ジャガイモの出てくる 映 画  第22集

浅間和夫

221.『大どろぼう ホッツェンプロッツ』(原 題:DER RAUBER HOTZENPLOTZ)
1974年・西ドイツ映画。監督:グスタフ・エームック。
ドイツの作家オトフリート・プロイスラーによる児童文学作品のシリーズ。ドイツの田舎町を舞台にした、大泥棒ホッツェンプロッツと彼を捕まえようとする2人の少年のアクション物語。
 おばあさんの大切なコーヒーひきが、大どろぼうホッツェンプロッツに盗まれてしまった。大魔法使いツワッケルマンや妖精も登場して、コーヒーミル奪還のため。頭の良い少年カスパールと純粋なゼッペルの大活躍がはじまる・・・。
 タイトルのホッツェンプロッツ(声:ハナ肇)は、この物語の主人公。つばの広い帽子を被り、モジャモジャの黒髭と凄いかぎ鼻が特徴の大男。少し太っているが動きは機敏。腰に締めた幅広の革ベルトにフリントロック式拳銃1丁と7本の短刀を差している。料理の腕もなかなかのもの。好物は嗅ぎタバコとキノコスープ。性格は大胆にして狡猾、冷酷で欲深く、欲しい物は力づくで奪う悪党。“大どろぼう”だが、窃盗、強盗、誘拐までやってしまう。
 ホッツェンプロッツの友人にペトロジリウス・ツワッケルマンという森の奥深くに住む魔法使いがいる。ツワッケルマンは大食漢でジャガイモが好物であり、一度に洗濯釜いっぱいのマッシュポテトを平らげてしまうほどである。彼はいろいろな魔法を使いこなすが、何故か、魔法でジャガイモの皮を剥くことだけはできないため、その作業に従事できる召使を欲しがっていた。そして、捕まえた子供にやらせる。ジャガイモの皮剥き作業は単調だけでなく、面倒臭いのかも。薄く剥くと窪んだ目にある土やアルカロイドを含む表皮部分が残ったり、厚く剥くと廃棄率が高まる(註)。そのため集中力が必要であり、手抜きすれば判る、地味で辛い作業だ。
 妖精も登場して、ホッツェンプロッツと少年たちの知恵比べがテンポよく、ユーモア入りで展開されていく・・・。
註。プロイセン国王/ドイツ皇帝であり、ジャガイモを家畜の飼料から富国のための原動力に格上げさせたことで知られるヴィルヘルム2世が出した勅令に「ジャガイモは皮をつけたまま食べよ。しかし、どうしても皮を剥く必要があるなら、決して生のうちに剥くな。必ず蒸すか、煮た上で剥くようにせよ」と言うのがあった。そして、勅令の後には内務大臣の次のような注釈が添えてられていた。「ジャガイモを生のままで皮を剥くと、皮に中身が11%も着いて捨てられる。蒸すか煮るかしてから皮を剥くと、容易に薄い皮だけをむくことができる」と。 目の深い「男爵薯」なら捨てられる%はもっと高くなると知るべきである。 (2019.2.16)

222.『歌え、翔べない鳥たちよ』(原 題:I Know Why the Caged Bird Sings)
 1979年、アメリカ。監督:フィルダー・コック。
アメリカの黒人女流詩人で作家、俳優のマヤ・アンジェロウ(Maya Angelou)が少女時代の思い出を綴った自伝的小説'I Know Why the Caged Bird Sings'(矢島翠訳『歌え、翔べない鳥たちよ』青土社。2018年)のTV映画化したもの。この映画は日本で上映されたか不明なため、邦訳タイトルは小説から借用し、以下の内容も主にウエブ『アメリカ映画"南部もの"大全集』から頂戴した。
 1930年、アーカンソー州の田舎町。駅舎もホームも無い駅に、二人の少年、少女が降り立った。少年はベイリィ5歳で少女はマヤ4歳。両親が離婚したため、父方祖母に預けられることになったのだ。祖母は雑貨屋の女主人で優しい人。脚が不自由で吃りでもある叔父(父の弟)は結婚もせず母の商いを手伝っている。二人に囲まれ、子供達はすくすくと育つ。成長した二人は学校の先生も舌を巻く才覚を現わしていた。
 人種差別のひどかった頃の話。ある晩、黒人に反感を持つ秘密テロ組織Ku Klux Klan と呼ぶ組織の人たちがやって来ると親切な白人が予告してくれた。野菜保管庫のジャガイモとタマネギを箱から出し、叔父に隠れてもらい、それにジャガイモなどを被せて隠してやりリンチから逃れる。K.K.K.は燃える十字架だけを残して去る。近所の白人の娘達がやって来て、祖母を馬鹿にする。マヤは怒るが、祖母は「長いものには巻かれよ。さもないと命が危ない」と諭す。
 カリフォーニア州サンフランシスコのホテルで働いている父がやって来た。いい車で、身なりもいい。マヤはこのままアーカンソーにいたかったが、父の車に乗せられ、祖母と別れて旅立つ。カリフォーニアに行くのだとばかり思っていたら、父が車を止めたのはミズーリ州セントルイスの実母の家だった。二人はここで暮すことになる。母は美しく活発な女性であり、賭け事酒場でカード・ゲームのディーラーをしている。そんな母に愛人がいた。その男フリーマンは優しい顔に似合わず押しつけがましく、母も持て余していた。ある日、母の留守をいいことに、マヤを手ごめにする。バラすと兄を殺すと脅す。マヤは兄の身を案じて何があったのか隠し通していたが、兄だけに真実を話す。数日後、一旦逮捕され、釈放されたフリーマンは何者かに殴り殺される(実は母の兄弟達がやった)。マヤは自分が喋ったために人一人が死んだのだと愕然とし、以後何も話さなくなってしまう…。(2019.3.4)

223.『妹の恋人』(原題:Benny & Joon )
1993年、アメリカ映画。監督:ジェレマイア・チェチック。
 「シザーハンズ」の主人公・エドワードを演じたジョニー・デップ、「フライド・グリーン・トマト」のジューンメアリー・スチュアート・マスターソン共演によるこころ温まるヒューマン・ラブ・ストーリー。
 ある田舎町の自動車整備工場に勤める青年ベニー(エイダン・クイン)は、両親の死で心を病み自閉症気味となった妹(ジューンメアリー・スチュアート・マスターソン)に振り回されながらも彼女を支え、12年間兄妹だけで生きて来た。そんなある日、ふとしたことから友人の従兄弟である文盲の青年サム(ジョニー・デップ)を引き取るはめになったベニーは、サムをジューンの世話役として使うことにした。
兄妹とサムが出会ったばかりのレストランでサムがパンにフォークをさして遊ぶシーンもいいが、次の筆者期待のサムがジャガイモをマッシュポテトにするシーンのサービスもある。
 そのサムは、サイレント映画に憧れ、バスター・キートンやチャップリンをはじめ、様々な映画の登場人物をパントマイムでモノマネするのが得意という変わった雰囲気を持つ青年であった。そんなサムとジューンのやりとりが面白く、ジューンが自然に惹かれていく・・・の青春映画であった。
 2019年3月9日放映のバラエティ特番「成功の遺伝史6」(日本テレビ系。札幌はSTV)があり大阪なおみ等を取り上げていた。スペシャルゲストで出ていたお笑いコンビ・野性爆弾のくっきーが、自分が影響を受けた人物は頭書に書いたハリウッド俳優のジョニー・デップであると語った。恰好が悪くてダサいところを演じると上手いから惹かれると。

224.『ブルックリン』(原題:Brooklyn )
 2015年に製作されたドラマ映画。アイルランド・イギリス・カナダ合作。監督はジョン・クローリー。脚本はニック・ホーンビィ。コルム・トビーンによる同名の小説を原作としている。
 時代は1951年、アイルランドの町で姉と暮らすエイリシュ(シアーシャ・ローナン)は年頃の娘。閉鎖的な環境の中、ミス・ケリーが営む食料品店に務め、自らの可能性を磨く機会もなく燻っていた。そんな彼女に姉ローズはもっと景気のよいニューヨークで働く機会を用意してくれた。
 慣れないデパート勤務と勤労女子たちとの寮生活のなかに入ったものの、大都会でホームシックになる。そのとき、背中を押してくれたり手を差し伸べてくれたりするのは、フラッド神父や寮母のキーオ夫人といった、自らと同じようにアイルランドから遠くやってきていた同郷の人びと。
 彼らとテーブルを囲んで食べるアイルランド料理は、小さい頃からずっと食べてきた味であり、とても懐かしい。ジャガイモそのものやジャガイモの入ったアイリッシュ・シチュー、ブラッドソーセージ(血液の腸詰料理)、そして無発酵の重曹で膨らませたパンなどがテーブルに揃うと心休まるのであった。
 その上、余裕や向上心を失いかけていた彼女にフラッド神父は大学の会計士コースの受講を薦める。それに従う彼女は少しずつ自信を取り戻し、容貌に華やかさを表すようになっていった。そして、イタリア系の青年トニーとダンスパーティーで出会い、恋に落ちる。純粋に未来を夢見る。ところがしかしエイリシュの姉が病気で亡くなったことで事態は一転。エイリシュは一人故郷に残された母親を思い、1ヶ月だけアイルランドに帰ると言って帰ってしまう。彼女はもう二度とアメリカには戻って来ないんではないかと思ったトニーはそこで彼女にプロポーズし、二人はめでたく結婚する。
 急遽帰郷した彼女は、そこで昔馴染みの青年ジムと再会し、立派な紳士となったジムの包容力に身を委ねたい気持ちに育まれてゆく。トニーへの後ろめたい感情を次第に忘れてゆく彼女ではあったが、かつての雇い主であったミス・ケリーは彼女が既婚者だという秘密を暴く。エイリシュにとって、それは冷水を浴びせられるような経験であり、もはや帰る故郷はない事実の証明でもあった。
 ニューヨークで、妻の帰還を待ちわびつつ仕事に精を出すトニー。彼はある日、通りの向こうに愛する女が立ち、微笑みかける姿を見るのだった・・・。映画のキャッチフレーズは、『故郷も愛も二つは持てないのか』。

225.『クーデンホーフ光子』(特別追加 )
表題の女性はEUで最も有名な日本女性のひとりであり、私的にはオーストリアでジャガイモを栽培した人でもあるため、映画ではなく、1973年NHKの特別企画番組であるが、これを参考にして取り上げることにした。
 青山光子(吉永小百合)は、1874(明治7)年に東京市牛込納屋町に生まれた。父の青山喜八(加東大介)は、今日その地名が残るほどの骨董商を営む大地主。店の前で凍った水溜りに滑って転んだ男性、オーストリア代理公使の肩書を持つ、ハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギ−伯爵(ミヒャエル・ミュンツァー)を介抱した縁で結ばれる。両家の反対を押し切ってミツコ21歳(1895年)の時、入籍に漕ぎつける。
 夫のハインリッヒに帰国命令がでて、二人の息子(光太郎・栄次郎)をつれてオーストリアのボヘミア地方に行く。さらに5人の子供を授かり、ロンスベルク城で幸せな日々を送っていたが、日露戦争がはじまった頃、彼女は結核にかかり、南チロルで闘病生活を送ることになる。明治女の頑張りか、日本がロシアに勝ったことが励みになったのか、ミツコの病状も良くなっていった。ようやく、一家はボヘミアに戻ることができたが、夫ハインリッヒが突然亡くなる。やがて、第一次世界大戦がはじまり、不幸にもオーストリアと日本は敵国になってしまう。しかし長男と三男を戦線に送り、自らは3人の娘を連れて、赤十字に甲斐甲斐しく奉仕したため、この家族に人々は好感を抱くようになる。
 さらに注目したいのは、ミツコは領地の農民を指揮して、森林を切り開き、畑をつくりジャガイモ植え、収穫したジャガイモを、借り切った貨車に詰め込み、男装して自ら監督しつつ、国境の戦線にまで運ばせる。ロシア軍に苦戦し食糧難にあったオーストリア・ハンガリー帝国軍の兵士達は、「生き身の女神さまの御来臨だ」と、塹壕の中で銃を置いて、ミツコを拝んだとか。このジャガイモは終戦(1918年)後の飢えた民を救うのにも貢献できた。
 1919年パリのゲラン社は、"慎ましやかでありながら、強い意志を秘めた女性をイメージした香り"の「MITSOUKO(ミツコ)」という香水を創作販売した。  家庭では、次男のリヒャルトが13歳も年上の女優イダ・ローランと結婚すると言い出し、光子は反対する。するとリヒャルトは家を飛び出し、ついで、「汎ヨーロッパ主義」という本を著し、一躍ヨーロッパ論壇の寵児となる。そして、有名なハンフリー・ボガートと、イングリッド・バーグマンの名作映画「カサブランカ」にも登場している。

参考: 1)NHK特別企画TV番組、1973、「国境のない伝記」「ミツコ-二つの世紀末」。
2)クロード・ファーレル著・野口錚一訳、1991、戦闘(ラ・バタイユ)、葦書房。

226.『山椒大夫』(さんしょうだゆう)(特別追加 )
1954年、邦画。監督:溝口健二。
欧米に影響を与えた日本映画のひとつとしても知られる。しかし時代背景の関係もあり、ジャガイモが出てくるわけではない。この映画を見て遅く帰ったたために、一晩中ジャガイモの皮を剥く羽目になった若き日の映画監督ビクトル・エリセ・アラス(Victor Erice Aras、写真)のことを取り上げることとしたい。彼はスペイン出身の映画監督・脚本家である。短編映画を除けば、3作品しか監督しておらず、も寡作な監督として知られている。その第二作『エル・スール』はカンヌ国際映画祭で高評価をされるも、今村昌平監督の『楢山節考』が作品賞を受賞した。
 2006年 「溝口健二没後50年プロジェクト」のために来日している。同年9月5日付の朝日新聞には監督が、兵役中だった1963、4年ころ、マドリードで「山椒大夫」を見たときのエピソードが掲載されていた。最後まで見ることは門限を破ることだったが「映画は門限破りの懲罰を要求しているかのようでした。おかげで映画史上で最も美しいフィナーレを見ることができたのです」と語ったという。
古今東西の名作・傑作を鑑賞しているというにじばぶ氏のWeb 『にじばぶの映画』によると、
『1963年、溝口がこの世を去って7年後、スペイン・マドリッドのフィルモテカで、溝口健二監督作品の特集上映が行われました。ビクトル・エリセはこのとき、初めて溝口の作品をみました。
『山椒大夫』の最後の30分。山椒大夫の館を逃げ出した厨子王は、丹後の国守となって戻り、館の奴婢たちを解放します。しかし、そこにはすでに安寿はいません。厨子王を助けるために安寿が入水自殺したことを知り、傷心を抱きながら、母・玉木を探して佐渡島へ向かう厨子王、そして、老い果てた母との再会。まさにこの映画のクライマックスです。もちろん、エリセは、途中で帰ることはできませんでした・・・。兵舎では懲罰が待っています。けれど、エリセの心は満ち足りていました。
「人生を凌駕する、人生を越える映画が存在する」
『山椒大夫』はエリセにそう感じさせました。その日、エリセは、ゆっくりと歩いて兵舎へ帰りました。
兵舎では、門衛が待ち構え、遅く帰ってくる理由はひとつしかないだろうというような、にやにや笑いを浮かべて、「いったい何をしていたんだ」と問いました。エリセが「映画をみていたのだ」と答えると、門衛はあてが外れてムッとしたような、あきれたような顔をして、食堂を指さし、「あっちへいけ」と言いました。そこで、エリセは門限を破った懲罰として、一晩中、ジャガイモの皮をむきつづけたのです。幸せな気持ちで。』

227.『若い女 』(原題:Jeune femme)
2017年、フランス映画。監督:レオノール・セライユ。
フランスの女性監督がフランス国立映画学校の卒業制作として書いた脚本をもとに作成した。
 パリで暮らす31歳という若い?ポーラ(レティシア・ドッシュ)は、10年付き合った写真家の恋人に突然別れを告げられる。お金も家も仕事もない彼女は途方に暮れ、恋人の飼い猫とともにパリを転々とするはめに。自由奔放なるが故に、実家に戻ろうとしても母親から拒絶されてしまう。
 やがて住み込みのベビーシッターのバイトを探し出し、ショッピングモールの下着店でも働きはじめ、ようやく自分の居場所を見つけたかに思えたが……。
 主演のレティシア・ドッシュが何者にも媚びない新たなヒロイン像を体当たりで演じ、現代に生きるすべての女性に贈る、孤独と自由、そして希望の物語。
 この映画では、“ポム・フリット(フレチフライ)”が2回登場する。
1回目は、コインランドリーでつまむファストフード店のもの。2回目は今は疎遠でそりが合わない母親の家での母親の手作りもの。母親は、大きめのジャガイモの皮を剥き、細切りにしたものをたっぷりの油で揚げる。その横でポーラがボウルを抱えてマヨネーズらしきものをつくる。ともに無口だが、かつての仲の良かった二人のようにポム・フリットをつくっていた印象的シーンがある。
 フライドポテトは、17世紀にベルギー南部のナミュール地方で魚の代わりにポテトを揚げて食べたのが発祥であるし、ベルギーでは8月1日を「フライドポテトの日」にしている。これに対し、フランスの大手新聞である「ル・フィガロ」が、フライドポテトは19世紀初頭のパリでつくられたのが最初であるという説を持ち出した。

228.反 撥(原題:Repulsion)
 1965年、イギリス映画。監督:ロマン・ポランスキー。
 ロンドンのアパートで姉ヘレンと妹のキャロル(カトリーヌ・ドヌーヴ。フランス女優、22歳 )が暮らしている。キャロルは美容室で働いていて平穏な感じだが、男性に振り向かれるほどの美貌の持ち主。姉は妻子持ちの男マイケルと不倫していて、毎晩のように壁から姉の喘ぐ声が聞こえてくる。神経質で潔癖性のキャロルは、男性恐怖症になると同時に男に犯される夢を見るようになり、徐々に精神的に壊れて行く。姉と男がイタリー旅行に出る。姉から言われた家賃の支払もせず、引きこもってしまう。
 その後、美容室に出勤したものの客に怪我をさせ、彼女に気があり訪ねてきたコリンを殴り殺してしまい、水の張った浴槽に死体を沈める。家主が家賃をとりに来て、お金を渡したら「精神病院さながらだ」と言われ、腐ったウサギを見つけられる。いやらしい眼で舐め回し、友達になれたら家賃はタダにするといって襲われたため、隠し持っていたナイフで刺し殺す。そして雨の中姉たちが帰ってきて異様な気配を感ずる。近所の人も駆けつけ、一人がベッドをひっくり返すとキャロルがいた。抱きかかえられた彼女は恍惚な表情をしており、少女時代の性的虐待を暗示する傷痕が見られた。
 この「反撥」も「昼顔」も同じカトリーヌ・ドヌーブ主演で、どちらも性の抑圧について描いている映画である。しかし「昼顔」のセブリーヌは、売春という形ですが、解放の方向に向かっているのに対し、「反撥」のキャロルは、どんどん抑圧の方向に向かっていき、歪んでいくサイコホラー映画である。
 映像は凝っていて、神経を逆なでするような電話や時計の音があったり、姉が用意してくれた兎の丸焼きはどんどん腐っていき、傍らに置いてあったジャガイモからは芽が出て、皺くちゃになっていく等、性的嫌悪や、停滞感のイメージを演出するために活かされている。

229.ハナ肇の一発大冒険
 1968年、邦画。監督:山田洋次。
 東京のとある下町商店街で精肉店を営む間貫一(ハナ肇)は、周りからは社長と呼ばれながらも、コロッケに使うジャガイモ皮を剥いている。仕置きを受けたように単純な作業で明け暮れしている。忙しく店を切り盛りする女房(野村昭子)は、そんなくず亭主にいらだっているし、アルバイトの女店員ひろ子(中村晃子)は、いつも遅刻を注意されても馬耳東風のマイペース振り。
 三ヶ月ほど前の話があり、常連客の奥さん(九里千春)が、買ったコロッケに毛が混入して来たとクレームを付けに来ていたシーンもあった。
 ある日、外回りの途中で立ち寄ったレストランで、自分のテーブルに相席をして来た見目麗しい美女(倍賞千恵子)と言葉を交わす内に、その彼女からドライブに連れて行ってくれないか頼まれる。
 別に急用もなかったので、彼女に乞われるまま、フェリーで千葉に向う。そんな二人を追うように付けている怪し気な二人組(石井均、なべおさみ)がおり、目的は、女性が持っているバッグ。逃げる女と目的地が京都から富士に変わってから車の前に、一人の青年が倒れ込んで来る。彼を助けるため、医者のいる大きな町へと向かい、の旅館の停電さわぎで宝石を盗まれそうなところを守ってもらう。
 バッグが無事だった事が分かった女性は、貫一と青年に、宝石の由来を話して聞かせる。実は、以前、とある病院で知り合った余命幾許もないフランス人から、アフリカの独立運動の資金として、現地の人に渡してくれと託されたものなのだと言う。その後一行は警察の検問に気づき、持っている宝石を捜しているのかも知れないと判断した貫一は、彼女の持っていた宝石を思わず車外に放り出してしまう。ところが、その検問は、近くの大塩町で起こった殺人事件の犯人を捜しているのだと分かると、急に、先ほど捨てた宝石の事が悔やまれてならない。そんな中、雪山の中で動きが取れなくなった貫一と女性は、もはやこれまでと観念しかけていた…。
 監督後年の「幸福の黄色いハンカチ」(1977)などに繋がる原点とも言えそうな明るく軽快な喜劇であった。

230.わんばく旋風
1963年、フランス映画。監督:イヴ・ロベール。
 郊外に住む少年ベベール(プチ・ジュビス)の一家がパリの百貨店に買物にやって来た。しかし、思春期の長男チーノ(ジャック・イジュラン)を頭に五人の子供を連れて来たために両親は買物も出来ない有様。チーノに、ベベールの子守役を言い渡したのだが、彼は売子の娘のほうに関心がある。
 買い物を終えた一家は帰るために駅に向うが、チーノはベベールを探して来ると言って百貨店に引き返す。戻ってみると、ベベールは勝手な買物をしたり、レジスターに悪戯したため、弁償を払わされて想定外の散財にもあってしまう。ようやく、家に向う汽車に乗り込むことができたが友達と会い、その子と二人でまた女の子の追っかけに夢中になる。
 目的の駅についたので下車してみたが、驚いたことに、なんとベベールが乗っていたはずの車輛が切り離されていたのだ。彼は家に帰り、家人に内緒で自転車に乗りベベール探しに出かける。その頃ベベールは信号機を破損させて列車を立往生させたり、小さな駅の善良な駅員を手こずらせていたのだった。  チーノの方は自転車を飛ばして行ったものの、またも村の娘に一目惚れして道草を食う。父親もベベールの居ないのに気づき居所を確めて出発する。
 ベベールの方は駅員に話をさせたり、空腹をやかましく訴え無理難題を言ったりして、ジャガイモまで掘らせた。夜になり、雨が激しく降り出し、チーノは強盗と間違われ、父親はその現場検証に立ちあわされるなど、大災難の晩となった。
 無事、朝になって父子は対面でき、ベベール達は家路につく。ところが駅員からもらった花火をホームで飛ばしてからベベールは汽車へ向かったため、その花火が火薬を積んだ貨車に飛び、大音響・・・。
 遠ざかって行く汽車の窓からベベールは「凄えや!」と叫ぶ。1962年の『わんぱく戦争』に続くものに仕上げている。


https://potato-museum.jrt.gr.jp/cinema22.html ジャガイモ博物館。ジャガイモと映画 22

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