201.『転 々』
2007年、邦画。監督:三木聡。
直木賞作家・藤田宜永の小説作品の映画化。幼いころに両親に捨てられた孤独な大学8年生の竹村文哉(オダギリジョー)は、いつの間にか84万円もの借金をこしらえ返済のアテが無く、返済の期限があと3日に迫っていた。しかし、その期限の前日、借金取りの福原愛一郎(三浦友和)が、「借金をチャラにする代わりに自分の東京散歩に付き合って欲しい。」と持ちかける。更に、その報酬として100万円を貰えると言われ、胡散臭さを感じながらも福原の提案を受け入れ、吉祥寺から霞か関まで歩く“東京散歩”が始まる。
途中、福原の"ニセの妻"麻紀子の家を訪れ、両親がいない文哉は擬似家族体験をするが…。
このダメ男2人のゴールは桜田門にある警視庁。三浦友和扮する借金取りの自首が目的と知らせてくれ、コミカルなショート・コントの集合体のように進行していく、途中まず、福原の"ニセの妻"麻紀子(小泉今日子)の家を訪れ、両親がいない文哉は擬似家族体験をする。
姪の天真爛漫なふふみ(吉高由里子)がいて、麻紀子と一緒にカレーライスをつくる温かなシーンがあるのがよい。(ロケの時、吉高は小泉からジャガイモの皮の剥き方とか、小さなことを教えてもらったそうである。なお、彼女が風呂場で歌うのは監督の娘さんが作ったものとか。)捨て子であった竹村文哉が様々な人との触れ合いを経験したり、家族の温かみを疑似体験するようなストーリー展開を見せる。こうして今まで知らなかった家族愛のような気持ちを芽生えさせるのがカレーライスを食べるところ。作中に三木監督の考えらしい言葉もでる“幸せは来ていることは気づかないくらいジンワリやってくる。でも、不幸はとてつもなくハッキリやってくる。”そして、何が飛び出すか、誰が出てくるかを楽しみにしながら見ていくことになる・・・。
(2019.1.15)
202.『アフター・ウェディング』(原題: Efter brylluppet、英題: After the Wedding)
2006年、デンマーク映画。監督:スザンネ・ビア。
インドの孤児院で援助活動を行なっているヤコブ(マッツ・ミケルセン)のところに、デンマークから電話が入る。大実業家のヨルゲン(ロルフ・ラッセゴード)の会社から寄付の申し出である。しかしそれにはヤコブがコペンハーゲンを訪れて面会するという条件がついていた。閉鎖されようとしている孤児院を守るため、ヨルゲンに会わなければならない。
着いてみるとヨルゲンは、まだどの団体に寄付をするか決めておらず、決定は後日すると語る。話が違うと戸惑うヤコブをよそにヨルゲンは、娘アンが週末に結婚するので、式に来るようにと半ば強引にヤコブを招待する。支援金のため、またもや仕方なく、出席することにする。結婚式に出席したヤコブはそこで、20年振りに元恋人のヘレネに再会する。ヘレネはヨルゲンの妻となっていた。しかも結婚式のスピーチで娘アンは、自分はヨルゲンの実の娘ではなく、ヘレネの前恋人の娘であると明かす。アンは自分の娘かもしれないと動揺したヤコブは翌日、ヘレネを問い詰める。愛情と財政的に厳しい孤児院のこと、どう進めるべきか・・・。
ジャガイモ絡みで観ると、お酒を飲むシーンがとても多い。現実からの逃避酒、お祝い酒【写真】、和解の酒、心穏やかに夜空を眺める酒、と言った具合。スカンディナビア半島に近いデンマークなのでジャガイモや穀類を原料とした無色の強い蒸留酒シュナップスが中心のようである。ドイツなどでも飲まれ、味、香りのないものから、フルーツやハーブで味、香り付けをしたものなど、様々な種類がある。
(2019.1.16)
203.『ホワイトナイツ/白夜』(原題: White
Nightsg)
1985年、アメリカ映画。監督:テイラー・ハックフォード
芸術の自由を求めて祖国を捨てたソ連の青年と、自国の政策に抵抗してソ連に亡命したアフリカ系アメリカの青年の友情を描く。
ニコライ(愛称コーリャ)・ロドチェンコ(バリシニコフ)は、ソ連からアメリカに亡命した経歴を持つバレエダンサーである。ある日、彼を乗せた東京行きの飛行機が白夜のシベリアのとある空港に不時着した。ニコライはKGB幹部のチャイコ大佐(イエジー・スコリモフスキ)に発見されてしまう。
チャイコは、アフリカ系アメリカ人のタップダンサーで、ソ連への亡命者(ベトナム戦争の脱走兵)であるレイモンド・グリーンウッド(ハインズ)とコンタクトをとり、ニコライが脱走しないよう目付役をしている彼と共にレニングラードへと送った。チャイコはニコライを新装されるキロフ劇場に再び登場させようと考え、その説得役として黒人のレイモンド(グレゴリー・ハインズ)と妻ダーリヤ(イザベラ・ロッセリーニ)の夫婦に彼を預けた。ニコライとレイモンドとの間には、当初人種上、芸術上、そしてお互い正反対の立場にある亡命者であるということから生じた摩擦があったが、やがて互いの立場を理解し、ニコライはダンスをすることを了解する。
ある日、レイモンドは、妻のダーリャ(ロッセリーニ)が妊娠していることを知る。自分の子供をソ連で育てたくないという思いからレイモンドは心を決め、ニコライと共にソ連脱出のプランを練る。まだニコライを愛していたガリーナもこの計画に手を貸した。だが、まさに計画の進行中、レイモンドは脱出せずにとどまることを選ぶ。ニコライとダーリャが、レニングラードのアメリカ領事館へと到着するまでの時間を稼ぐためだった。
何日か経ったある日。深夜、レイモンドはチャイコに車で連れ出されたされた。処刑か?不安に襲われるレイモンド。だが、国境でニコライとダーリャが彼を待っていた。最終的にアメリカの被拘禁者と捕虜交換が成立したのだ。レイモンドはダーリャと、そしてニコライと固く抱きあった。
この映画の撮影は、ロンドンにセットを組んで行われた。レニングラードの街の雑感を出すため、映画撮影の前にレニングラードまで出かけている。同行したイザベラ・ロッセリーニ(ダーリア役)が語ったことが残っている。
「豪奢なホテルのレストランでメニューの料理を頼んでも、何もつくってもらえず、いつもジャガイモばかりだった」と語った。(写真:イザベラとバリシニコフる)。
ベルリンの壁崩壊(1989年)の前で、「鉄のカーテン」の向こうについてほとんど情報のなかった当時は、観客もソ連の人々の日常風景に目を見張り、釘付けになったとか。
(2019.1.17)
204.『聖者たちの食卓』(原題:Himself He
Cooks)
2011年、ベルギー映画。監督:バレリー・ベルトー、フィリップ・ウィチュス。
インドのシク教総本山ハリマンディル・サーヒブ(通称「黄金寺院」)では、人種や階層に関係なく、巡礼者や訪問者に食事が無料で提供されている。その毎日約10万食におよぶという、食事がどのように用意されているのか、飽食の時代にあって無駄のない支度の様子や、調理、後片付け、巡礼者たちがひとつの家族になったかのような食卓の風景も映し出され、人々が公平に満たされることで心穏やかになる世界や、無償で働く人々の厳かな存在を描き出していくものである。
富めるものが、貧しいものにお布施をするとか、聖者に食べ物を提供するとかの映画ではなく、老若男女だけでなく、富める者も貧しそうな者も、皆同じように働き、同じように食べるのであった。
映画のシーンはジャガイモの収穫から始まる。その細かな作業ひとつひとつが「奉仕の尊さ」に繋がっている。笑いながらにんにくを剥く人、少し固い表情でチャパティを焼く人、玉ねぎを涙しながら切る人、カメラに目線を送っても手は休めない人等々、どの担当者の表情も活き活き輝いている。こうして出来上がった料理は、来院した人びとに食べてもらい、膨大な後片付けも笑いと食器の生活音として流していくことになる。聖なるキッチンの音の洪水で心地よくなったところで、「500年続くこの黄金寺院の食堂は無償の奉仕で営まれている」という一文がフッと入って映画は終わる。
(2019.1.18)
205.『クロワッサンで朝食を』(原題:Une Estonienne a Paris)
2012年、フランス、エストニア、ベルギー合作映画。 監督:イルマル・ラーグ。
子育てと母の看病に追われて人生の半ばを過ぎてしまったエストニア人、アンヌ(ライネ・マギ)のもとに、パリでの家政婦の仕事が舞い込む。
昔憧れていた都で待っていたのは、高級アパルトマンに独りで暮らす、毒舌で気難しい老婦人フリーダ(ジャンヌ・モロー。当時85歳、最後の映画)だった。夫から莫大な財産を引き継ぎ、家の中ではシャネルのパンツスーツを颯爽と着こなし、首にはパールネックレスなどあしらいファッションで身を包む。しかし、日常の家事は誰かの手を借りなくては生きていけないが、誰の助けも求めていない。
アンヌを雇ったのは近所でカフェを経営するステファン(パトリック・ピノー)であり、アンヌは彼をフリーダの息子と思っていたが、そうではなく、驚くことに、彼女の数十年来のかなり年下の、恋人であったのだ。アンヌにフリーダは女としてのライバル心を隠そうともせず、訪ねてきた元恋人を前に甘えたり、すねたりする。クロワッサンの買い方も知らないアンヌを冷たく追い返そうとすることから始まり、小さな衝突を繰り返しながら、次第に二人は心を通わせていく。
実は、フリーダも昔エストニアから出てきた亡命者だった。フリーダはアンヌにかつての自分を重ねる。そこでアンヌは野菜のスープやジャガイモ料理など、昔懐かしいエストニア料理をつくってやるのだが、アンヌは一切、口にしない。フリーダは、移民の多いパリで暮らすエトランゼであり、デラシネ(故郷や祖国から切り離された人)の代表格なのだ。故郷にすがる甘さを捨てねばいけない。そして、彼女が得たアイデンティティはパリのマダムという新しい人格。自分の責任で自由奔放に恋をし、男にすがらず、シャネルで身を包み、毅然と生きる。その彼女が喜んで口にするのが、毎朝の焼き立てのクロワッサン。口に入れるとサクっと音がし、砕けていく。これが、パリのマダムの正統なる主食なのである。
やがて二人は唯一の共通点だった悲しみと孤独との上手な付き合い方、生きる輝きや幸せを見出していくのだった。
(2019.1.18)
206.『ウォーターホース』(原題:THE WATER
HORSE: LEGEND OF THE DEEP)
2007年、アメリカ映画。監督:ジェイ・ラッセル。
第二次大戦時のスコットランド北西部。出征中の父の帰りを待つ少年アンガス(アレックス・エテル)は、ネス湖で石を見つけ、父の仕事場だった小屋へと持って行き、水で洗いナイフで外側を削ってみると中から青く光るものが現れ、アンガスは驚く。夜物音がしたので、様子を見にいくと、それが地面に落ちていて、動く気配と鳴き声も聞こえた。その後、触ろうとするがアンガスに噛みつこうとする。アンガスは台所からジャガイモを一つ持ってきて、一口大に切り、その生き物に与えてみたところ美味しそうに食べた。
その不思議な生物をクルーソーと名付けて、母親の目を盗んで育てることにする。またたく間に大きくなり、ネス湖に放し、アンガスは大人たちの目を盗んで会いに行くようになる。
どんどん大きく活発になるクルーソーを隠しきれず、姉とルイスに見つかってしまう。クルーソーは自分の大切な友達だと訴えるアンガスに二人は秘密を守ってくれることになる。ルイスはクルーソーは"ウォーターホース"である教えてくれる。この世にいつも1匹だけしかいない不思議な生き物なのだと。
その後、村人にも知られ、この不思議な怪物のことを宣伝すれば、戦争が終わった頃にはたくさんの観光客が村にやってくるだろうと、それらしい写真を捏造することを思いつく。それこそが後世真贋論争を巻き起こした例の写真であった。やがて軍も巻き込んだ怪物退治へと発展していく。
再び現代。それきりクルーソーの姿を見た者はいない、と老人は長い話を終わらせます。「おじいさんは誰?」の問いに「わしがアンガスだよ」と答える老人。そして老人の話も終わった頃、湖のほとりでひとりの少年が不思議な卵を見つける。
スコットランドに伝わる伝説の海獣“ウォーター・ホース”を題材に、ニュージーランドで撮影した、少年の心温まる友情と成長を描いたドラマであった。実際のネッシー騒ぎは、1934年にロンドンの外科医が湖面から突き出した怪物のような写真を撮ったことに始まった。
(2019.1.21)
207.『アンジェラの灰』(原題:Angela's Ashes)
1999年、アメリカ映画。アラン・パーカー監督。
フランク・マコートの同名ベストセラー小説を映画化したもの。
アイルランド出身のマラキ(ロバート・カーライル)とアンジェラ(エミリー・ワトソン)は、ニューヨークで出会って結婚する。二人の間にはフランクを始めとする5人の子供が生まれるが、マキラには仕事が見つからなく、酒びたりの日々を送り、一家の生活は厳しい。末娘を亡くしたのを機に、一家は祖国アイルランドへ戻り、南部のリムリックで暮らすようになる。信仰心は高いものの、相変らず酒びたりであり、生活は一向に良くならない。悲惨な生活の中にユーモラスなエピソードも交えつつ、生き残った兄弟は精一杯、明るく生きていく。
そんな経過を長男フランクの年齢に合わせて3人の子役が演じ分けるが、皆自然な演技を見せてくれる。彼の視点が中心となって進められ、過酷な日々が語られるため、総じて暗くて重い。アイルランドの悲惨な生活が伝わり、その中に人生の切なさや、ささやかな喜びを共感できるところや、さり気なく感動できるシーンを織りこんでいる。少年になったフランクが電報配達員として出会った少女と初恋をする描写も入れたりして観る人の心を癒してくれるところもある。
そして主人公の少年が成長してやがてひとりアメリカに旅立とうと決意する・・・。
ジャガイモ関係では、酔っぱらいの叔父さんの持ち帰ったチップス(フライド・ポテト)の新聞紙についた油と塩をアンジェラが舐めるシーンがあった。
(2019.1.22)
208.『マイケル・コリンズ』(原題:Michael Collins)
1996年、イギリス、アイルランド、アメリカ合作映画。監督:ニール・ジョーダン。
アイルランドの独立運動家であるマイケル・コリンズの生涯を描いている。【写真はキルメイナム刑務所】
以下、ウィキペディアによると、『1916年イギリスからの独立を目指したイースター蜂起の中でマイケル・コリンズ(リーアム・ニーソン)は中央郵便局でイギリス軍と交戦していた。その中にエイモン・デ・ヴァレラ(アラン・リックマン)もいた。捕らえられた首謀者達はキルメイナム刑務所で処刑され、蜂起は失敗に終わる。
刑期を終えたコリンズは、親友のハリー・ボランド(エイダン・クイン)と共に、ゲリラ戦で統治側である警察を悩ませ、リーダーとして頭角を現して行く。抵抗活動で怪我をしたコリンズは、キティ(ジュリア・ロバーツ)に出会う。ダブリン市警察のブロイ(スティーヴン・レイ)から内部情報を得て抵抗を続ける中、イギリスからソームズ(チャールズ・ダンス)が新たに派遣され、抵抗組織(IRA)への締め付けを強めて行く。コリンズはカイロ・ギャングと通称されるMI5のスパイ網のメンバーを次々と暗殺していくが、クローク・パークでは警察部隊ブラック・アンド・タンズにより一般市民が無差別に殺される(血の日曜日事件)。
キルメイナム刑務所から助けられたデ・ヴァレラは、ボランドと共にアメリカ合衆国大統領に支援を求めに行く。交渉は失敗に終わり、ゲリラ戦では政治的サポートが得られないと、通常戦でカスタム・ハウスを攻撃するが、攻撃は失敗し、IRA側に多くの犠牲が出る。デ・ヴァレラに説得され、コリンズはイギリスとの交渉団に参加し、英愛条約が調印される。
1922年、英愛条約は議論の末、議会で批准されるが、条約の内容に同意できないデ・ヴァレラは議会を去り、ボランドもコリンズを離れる。アイルランド自由国が誕生し、ダブリン城でイギリスからの主権の引継が行われる。アイルランド総督に「君は7分遅刻だ」と咎められると「あなたたちは700年も待たせたのだから7分くらい待てるだろう」という。自由国軍はフォー・コーツにいる反対派IRAに向けて砲撃し、内戦へと発展して行く。内戦では、共に戦って来たアイルランド人の両派に多大な犠牲が出る。コリンズは内戦を終わらせるべく、デ・ヴァレラに会いに故郷のコークに向かう。キティはダブリンでコリンズの帰りを待っていた。』
以上があらすじである。
アイルランド共和国はイギリス領ではなく、独立国であり、ユーロが使われている。アイルランドの近代史は独立のための戦いの歴史と言えよう。この映画のロケ地となったキルメイナム刑務所は1796年に建てられ、2年後に起きた反乱の関係者が収監されることになった。すなわち、この刑務所はイギリスの圧政に対する反乱の首謀者、政治犯が処刑された場所である。待遇は本当にひどく、拷問は普通に見られたと言う。
アイルランドの首都はタブリンである。月別平均気温はマイナスになることなく、8月の平均最高気温は30℃に達しない。温暖であり、高温を嫌うジャガイモ栽培に好適な土地。このジャガイモを主食にすることで人口が急速に増大していた。しかし、その後1845年から1849年の4年間にわたるジャガイモの疫病の大発生により、最終的にはアイルランド島の総人口が最盛期の半分にまで落ち込んだ"Great Famine"(大飢饉)が発生した。皮肉にも、このジャガイモ飢饉の際はこの刑務所の方が死亡率が低かったと言われ、さまざまな人がわざと盗みをして、この刑務所に入ろうとしたと伝えられている。
(2019.1.23)
209.『マグダレンの祈り』(原題:The
Magdalene Sisters)
2002年、イギリス、アイルランド合作映画。監督:ピーター・マラン。
1996年までアイルランドに実在したマグダレン修道院に収容されていた女性たちの衝撃的な実話を映画化したドラマである。
1964年、アイルランドのダブリン。従兄弟にレイプされたマーガレット(アンヌ・マリー・ダフ)、孤児院の少年たちの人気の的で色目を使ったバーナデット(ノーラ・ジェーン・ヌーン)、未婚のまま出産したローズ(ドロシー・ダフィ)の三人は、ふしだらな罪深い女と見なされ、マグダレン修道院に収容された。頑固なアイリッシュの父親たちが、伝染病患者を隔離するように、娘の言い分には耳を全く貸さず修道院に送り込む。ここでは、そのような子供たちのための施設も運営するなどしていたが、実態は、刑務所以上に過酷で自由がなく、労働は、早朝から深夜まで。賃金無しである。主な仕事は洗濯(手洗い)だが、暴力、強制労働といった形の虐待、性的行為の強要といった性虐待が横行していた。施設内で起きていることは、まさに「密室内での出来事」となっていた。
こんなこともあった。すっ裸で一列に並ばされ、シスターたちに裸の品定めをされて笑われ、泣きながら耐えたり、シスターたちの豪華な食事を眺めながら、収容者はジャガイモばかりを食べさせられた。
マーガレットは、数日前に脱走したウーナが実父により連れ戻されるのを見て絶望感に襲われる。そしてある日、マーガレットは、自殺未遂を起こしたクリスピーナが、フィッツロイ神父の自慰の手伝いをさせられているのを目撃する。性の知識がない彼女らがそれをシスターに訴えると、指導という名の一層の虐待が待っていた。まもなくクリスピーナは精神病院へと送られた。クリスマス、施設にマーガレットの弟がやってくる。マーガレットは彼に連れられてあっさりと施設を出られた。ローズは友達の誘いにのって逃亡を決意しなんとか成功し、街でそれぞれ新しい生活を始めるのだった・・・。
(2019.1.24)
210.『万引き家族』
2018年、邦画。監督:是枝裕和 。
「三度目の殺人」「海街diary」の是枝裕和監督が、家族ぐるみで軽犯罪を重ねる一家の姿を通して、人と人とのつながりを描いたヒューマンドラマ。
東京の下町。高層マンションの谷間に取り残されたポロ平屋に、持ち主である初枝(樹木希林)と全く血縁関係のない人々、つまり治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)の夫婦、息子あつかいの祥太(城桧吏/じょう・かいり)、信代の妹の亜紀(松岡茉優)の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である祖母らしき初枝(樹木希林)の年金月額7万円弱かタダの家賃かも知れない。そして足りない生活費は、万引きで稼いでいた。社会の底辺にいるような一家だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。初枝も後に「ありがとうございました」と声を出さずに語るほど。
物語の始まりは、ある冬日。治と翔太が商店街でコロッケを買って帰るシーンの後団地の陰で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に連れ帰り、夕食に「コロッケ、もう一個どう?」と渡すシーンがある。早速お寝小をしてくれるが、警察に届けず、信代は娘として育てることにする。家族6人で海水浴を心から楽しんだり、遠い花火を皆で楽しんだり、皆かっての不幸を忘れて、本当の家族以上仲がよい。
しかし、果物を盗んだ翔太が追われて骨折したことで、警察と役所により家族はバラバラに引き裂かれ、信代は誘拐・祖母の死体遺棄の犯人として留置所へ入ることになるが、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく・・・。
アパートにひとり暮らしとなった治のところに、施設に入れられた翔太が顔を出しカップ麺とコロッケを仲良く食べたり(写真)、観客をして庶民的食べ物"コロッケが食べたくなる。"と言わせそうなシーンが多かった。
是枝監督自体がコロッケ好きで、「コロッケをラーメンに浸すと、コロッケの油とジャガイモが溶けて・・・。一度やるとハマると思います。スタッフも編集中に何度かやりました。おいしいです。ぜひ試してみてください。」
と、日本映画としては1997年の「うなぎ」以来21年ぶりとなるカンヌ映画祭パルムドール受賞の記者会見で語っていた。
(2019.1.25)