231.『主婦マリーがしたこと』(原
題:UNE AFFAIRE DE FEMMES)
19889年、フランス映画。監督:クロード・シャブロル。
第二次世界大戦中、ドイツ軍占領下の北フランス、ノルマンディで、子育てしながら戦場に行った夫を待っている裕福とはほど遠い主婦マリー(イザベル・ユペール)がいた。ある農家の男性のところでジャガイモを掘らせてもらう場面では、「(収穫する面積は)小さくていいから半額でお願い」と値切る。その支払いの際の財布とお金をクローズアップさせ、この映画がお金にまつわる物語になることを示唆する。
ある日隣に住むジネット(マリー・ブネル)の堕胎を手伝い、お礼に蓄音機をもったことで味をしめにわか堕胎医を仕事とする。数日後、夫のポール(フランンワ・クリュゼ)が、傷痍軍人として復員してきる。しかし既にマリーの夫への愛情は、すっかり冷えきっていた。広い家に引っ越してからマリーは、娼婦のリュシー(マリー・トランティニャン)の商売用に自分の部屋を貸してやるようになり、もうひとつ副収入が増える。
やがてマリーは、リュシーの常連客で今はドイツ軍のスパイをしているリュシアン(ニルス・タヴェルニエ)と深い関係になる。そして法律違反の堕胎の稼ぎも順調!?になってくる。しかし、ある日、ポールに.ベットで眠りこけているマリーとリュシアンの現場を見られてしまう。夫の密告により、マリーは警察に逮捕連行される。そして国家裁判所の法廷で裁かれることとなり占領軍ドイツの道徳観の影響もあり、彼女は見せしめにもされたのか国家反逆罪による極刑を求刑される。かくて1943年6月、マリーはフランス最後の女性ギロチンにかかるのであった。(2019.4.1)
232.『黒水仙』(原題:BLACK NARCISSUS)
1946年、イギリス映画。 監督:マイケル・パウエル。
欲望と理想の対立を描くのが得意な監督の作品。有名な「ジャガイモ飢饉」からおよそ100年、アイルランドの小さな村に住んでいた主人公が、恋人が夢を追ってアメリカに行ってしまったことでイギリカのある修道院に入っていた。ある日院長に呼ばれインドの王様がヒマラヤの奥地に教会を準備したので子供たちの教育や医療指導のためにシスターを送って欲しいとの依頼が来ているとのこと。
これで、主人公のシスター(デボラ・カー)など5人の修道女が気象条件の厳しい現地に入り、ただ一人のイギリス男らとともに地元の子供や女性達に学問や刺繍を教えたり、診察したりの務めを遂行していく。しかし生活環境は厳しく、労働は過酷。しだいに修道女達に異変が起こり始めることとなる。
苦労して耕した畑に予定していたジャガイモやトウモロコシではなくチューリップなど食料にはならない花を植えてお花畑にしてしまおうとしてしまったり、別のシスターが善意で与えたひまし油で子供が死亡して教会自体が辛い立場に追い込まれて、シスターが次々と脱落していってしまう。
元の男に走ろうとするシスターが、平服に着替えルージュをひいたりの性に引かれた狂気を見せつけたりすることが重なり、主人公もずっと忘れていた元恋人を思い出す・・・。
主人公デボラ・カーは監督は違うが「王様と私」や「地上より永遠に」でも美しかったが、この尼僧の姿は正に黒に包まれた水仙(Narcissus)のように綺麗。学名でもある英名「ナルシサス」はギリシャ神話の美少年の名前で、泉に映った自分の姿に恋をして毎日見つめ続けたらいつのまにか1本の花になってしまったことに由来し、”ナルシスト”の言葉も生まれた。
233.『ちいさな独裁者』(原題:Der Hauptmann(The captain、大尉)
2017年、ドイツ・フランス・ポーランド合作映画。監督:ロベルト・シュヴェベンケ。
1945年4月。敗色濃厚なドイツでは、兵士の軍規違反が続発していた。空軍上等兵ヘロルト(マックス・フーバッヒャー)は脱走し、憲兵隊に追われてさまよっていた。追っ手から逃れた彼は、捨てられた軍用車両の中をあさっている際に空軍将校(降下猟兵大尉)の軍服一式を発見した。ヘロルトは軽い気持ちでこの軍服を身にまとってみたが、彼を本物の将校と信じた遊兵フライターク(ミラン・ペシェル)から指揮下に入れるよう頼まれ、このまま将校になりすますことを思いつく。
コートの袖に腕を通し、ジャガイモをお手玉代わりにしながら、「素晴らしすぎて信じられない」と歌うシーンがあり、背景が寒々しい風景も加わり冷たい高揚感が漂よい、制服を身に着け、「総統!」という言葉を口にしただけで、彼よりも地位が高くても命に背けないことが、寓話のように滑稽であり、恐ろしさをも感じさせる。
言葉巧みに嘘を構築し、道中出会った兵士たちを次々と服従させ、傲慢な振る舞いをエスカレートさせ、地元の突撃隊幹部から脱走兵収容所の指揮官を任されると、規律維持を名目とした大量殺戮を行う。収容所が空襲を受けて壊滅した後もヘロルトの暴走は止まらず、彼は即決裁判所を自称して、行き会った人々のみならず、自らの部下さえも次々に処刑し続ける。極限状態で狂気を爆発させる仲間達もやたらと銃を撃ちまくり、凄惨そのもの・・・。
ハリウッドで活躍するロベルト・シュベンケ監督が母国ドイツでメガホンをとったものであり、1945年にヴィリー・ヘロルトが引き起こした実際の事件をベースにしている。(2019.4.2)
234.『裁きは終わりぬ』(原題:Justice est
Faite)
1950年、フランス映画。監督:アンドレ・カイヤット。
映画界に入る前は弁護士だった監督が、安楽死裁判をめぐる陪審員の行動から、人が人を裁くことの問題を追求した。監督はこの7年後、『眼には眼を』を撮っているが、それでは裁きの極限的形式である復讐をテーマとした。
薬学研究所の所長代理であるエルザ・ルンデンシュタイン(クロード・ノリエ)は、所長であり彼女の情人であったヴォードレモンが喉頭癌に苦しむのをみて毒殺したため、安楽死の裁判にかけられることになった。この法廷に出席を命ぜられた陪審員は、
ジャガイモの植付けで頭が一杯な農夫で、法廷に出た留守に彼は女房を作男に寝取られたマラングレ。活躍を認めてもらい恋人リュリュ(アネット・ポアーヴル)と結婚したがっているフェリックス。コチコチの退役軍人のアンドリュウ。カソリック教会の印刷屋で熱心な信徒であり、生まれつきのテンカンの一人息子をもつフラヴィエ。骨董商で、ホテルに泊り合った怪しい青年に心を奪われている未亡人ミクラン。その未亡人にのぼせ上っている中年のタイル製品商人ミシェル。身分の高い馬主であり、色事師のモンテソン。の7名。
開廷の結果、エルザはヴォードレモンのたっての願いにより彼に安楽死の注射を打ったことが判ったが、彼女はそのため巨額の遺産を受取る立場であり、しかもミクウラン夫人ののぼせた青年こそ彼女と将来をちぎった恋人であることも判明した。
遺産獲得のための殺人なら軽すぎ、自由を犠牲にしても約束を守った安楽致死なら重すぎる。陪審員の決定:裁判中に妻を寝取られたマラングレは有罪。結婚できたフェリクスは無罪。軍人アンドリュウは有罪。安楽死を認めないフラヴィエは有罪。ミクウラン夫人は、被告の気持に同感して無罪。コオドロンはその好意を持つ彼女に従って無罪。女性蔑視のモンテソンは有罪。かくてエルザは五年の刑を受けることになった。
陪審員は良心の命ずるままにこの決定をしたのだが、果してそれは正しかったか。一体人は人を裁けるのか。しかし裁きは終ったのである。評決は、陪審員の立ち位置、境遇、弁護士の手腕などにも左右それそうな制度そのもに疑問を投げかけて終わる。
235.『あしたになれば』
2015年、邦画。 監督:三原光尋。
ぶどう畑が広がる自然豊かな大阪府南東部の南河内が舞台。夕暮れの校庭。野球の試合に負け、選手はネットにボールを投げていた。ふと目をあげるとグラウンドの外に自転車にまたがった美少女(黒島結菜)が立っており、ボールを投げかえす。
翌日、学校に行くとピッチャー大介(小関裕太)は親友ゲンらとともに校長に呼び出され、この夏開催する“ふるさとグルメコンテスト”に出場してもらいたいと言う。
「なんで僕らが…、今忙しいで…」と反発したところに、
「そうか残念だなあ。実は隣の女子高との共同チームにしようと思ったんだがね」
この言葉に合わせて、昨日の美少女ともうひとりが入ってくる。
「もちろんやりますよ!」と急展開。
そういうわけでグルメコンテストに向けて料理を作る高校生たち。東京からやってきた美少女美希が菓子部というのでてっきりお菓子を作るのかと思いきや、スイーツ専門ではないようであり、何故か延々とジャガイモの皮を剥いてたりする。
軽い気持ちで参加した大介だったが、次第に料理の楽しさと奥深さを知り、ある日一行は優勝候補と目されている大阪農業大学の研究室に忍びこんで敵情視察をする。見とがめられて逃げだす。どさくさ紛れに美希の手を握ってたりして、甘酸っぱい初恋を味わう。川べりに六人が並んで、大声で「絶対、勝つでー!」と叫び、夏の青春ドラマが始まり・・・。
236.『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』
2014年、邦画。監督:行定 勲。
原作は西加奈子の小説「円卓」である。主人公は、大阪の狭い団地で、大きな円卓を囲むにぎやかな8人家族で暮らし、皆から愛されている小学生。しかし、不満ばかりが募り、「孤独」を愛するところもある。
琴子(通称:こっこ、芦田愛菜)は、好奇心旺盛気な3年生となり、気になる言葉や初めて知ることを「じゃぽにか(ジャポニカ学習帳)」に書き留めることを日課としている。個性的な家族やクラスメイト、担任のジビキ先生らに囲まれ、学校と家とその周辺の小さな世界で元気いっぱいに駆け回っていた。関西弁を使いこなし、男子等に『コラ、何してんねん』と言うほどの活発で憎めないところがある。
ようやく夏休みを迎えたものの、隣に住む仲良しのポッさんがおばあちゃんの家に行ってしまう。しかし、ひとりで自由研究に没頭しているこっこに、最大の危機が訪れる・・・。と、小学のこっこが、ひと夏を通じて成長していく姿を、笑い、苛(いら)立ち、怒り、涙まで交えてユーモラスに描いたもの。
筆者がここに、取り上げたのはWeb『シネマトゥディ』に次のようなことが掲載されていたためである。
人気子役の芦田愛菜が2014年6月1日、スペースFS汐留で行われたこの主演映画の舞台あいさつに、共演の青山美郷、行定勲監督と出席し、
撮影のエピソードを聞かれると共演者たちのアドリブ合戦を楽しんだことを振り返り、芦田は「セリフじゃないセリフがどんどんきて、本当にどうしようって思いました」と述懐。特に、円卓を囲んで食事するシーンではリハーサルで「お隣さん家からニンジンをもらってきて」というセリフの「ニンジン」が本番では「ジャガイモ」に変わっていた。「ニンジンって考えていたのにどうしよう、皆さんが次何言われるんだろうってドキドキしていたけど、楽しかったです」と臨場感を楽しんで演じたことを振り返った。
237.『裸の大将』
1958、邦画。監督:堀川弘通。
山下清のセミ・ドキュメント映画。清(小林桂樹)は3歳のころの病気のせいで、知的障害児童施設八幡学園に入った。小さいときから、ひとりぼっちで、花や虫の絵や貼絵に熱中できた。しかし兵隊検査が近づく頃になって、突然、学園から姿を消した。戦争に行って死んでしまうのが怖かったのだ。
清は親切な汲取屋のおばさん(沢村貞子)の世話により、阿武田駅の弁当屋で使ってもらうことになった。要領が悪いので、ハエを叩く係になる。しかし、ハエは取っても取っても飛んでくるので、次には弁当を重ねて運ぶ仕事をした。弁当は途中でひっくり返るので、ホームで駅弁、アンパン、コーヒーを売る仕事をした。走って忙しくてお金を貰うのを忘れて、これも駄目。清は要領が悪いので、ジャガイモの皮むきや鼠のクソ取りに廻された。おばさん(一宮あつ子)は、早起きで皆を起こすのでニワトリ、旦那(有島一郎)はいきなり出てくるため潜水艦と呼ばれていた。同僚は、ジャガイモの皮むきをする清に「そんなことは潜水艦かニワトリが来てやればいい、要領よくやれ」という。「要領よくやるということは少しズルやらなきゃいけないってことだな」「要領よくというのは利口にやる、ということだな」と納得。
戦争は太平洋戦争になったが、兵隊になるのが怖くて腹を出して寝たり、絶食をしたりして病気になろうとしたが、失敗。来年は兵隊検査を受けなければならないので店を飛び出し、歳を22と言って、割烹「魚吉」で雇ってもらう。町内会の警防の訓練や人の嫌がる仕事は皆清の役目となってきて、力が抜けているところに、お母さん(三益愛子)が兵隊検査の通知が来たと迎えに来る。
区役所で検査をうけたものの、最後に、「山下清フゴウカク!」といわれて家に帰ってくる。食べるものがないので、また旅に出る。駅の待合室で、赤い傘をさして、褌一つで踊っていると、褌が落ちて、巡査に捕まる。「一番大事なものを人に見せるのは気が狂っているのだ」といわれて、気違い病院に送られてしまう。飯が出ないで汁だけなので、風呂へ入ったとき丸裸のまま逃げだす。
ようやく戦争が終り、横浜で乞食をした。家へ帰ると家族は共同便所に住んでいた。八幡学園へ戻り、昔通り貼絵を始めた。春になったので、清はまた放浪の旅へ出た。草津や伊香保で、無料露天風呂に入って廻った。東京で清の絵の展覧会を開催でき“日本のゴッホ”などと騒がれるようになった。清は驚異的な映像記憶力の持ち主であり、花火を追って全国を歩き、後日絵にした。気楽な裸でのんびりし、「楽しみもなければ苦しみもないな」という仏様の境地に達しており、こういう境地が究極の人間の目指すところかも。
239.『恋のためらい〜フランキー&ジョニー』(原題
:Frankie and Johnny)
1991年、アメリカ映画。監督:ゲイリー・マーシャル。
ジョニー(アル・パチーノ)は、刑務所から出てきたばかりだったが、怖いとして知られるニューヨークにあるカフェレストラン「アポロ・カフェ」のコックの職を得た。ジョニーは、ウェイトレスのフランキー(ミシェル・ファイファー)に一目惚れしてしまう。しかし、ジョニーの想いにフランキーの態度は固い。男性関係で辛い経験のある彼女は、臆病になっていたのだ。美人で、凛とした立ち振る舞いや仲間に見せる柔らかい表情もいい女。ジョニーを受け入れたいけれど、また傷付くのが怖い、そんな悲しげで不安げな表情も見せてくれる。そして従業員の送別パーティーの夜、ふたりは一夜を共にするが、ジョニーの唐突なプロポーズにフランキーは怒り、家に閉じこもってしまう。
数日して、やっと店に出てきたフランキーにジョニーは、詐欺偽造未遂で18か月の刑務所生活をし、子供いたが離婚歴ある過去と今の境遇や心境、そしてこれからの希望を話して聞かせる。ようやくフランキーも妊娠中に暴力を受けて流産し、その恐怖から逃れずにいることを明かす。彼女にかけたジョニーの言葉にじんわりと心が温まる。
筆者に残った印象は、二人が初めてキスを交わす市場の花屋前のシーン。閉店真近の店で、白いジャガイモを器用に削って赤い液を潜らせてバラとしてゼントするシーン(写真)。彼女を口説くため、リクエストを受けないラジオ局に電話して、真剣に音楽をお願いしたため、DJが二人の愛を信じてピアノ曲を流してくれるところ。その時都会の片隅で寄り添って生きる人達の温かさも映り、ニューヨークの町並みも美しく見せてくれた。
240.『哀しき獣 (かなしきけもの)』
2010年、韓国。監督: ナ・ホンジン。
中国、ロシア、北朝鮮に国境を接する延辺朝鮮族自治州の中国側に住むグナム (ハ・ジョンウ) はに賭博に手を出すが、6万元負けて逃げ場を失う。仕事を解雇され、子供を母に預けて韓国に出稼ぎに行った妻からの送金もない。殺人請負人のミョン社長(キム・ユンソク)から韓国へ行ってスンヒョン教授(カク・ピョンギュ)を殺せば借金を帳消しにすると言われる。グナムは、韓国へ出稼ぎにいったまま音信の途絶えた妻に会うことも考えその話を受諾。殺して証拠の親指を持ち帰るため、釣り船にのり韓国ソウル特別市へ密航する。そして、 10日後の船が出るまでに仕事を終える必要があった。
グナムは住所を頼りに恰幅のよい教授を探し、包丁もってその6階に昇った時、二人の男が先を越して教授を殺害した現場に遭遇。ミョン社長の罠にはめられたのだ。
大勢の警察官に追われ、検問ではバスの窓を割り、山に逃げる。はめられたグナムは警察と黒幕キム・テウォン(チョ・ソンハ)に追われることになってしまい、逃げて無人の建物にたどり着き、そこでダンボール入りジャガイモを確認後、蒸かしたジャガイモを見つけ、警察の動きをテレビで確認しながら腹一杯むさぼり食う筆者への大サービス(写真)。殺人・捜索・逃亡の連続なのだが、金欠でラーメンを食べているとき、いつの間にかソーセージをゲットしたり、屋台のオデンを食べている人からひと串失敬したりする食べ物のシーンを入れて見る側の緊張をひと時和らげていた。
教授の浮気相手の女が殺され、それが出稼ぎの妻と思って遺骨をもらったが、最後に黒幕の妻だとわかる。途中黒幕、警察とからんだナイフと手斧のバイオレンス、視野を狭くして迫力を強調したカーチェースもあり飽きさせない。殺人を依頼したのは教授の妻とその浮気相手の銀行員らしい。次第に逞しくなるグナムだが、傷だらけとなり、漁師を脅して中国に向かう途中に息絶える。そして大騒ぎとは無関係だったグナムの妻が中国の駅にボストンバックをさげて静かに降りるシーンで幕となる。