ジャガイモの出てくる 映 画  第24集

浅間和夫

241.『ほえろ、“じゃがいも”〜被災地の犬 3度目の挑戦 〜』
 2014年、国内TV。NHK総合大阪制作。放送:2014年1月22日(水) 11:05〜11:30。
 2011年3月の東日本大震災の第1原発事故後の6月に福島県飯舘村で生まれた真っ黒な子犬がいた。避難指示を受けて飼育ができなくなり、里親探しを頼まれた岐阜県・富加町にある「NPO日本動物介護センター」(所長山口常夫)に引取られ、「じゃがいも」と名付けられ、被災者の希望になればと生後5カ月から訓練を始めた。「じゃがいも」は災害救助犬としてはめずらしい雑種であり、臆病な性格を持っていた。訓練で、人を探しだしても吠えることが出来なく試験は不合格のため、指導が厳しくなると、訓練から逃亡することもあった。災害救助犬認定試験本番で「じゃがいも」は、小さな声ながら何とかきちんと吠えることが出来たが、その後の捜索でタイムオーバーとなり不合格となってしまった。そんな犬だが、所長や訓練士上村智恵子さんはこの「じゃがいも」の成長を笑顔で見守っていた・・・。

 これには後日談がある。災害救助犬の試験に挑戦を続けて11回目でようやく合格を果たした「じゃがいも」(雄、7歳)が、2020年度の小学校6年生の道徳の教科書(日本文教出版)に登場することになった。担当者が「じゃがいも」の児童書の読書感想文を読んだのがきっかけと言われ、偉人を扱うことが多い教材ではなく、ここでは、「希望と勇気、努力と強い意志」を考えるものとして載せたという。教科書では、「上村さんのちょうせん ひさい犬と共に」と題し、訓練を担った上村さんの目線で、失敗を重ねた6年間の葛藤と成長を4ページで振り返っている。2014年12月には岩崎書店から山口常夫著『被災犬「じゃがいも」の挑戦』も出版されている(写真)。

242.『山本慈昭 望郷の鐘 満豪開拓団の落日』
 中国残留孤児の肉親探しに尽力し「中国残留孤児の父」と呼ばれた実在の人物・山本慈昭の波瀾万丈な人生を映画化したもの。
 児童文学作家・和田登の小説「望郷の鐘 中国残留孤児の父・山本慈昭」をもとに、「石井のおとうさんありがとう」の山田火砂子が監督・脚本・製作総指揮を手がけた。1945年5月。長野県下伊那郡会地村にある長岳寺の住職で国民学校の先生も兼任する山本慈昭(内藤剛志)は、村長から説得され、1年間だけという約束で教え子たちを引率して満州へと渡る。しかしその3カ月後に日ソ不可侵条約を破ったソ連軍が侵攻を開始してきた。関東軍に見捨てられた入植者達の食料は不足し、子供らと慈昭は煮たジャガイモなどで飢えに耐えた(写真)。
 慈昭はシベリアへ連行されてしまう。約1年半の過酷な強制労働を経て奇跡的に帰国できた慈昭は故郷へと戻るが妻子は教え子とともに死んだど聞かされる。10数年後、中国残留孤児からの手紙をきっかけに、子供の一人は生きているという情報に加え、多くの日本人孤児も残留していることを知った慈昭は、残留孤児を捜しだして日本に帰国させるため奔走する。そして長女冬子(星奈優里)と再会できた慈照は、その時、すでに80歳 を超えていた。  映画の終わり頃くにも、冬子さんが信州最南の天龍村の平岡ダムの畔、中国人捕虜慰霊碑の前でジャガイモを食べるシーンがあります。ここでは中国本土華北から連行されてきた880人の中国人捕虜が強制労働、うち死者62人、失明など40人の犠牲者が出ているところでした。
 戦争には大義名分があるものの、一般国民は、加害者になったり被害者となるのが現実。だから、二度と満蒙開拓の悲劇に見るような戦争を起こしてほしくないという山田火砂子監督の思いが込められた作品であり、タイトルの「望郷の鐘」は北満の地で日本を想って聴くものではなく、望郷の想いに駆られながらも叶わなかった人々への鎮魂の鐘のようでもあった。

243.『Happier times,Grump』 (原題:Ilosia aikoja,Mielensapahoittaja)
2018年、フィンランド映画。監督:ティナ・リミ。
北欧は幸福度ランキングで上位を占める国々で知られている。その国のひとつフィンランドに、ふさふさの毛皮帽子にこだわるなど、どこの国にもいそう頑固なお爺さん(名前は原題にある長い名前(俳優はヘッキ・キンネン))がいた。彼は物理療法のため週末をヘルシンキで過ごさなければならないが、車の運転ができなくタクシーは嫌いだというひと。そんな中、愛妻に先立たれてしまう。これまでにやりたいことは成し遂げたと思い、ここで人生で生きる意味を失ったのである。身内に「私はもうすぐ死ぬ」と宣言し、自分の棺桶を作り始める。そんなところに突然、17歳の孫娘が訪ねてくる。二人はあるヒミツを共有することになり、お爺ちゃんの人生は想定外の方向に動き始めることになる・・・。
 やはり、筆者の関心事に的を絞たい。死ぬ準備をする人にとって、畑のジャガイモは不要のものなので、近所にすむ友人の庭先にたくさん持参してしまう(写真)。しかし、孫娘が突然やってきたため、食料が必要になり、「やはり返してくれ」と頼むことになる。その時友人は、
「ジャガイモは、来ては、去っていく」と呟く。
 人生には、幸せや厄介ものがあるようだ。しかし全体を通じてみると、心にやさしい映画である。2018年1月以降に発表された作品の中から審査される北京国際映画祭においてノミネートされた。

244.『小公女(しょうこうじょ)セーラ 』(原小説題: A Little Princess)
 1985年、邦画。
 テレビアニメ、放映されたこの年1年間、日曜の夕食後の家族の楽しみで知られた世界名作劇場」シリーズである。ここでは、ジャガイモの出てきた 第21話「涙の中の悲しみ」を取り上げる。
 特別室に移ったラビニアは、10歳のセーラ・クルー(声:島本須美)を呼びつけて掃除をさせる。セーラが一生懸命掃除をするのだが、ラビニアとその部下ジェシーとガードルートは意地悪で、紙くずやお菓子の食べくずを床に散らかす。その上、ラビニアはミンチン院長に、セーラの態度が悪いと告げ口までするため、セーラはミンチン院長に呼び出され、散々叱られる。
 さらに厨房では、今度は性格の悪いジェームスとモーリーから散々に小言を言われる。おまけにセーラは、雨の中ジャガイモの買出しに行かされる。市場に着くものの、すでに夕刻が迫っていて、閉まっていた。離れた場所の市場なら開いているかもしれないと聞かされ、セーラは雨の中走って行く。しかし、途中で靴底が外れてしまい、片足は靴を履かずに走ることになり、やがて、靴下は破れてしまい、雨でびしょ濡れ。
 ジャガイモを買うことができたものの、途中で、石畳に足をとられ転んでしまい、足の指を強く打ち付けてしまう。そのとき、城門の入り口に立っていた衛兵が、セーラを見かねて助けてくれる(写真)。【規則では衛兵は一歩も動いてはいけないはずであったから、テレビを観る家族の涙を誘う。】
 帰ってきたものの、ジェームスからはこんな芽の出たような不良なジャガイモは使えないと怒られる。仕事が終わり、屋根裏部屋へ戻っても、食べる物はなくひもじいのを我慢して、セーラは涙を流すのであった。
 このようにいじめを扱っていると話題になり、これまで概してソフト路線だった名作劇場にあって異彩を放つ作品であり、視聴者からのファンレターも苦情めいたものが多かったとか。
物語の最後に、セーラが父の写真に向かって呟(つぶや)く。
「お父様、私くじけません。どんなことがあっても我慢してゆきます。」

245.『ファーゴ 』(原題:Fargo)
1996年、アメリカ映画。監督:ジョエル・コーエン。
 1987年、ミネソタ州ミネアポリス。自動車ディラーのジェリー(ウィリアム・H・メイシー)は、多額の借金を抱えていた。彼は、富豪の義父から金を引き出そうと、妻ジーンを偽装誘拐することを思いつく。  早速、レンズ豆やジャガイモの生産の多いノースダコタ州の人口最大の都市で最も清浄な都市ファーゴ市において、カールとゲアのチンピラに仕事を依頼する。ジーンを誘拐し身柄を車の後部座席に押し込んでアジトに向かう途中隣町まで逃げたところで、警ら中の警察官の指示で停車させられ、その警察官や目撃者を殺害してしまう。
 翌朝、妊娠中の女性署長マージ・ガンダーソン(フランシス・マクドーマンド、写真)が殺人事件の捜査に乗り出し、殺害された警察官がメモしていたDLRから、当該車種のディーラーであるジェリーの元に辿り着き、不信感を抱く。アメリカらしい警察署と言うべきか、署長の夫のイラストレーターが、紙袋にファストフードを持ってきて夫婦でハンバーガーやフライドポテトを一緒に食べる(写真)。
 ジェリーは、誘拐犯たちが100万ドルの身代金を要求してきたと義父に告げる。誘拐犯との約束の日、ジェリーを信用しない義父は、身代金を持って誘拐犯と直接交渉しようと勇む。娘の釈放後に身代金を渡そうとするが逆上した実行犯に殺されてしまう。ジェリーは、義父の死体を車のトランクに載せて現場から早々に立ち去る。カールは奪った100万ドルを独り占めにしようと大半を道中の雪原に埋め、アジトに戻ったときには、すでに人質のジーンは事切れていた。誘拐に使った車の使用のことで口論となり、ゲアは斧でカールを殺害する。
 マージは、アジトを発見し、ゲアの足を撃ち抜き確保に成功する。警察署へ向かう途中、マージは後部座席のゲアに向かって、「どうしてこんなちょっとばかりのお金のために人を殺したの、人生にはお金より大切なものがある」と語りかけ、お金よりも人生に価値があると諭す。逃亡中だったジェリーも、モーテルで逮捕、連行されことになる。
 署長宅の夕食でも主夫の買ってきたパサパサのハンバーガーにフライドポテト、お皿一杯のお肉にジャガイモであった。寝室でテレビを見るマージに、夫のノームは自分の絵が3セント切手の絵柄に採用されたと告げ、2ヶ月後に出産予定のマージは夫とダブルベッドで肩を寄せあう。
「私達、幸せな夫婦ね」

246.『ドイツ零年』(原題:Germania anno zero)
 1948年、イタリア映画。監督:ロベルト・ロッセリーニ。
 第二次世界大戦直後、廃墟のベルリン、350万人が飢えと絶望の中に置かれた。「…イデオロギーの変更は犯罪と狂気を創り出す。それは子供の純真な心までも」という字幕で予感が伝わる。
 12歳の少年エドモンド・ケーラー(エドムント・メシュケ)は15歳になっていないことがバレて「仕事泥棒」といわれ、仕事から外される。父、母、姉、それに兄と暮している。父は病弱で家族の足かせになり、「死にたい」という言葉を繰り返している。姉エヴァは夜のキャバレーに出かけ、家計を助けている。兄カールは元ナチ党員であることが発覚することを恐れ、定職につかず引きこもっている。収入の乏しい一家にとっては小さなエドモンドも貴重な働き手なのだった。
 エドモンドは、街でかつて小学校の担任だった元ナチ教師エニング(エーリッヒ・ギュネ)と再会する。今はヒトラーの演説の録音されたレコードをヤミで連合軍に売りさばく仕事をしており、エドモンドに仕事を与えてくれる。そしてエニングが束ねる窃盗団のボス、ジョーとその恋人のクリステルに預けられる。3人は外国人の兵士相手に早速商売を始める。レコードはうまく売れ、エドムントは駄賃をもらう。
 また3人は、不良グループと合流し、一緒にジャガイモを乗せた列車を襲う。エドムントはジョーに取り入り、なんとか奪ったジャガイモを分けてもらう。家に帰れない彼をクリステルが送ってくれる。
 父から泥棒仲間といて朝帰りしたことを叱られる。その父の病気が悪化したが、医者の骨折りで慈善病院に入院。彼は病室の父を訪ねる。父は相も変わらず「死にたい」などと嘆くばかり。父がアパートに帰ってくる。しかしスープも茶もない食卓を見て、彼は病院の方が良かったとぶつぶつ文句を言う。教師のナチス流弱肉強食、優性思想などに洗脳されていたエドモント、ついに父に劇薬入りの紅茶を飲ます。エニングの元に行くも、殺人を示唆した覚えはない、と言われる。仲間からも疎まれ、父の柩を運んだ車を廃墟のビルから見送っていると、姉と兄がエドムントを呼んでいる。彼は見つからないよう隠れると、ぼんやりと向かいのアパートを見つめ、ついに建物から身を投げてしまう・・・。零から再出発しなければならないドイツの様子をイタリア人が映画にした。

247.『メンタリスト』(原題「The Mentalist)(第18話「血染めのジャガイモ」(原題:Russet Potatoes))
 2009年、アメリカ・テレビドラマ。メンタリスト原題「The Mentalist」第18話「血染めのジャガイモ」(原題「Russet Potatoes」)。 監督 ノルベルト・バーバ。 
 カリフォルニア州サクラメント中心部の人通りの多いところををカール・レズニック(クリス・トールマン)は袋をひきずったり、抱えたりして歩いていた。彼は独り言を呟く。「自分は見つけるものじゃない、作り上げるもの。行動を起こせば進歩する」と。中身は女性の遺体(ライフセンターで働いていたメリー)。これをCBI本部に引きずってくる。仲から血が落ちているので、警官は銃を手にして投降を呼びかける。
 カールは、女性の遺体をプレゼントのジャガイモだと主張する。パトリック・ジェーン(サイモン・ベイカー)は、カールの様子から暗示にかかっていると判断する。しかし、暗示にかかっても、自分の人格に反することはしないため、おとなしいカールの性格から判断して、女性を殺したのはカールではないと、ジェーンは考える。
犯罪歴はなく、従順な優等生タイプ。権力に従う暗示をかけるには好適な人物とわかるが、その暗示をとくには、かけた者を探す必要がある。被害者は、その指紋からメリー・ヘンドリックスと判明する。カールは被害者とその姉の働くドリームライフセンターのセミナーを受けていると判り、パトリックはダニエル博士のセミナーに連れていく。
 ライフセンターのリック(ボディ・エルフマン)は、泥酔後気づいたらメリーが殺害された現場に銃を持った状態でおり、罪を着せるために、ライフセンターの会員であるカールに暗示をかけたことがわかる。実はリックも暗示にかけられていて、罪を着せられちゃった側にいた。おまけに、とばっちりで暗示をかけられちゃった、"第14話 深紅の情熱"にも出ていたウェイン・リグスビー(オーウェン・イオマン)捜査官もいた。異変に気付いたジェーンは、リグスビーの催眠状態を見るために、「今一番何がしたい?君はなんでもできるよ」と語りかけると、なんとリグさんはある女性めがけて一直線(写真)。 こんな具合に、危機一髪だけでなく、面白く、見応えのあるものに仕上がっていた。

248.『タイマグラばあちゃん』
 2010年、邦画。監督:澄川嘉彦。
「タイマグラ」とは、アイヌ語で「森の奥へと続く道」という意味だとか。岩手県遠東郷に近い早池峰山(はやちねさん)の麓にある小さな開拓地の名称。電気は昭和の終わり頃やっと通ったというが、ガスも水道もない。離農が続き、ロケ時タイマグラに住んでいるのは向田(むかいだ)久米蔵・マサヨさん夫婦と、1988(昭和63)年にやっと近所に引っ越してきた奥畑一家だけ。監督はNHKを退社後、タイマグラに住居を移し、15年ほどもばあちゃんとじいちゃんを撮り続けたドキュメンタリーであり、当初自主上映から始まった。
 戦後入植したものの、気温が低く水稲の栽培が難しいため、1965(昭和40)年には1軒のみになってしまった。
主食はドングリや凍みホド。凍みホド(いも)とはジャガイモのフリーズドライ。つまり、アンデス高地のインディオ達がつくるチューニョでも知られる厳冬期に凍結乾燥して作る保存食である。粉にしてから熱湯で練り、団子として具だくさんのホド団子汁にするもの。このように、当然自給自食。水道はないので、湧き水や沢の水を使い、昭和の最後になるまでランプの灯りが頼りであった。
 しかし、自分のことを「タイマグラ婆」と言うばあちゃんは、いつも満ち足りた笑顔をたやさない。「極楽だあ・…」と笑いながらお茶を飲み幸せに過ごしている。畑の作物を食べに来る狐や鳥に「先に住み着いてるところへ割り込んだのはこっちだから」と微笑んで、思い上がりなどない。 自分が畑で育てた大豆を使っての豆腐作り、「お農神さま」への信仰、春一番の味噌作り、土に生きる素朴な暮らしぶりにかわりはないが、様々な出来事が起きてゆく。長年つれそった久米蔵さんの死、大雨にたたられた不作、大阪出身の奥畑充幸さんの結婚、二人の長男の産婆役… 。そして、身体を動かして働く喜び、自然に抱かれる喜び、季節を感じる喜びは続いている。

249.『アメリ』 (原題: Le Fabuleux Destin d'Amelie Poulain)
2001年、フランス映画。 監督:ジャン=ピエール・ジュネ。
 原題の意味は、「アメリ・プーランの素晴らしい運命」である。神経質な母親と、冷淡な元軍医の父親ラファエルを持つアメリ(オドレイ・トトゥ)はあまり構ってもらえず、親との体の接触を知らない。父親からの心臓検査時心臓が高揚してはまう。父親は心音から、心臓に障害があると勘違いし、学校に登校させずアメリの周りから子供たちを遠ざけてしまう。やがてアメリは母親を事故で亡くし、孤独の中で想像力の豊かな、しかし周囲と満足なコミュニケーションがとれない不器用な少女に育っていった。
 そのまま成長して22歳となったアメリ(オドレイ・トトゥ)は実家を出てアパートに住み、モンマルトルにある元サーカス団員経営のカフェ「カフェ・デ・ドゥ・ムーラン」(写真)で働き始める。
 ある日、自宅でダイアナ妃事故死のニュースを目にしたアメリは、驚いた拍子に持っていた化粧水瓶の蓋を落としてしまい、小さな箱を発見する。中の子供の宝物を持ち主に返すため、探偵の真似事をして前のの住人のブルトドーに辿り着き、他人を幸せにすることに喜びを見出す。
 これがきっかけとなり、その後、駆け落ちした夫を想い続ける女性に、夫の過去の手紙を捏造して幸せな気持ちにさせたり、時には意地悪な人間をこらしめるために家宅侵入もするなど、周囲の人々を幸せな気分にさせて楽しむ。そんな中、彼女にも気になる男性が現れる。スピード写真のボックス下に捨てられた他人の証明写真を収集する趣味を持つニノ(マチュー・カソヴィッツ )である。ニノの置き忘れた写真コレクションアルバムを生かして彼に近づこうとする。しかし、ストレートに切り出す勇気のないアメリの取った作戦は・・・。
 ニノは、ついにアメリのアパートにたどり着く。アメリはついにドアを開け、ニノを迎え入れる。 そしてニノのバイクの後席に乗りパリの街を駆け抜けていくのだった。まさに、この映画のキャッチコピーのように「幸せになる」のであった。
 パリ・モンマルトルを舞台に、パリで暮らす庶民の日常を描き、フランスで大ヒットを記録した映画である。モンマルトルのルピック通りには映画でメアリが働いていた『カフェ デ ドゥ ムーラン』が実在しており、多くの観光客や映画ファンが訪れる人気のカフェとなっている。店内の「アメリ」のポスターを背景に眺め、 鶏とマッシュポテトを依頼してもハンバーガーを注文しても出てくるジャガイモのボリュウム満点と聞いたため取り上げた次第である。

250.『蝶の舌』( 原題:La lengua de las mariposas )
1999年、スペイン映画。監督ホセ・ルイス・クエルダ。
 スペイン内戦直前の1936年春。ガルシア地方の小さな田舎町に住む目が可愛く感受性豊かだが、喘息持ちの病弱な少年モンチョ(マヌエル・ロサノ)は、他の同い年の子供達から1年遅れて小学校に入学する。不安のおあまり怖気づいて教室から逃げ出そうとしてしまうモンチョを、初老のグレゴリオ先生(フェルナンド・フェルナン・ゴメス)は優しく迎え入れ、勉強だけではなく自然のこと、人生のことなどを教える。
 グレゴリオ先生は博識家。"ジャガイモの原産地は南米である"ということや、ティロノリンコというオーストラリア産の鳥はメスに蘭の花を贈ること、そして蝶の舌は渦巻き状になっていることなどを教えてくくれる。そして“自由”ということの意味を、折りに触れ、子供たちに伝えようとする。仕立て屋であるモンチョの父は、先生とは共和派同士、モンチョの喘息の発作を先生が救ったことから、先生に新らしい洋服を進呈する。最初は固辞するものの、ありがたく受けとる。モンチョの母は、その夜、夫に「洋服を作ってさしあげてよかったわね」と話す。
 モンチョが先生と蝶を掴まえている最中、川で水浴びをしている少女たちの中に、親友の妹アウローラを見つけ、とまどう。先生のアドバイスもあり、白い花を渡すことができ、モンチョの頬にそっとキスして去っていく。そのような美しいエピソードが盛りこまれている。
 そんな一見平和な地方の村にも、共和派(スターリン支持)と新体制派(ファシズム)の対立は時々表面化する。6月18日、モンチョの母親は、夫の共和党の証拠を全て焼き払い、子供たちに「お父さんは毎週教会へ行っていると言うのよ」と言う。その夜、モンチョ兄弟が窓越しに見た光景は、新体制の軍部が、共和派の人たちを家から引きずり出して連行していくところであった。共和派を支持していた人たちは「アカ、犯罪者」と罵しられ、手を縛られてトラックに乗せられて行くのだった。その中にグレゴリオ先生もいた。
 新体制に忠実であることを示すため、先生に服を進呈したことを喜んでいたモンチョの両親も、捕まった人々に罵声を浴びせる。あの洋服を着ている先生にも・・・。 美しくも残酷で哀しい少年と老教師の交流を描いた感動作であった。


https://potato-museum.jrt.gr.jp/cinema24.html ジャガイモ博物館<新URL>。ジャガイモと映画 第24集

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