが切ない。幼い陽子を置いて出て行った先妻との関係が影響しているのか、陽子に対して遠慮している。知人の葬儀に出席するため、両親が上京して来た。義母は冷蔵庫の中を確認して、碌な食材が入っていないことに呆れた声を上げた。義母が持って来た肉じゃがを小皿に分けてくれる。陽子は義母が小皿に分けてくれた肉ジャガを、とても幸せそうに頬張った。
 父親は終始そわそわと落ち着かない様子だったが、陽子と妻に勧められ、肉ジャガを食べることにした。父親がやっと口をついて出た言葉が「おまえ、好きだったな、おジャガ」といって自分のジャガイモをわけてやり、自分も少しずつ食べた。
 そして、お酒と一緒に言葉を飲み込んでしまっている。陽子は、父の気持ちを分かっているが、どうすることもできない。ひとりで生んでシングルマザーとして育てるという彼女を、父親と義母は言葉もなく静かに見守る。古本屋の友人竹内肇(佐野忠信)も、その事実を受け入れた上で、胸に秘めた想いを伝えようとするが出来ずにいる。産む決心をした陽子にとっては、それが嬉しく、唯一の安らぎなのかも知れない。こうして、日々の生活と仕事に明け暮れる現代人女性の姿を、小津安二郎のように淡々と追い続ける。 (2019.1.11)

198.『ある一日のはじまり』 (原題:When the Day Breaks)
 1999年、カナダ映画。監督:ウェンディ・ティルビー、アマンダ・フォービス。
  鉛筆と絵の具で表現した静物画を思わせる背景描写が特徴である。トサカの帽子のニワトリの紳士の食事のシーンに続いて、ブタの淑女がジャガイモの皮を剥き【写真】、ゴミ箱に実を捨てて、皮を残すという朝食の支度のシーンが始まって、何かほのぼのとしたドラマが始まるものと想像していると、些細な事件が連鎖し、思いがけない展開へ・・・。
 一見、便利で快適な都市生活は、基本的に皆勝手に生きていて互いに無関心だ。毎日すれ違う多くの人々は互いの人生においてスクランブル交差点を歩く"その他大勢"のようなものであり、一瞬先には闇が待ち構えているかも知れない。上映時間は10分弱と短く、ショートショート的オチは見られず、複雑な感情を呼び起こす作品であり、1999年度アヌシー国際アニメーション映画祭グランプリを受賞作品したもの。 (2019.1.12)

199.『ヒトラーの忘れもの』 (原題:UNDER SANDET/LAND OF MINE)
2015年、デンマーク・ドイツ映画。監督:マーチン・サントフリート。
 原題は『砂の下/地雷の土地』で、元々の邦題は『地雷と少年兵』であった。
1945年5月日本より先にナチスドイツが降伏した。若いドイツ兵の戦争捕虜の集団がデンマーク当局に引き渡され、ドイツ軍が砂の中に埋めた200万以上の地雷を撤去するために西海岸へと派遣された。これは戦争捕虜の強制労働を禁じるジュネーヴ条約に違反する命令であった。10代の少年兵たちはナチス嫌いのデンマークのラスムスン軍曹(ローランド・ムーラー)の指揮の下、危険な作業に従事することになる。広い砂浜を横一列に並んで腹這いになり、棒の先で10センチ刻みで突っ付きながら進み、地雷を見付けると上蓋を取り外し、剥き出しになった信管をそっと摘まんで解体するのだ。
 軍曹は徹底的に彼らをこき使おうとする。少年兵たちは地雷撤去は初めての経験のため、誤爆や作業ミスで次々と命を落としていく。かってシベリアでソ連兵に働かされた日本兵のように、祖国に帰る日を夢見て黙々と過酷な任務に取り組む。しかし、満足な食料も与えられないので、飢えや体調不良に苦しむ者が続出する。ネズミの糞の混入した家畜の餌を食べて腹痛を起こす者もでる。
 鬼軍曹はナチスに激しい憎しみを抱きながらも、無垢な少年たちが次々と命を落とすのを見て良心の呵責にさいなまれるようになっていく。軍曹はこれらを見て可哀そうと感じたのか、仕事を予定通り進めようとしたのか、少年達にジャガイモを調達してやるシーンが出てくる。こんなことで、しだいに心を通わせ、砂浜で一緒になってサッカーに興じることもあった。
 しかし、軍曹の愛犬が爆死することがあり、再び鬼軍曹に戻ってしまう。そしてまたイツ少年兵たちは次々と砂浜の藻屑と成り果てることになる。その後、また過去の恨み辛みを寛容さに変えて、ヒトラーの忘れものである少年兵たちをドイツ国境近辺まで連れて行って逃がしてやる。 (2019.1.13)

200.『小さな青いビー玉/ナチスから逃れて』 (原題: Un sac de billes)
2017年、フランス映画。監督:クリスチャン・デュゲイ。
原作は1973年にジョゼフ・ジョフォ(Joseph Joffo、この映画の主人公と同名)が書いた自伝的小説を映画化したものであり、1975年のもの(邦題「小さな赤いビー玉」)ではなく、リメイク版からジャガイモ・シーンを探した。
 第二次世界大戦下のフランス。小高いモンマルトルの区で美容院を営むユダヤ人の家族がいた。ドイツ軍の力が及んでくる中、目立たぬように、二人の幼い兄弟だけで、まだドイツ軍が押し寄せていないスペインとの国境に近い街(フリーゾーン)に送り出す。二人の兄弟・モーリス(バティスト・フルーリアル)とジョセフことジョー(ドリアン・ル・クレック)がパリからスペイン国境近くまで逃亡する姿がいじらしい。何人ものユダヤ人が捕まっていく中、ドイツ軍の目をすり抜ける様はハラハラさせる。両親の言葉を無視し、ヒッチハイクとハイキングでニースまで辿り着き、両親と長兄に感激の再会を果たす。しかし、翌年9月になり事態は一変する。イタリアが連合国側に寝返り、ドイツ軍がニースに進駐してくる。両親はジョーたち二人をフランス傀儡政府が運営する(しかし、安全な)全寮制の学校に避難させる。街からは捉えられたユダヤ人を乗せた汽車が、金曜ごとにドイツに向かっいく。
そんなある日、、兄弟とアルジェの少年を含む数人でジャガイモの皮剥きをしているところに雑用係が運転するトラックが勢いよくバックしてきて、せっかく剥いたジャガイモ入りの大バケツと、すぐ横の柱にぶつかるのが見られる【写真(矢印はジャガイモ)】。
 翌日、全員が教練のために集合させられる。「ドイツ野郎がユダヤ人を捜し回ってる。奴ら、そのうちここに来るかもな」と噂さ話。訓練で、有刺鉄線の下をほふく前進しながら、アルジェリアのどこそこ街・10番地に住み、どんな家の間取りに住み、パパは床屋でママはバイオリニストでいたと、口合わせをし、小さいとき受けたユダヤの割礼についても、アルジェリアの風習だといってごまかすことにする。母から、父が逮捕された、すぐに逃げろという電話が入る。二人はニースから真北の山岳地方に逃走する。
 小さな山の村で、二人は新聞売りと、食堂の下働きとして暮らすことがでた。誰も二人をユダヤ人だと疑う者はいない。特に、ジョーが住み込みで働いている本屋は、村一番の対独協力者で、その息子は反パルチザンの民兵団の一員。隠れ蓑としては最適だ。ジョーは、その本屋の娘のフランソワーズに淡い恋心を抱く。
 しかし、すぐに戦争の終結はやってきて、本屋は村一番の嫌われ者としてリンチに遭いそうになるが、ジョーは、ユダヤ人である自分を匿ってくれたと主張して命を救う。そして、パリーの昔住んでいた家に戻ったジョーは、既に戻っていた家族に歓迎されるが、父だけはアウシュヴィッツ送りになっていた。 (2019.1.14)


http://potato-museum.jrt.gr.jp/cinema19.html ジャガイモ博物館。ジャガイモと映画 19

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