251.『愉しき哉人生 』
1944年、邦画。監督:成瀬巳喜男。
ジェームズ・スチュアート主演の『素晴らしき哉、人生!』出現の2 年前の昭和19年、第二次大戦中の戦況が悪化しつつあったときの映画。ある町に相馬太郎(柳家金語楼)家族がやって来て、「よろず工夫店」を開店した。明るい親父は、貧しくしかも仲の良くない町内の人々に「貧乏でも、考え方によっては、こんなに幸福になれるんですよ」という話をする。
例えば、馬鈴薯(ジャガイモ)の皮とか人参(ニンジン)の細いしっぽを捨てずに、いためたり、味噌汁にいれたりなどして、当時同盟国のドイツ語の名前で呼べば、レストランのメニューのように思え、ゴミも減る、と言う。自分の家の前だけでなく、隣近所の道まで掃除をしたり、うるさいと苦情が出ている桶屋のトントンという音に合わせて、長女が楽しく歌いだしたりして、町の人々に注目される。
こんな家族に面白がって、賛同する人がいる一方で、変な奴らだ、と反発する人もいた。しだいにその影響が浸透し、ある夫婦は仲良くなり、桶屋の音も気にならなくなり、人々は通りの掃除を隣近所までお互いにするようになる。金語楼のまだ幼い次女めぐみ役が中村メイコで、童謡『虫の声』を歌ったり、時計屋の息子に「喜びごっこ」を教えたりするシーンもある。町の空気を一新させると、一家は忽然と姿を消す。
戦時中の国策映画であり成瀬監督にとって不本意な一編ながら、戦争を直接描かず、 柳家金語楼・横山エンタツ(理髪店亭主)を活かした喜劇的展開の中で、清貧を守らせ、銃後の結束を固めることを意図したものでった。
252.『鳥』(原題:The Birds)
1963年、アメリカ映画。監督:アルフレッド・ヒッチコック。
サンフランシスコのボダガ湾沿いの寒村で、舞い降りてきた1羽のカモメが、メラニー・ダニエルズ(ティッピー・ヘドレン:Tippi Hedren、本名Nathalie Kay Hedren)の額に怪我をさせて飛び去った。若い弁護士ブレナー(ロッド・テイラー)は異様な鳥の大群を見て、ただならぬ予感に襲われた。そして、ほどなくブレナーの予感は現実となった。鳥の大群が人間を襲い始めたのだ。アニー(スザンヌ・プレシェット)の勤める小学校の庭では、無数のカモメが生徒を襲撃した。メラニーが恋人ブレナー家へ夕食によばれた夜、暖炉の煙突から、突然、スズメに似たフィンチが何百羽となく舞い込んできた。しかしブレナーがやっとのことで追い払った。
どこからともなく飛来してくる鳥の群れは、ますます増える一方だった。そして、ついに鳥による惨死者が出た。農夫が目玉をくり抜かれて死んでいたのだ。授業中のアニーは、ふいにメラニーの来訪を受け、外を見て足がすくんだ。おびただしいアメリカカラスの群れが校庭の鉄棒を黒々とうずめていたからだ。鋭い口ばしをとぎ、大群が小学生を襲った。ブレナーの妹をかばったアニーは、家で無残にも群れにつつき殺されていた。大量の鳥が屋根を壊して入り込み、激しい攻撃を受けたメラニーは気絶してしまう。
そして次々と人家に殺到してきて、顔、手などへの襲撃は凄絶をきわめた。もはや一刻の猶予もない。ブレナーは失神したメラニーを家族と一緒に車に乗せサンフランシスコへの脱出を決心した。 何故鳥が攻撃するのか分からないが、彼に見出された女優ティッピ・ヘドレンとの出会いと別れまでを描くものだとか、人間関係のもろさ、失敗を表徴しているとか言われている。
ここで筆者が取り上げたのは、テレビCMに出演していたヘドレンを映画に誘ったヒッチコック監督が、ヘドレン(写真)が痩せすぎなのを心配し、彼女の自宅に、『ジャガイモをたくさん食べればたっぷりカロリーがとれる』と書いたメモを添え、ジャガイモ50kgを届けたというエピソードが下記の本に載っていたためである。もちろん、クリスマス・イヴには最高級のシャンペン1ケースも届けていたが。ジャガイモの効果が出たか否かは不明であるが、1930年生まれの彼女は充分長生きしている。写真はその監督好みの美女ティッピー・ヘドレン。後年の彼女によると、撮影当時は31歳であったが、翌年の『マーニー』撮影の時を含め、監督から触られるなどのセクハラやストーカーに苦しんだそうである。そんな監督の顔を確かめたければ、映画の出だしのペットショップから犬2匹つれて出てくる小太りの男を見ていただきたい。こう言う男は昔のハリウッドにいたらしいが、ハービー・ワインスティーン、日本なら榊英雄など、時々話題に上っている。、
引用文献
ドナルド・スポトー著勝矢桂子・他訳.1988.ヒッチコック-映画と生涯 下.214p.早川書房.
253.『長いお別れ 』
2019年、邦画。監督:中野量太。
かつて中学校で教師として働き、校長にもなった東昇平(山崎努)はある日、毎年恒例の同窓会に出席しようとして家を出る。しかし、彼は同窓会に辿り着くことができず、同窓会が行われるということも忘れて家に帰ってきてしまう。その後、病院を訪れると彼がアルツハイマー性の認知症を患っていることが判明する。次第に症状が悪化していき、妻の曜子(松原智恵子)はデイサービスの力を借りながら介護する日々を送る。 昇平は家にいるのに「家に帰ろう。」と立ち上がったり、入れ歯をすぐに無くしたり、外を徘徊したりする。このように毎日振り回されるが、家族は暖かく見守り、支えている。日を重ねるごとに記憶を失い、父でも夫でもなくなっていく昇平の様子に戸惑いながらも、そんな昇平と向き合い協力しつつ、おのおのが自分自身を見つめなおして、涙もあれば笑いもある大切な“別れの時間”だという事を気づかせてくれる。「介護」と「認知症」を題材にし、その何気ない日常の連続を家族物語に昇華させた傑作と評されている。
監督は、これまで原作のないもので創ってきているひとであり、今回初めて中島京子の『長いお別れ』(文春文庫、2018)を使うことにしたようである。少しでもオリジナリティを出そうとしたためか変更・削除がなされている。終盤で筆者を喜ばせたのは原作に無い父昇平が万引きをして店のバックヤードに連れていかれるシーンである。昇平が万引きしたのは、彼の旅のお供であったボンタンアメ、自分の好物であり、娘との思い出もあるジャガイモ、それに鮭の切り身の3点であった。ジャガイモは彼自身の好物であり、娘(蒼井優)が彼の誕生日にポテトサラダを出すことなどから見て日頃度々食卓にあがっていたものであろう。映画の冒頭娘の元カレがジャガイモを送ってきたこととの繋がりもありそう。老いると子供に帰る、と言う話があり、鮭は生まれた川に戻ってくる母川回帰という習性を持つことから、昇平を暗示していよう。
254.『二郎は鮨の夢を見る』(原題:Jiro Dreams of
Sushi)
2011年、アメリカ映画。監督:デヴィッド・ゲルブ。
銀座に85歳の寿司職人が営む「すきやばし次郎」と言う店がある。そして撮影時、5年連続で「ミシュランガイド」三つ星を獲得し、世界中の美食家をうならせていた。そのすしの味に魅了されたアメリカ人のデヴィッド・ゲルブ監督が3か月にわたり店主である二郎さんに密着取材を敢行し、職人としての姿勢や、息子や弟子達との師弟関係を描いた映画をつくった。すしの技を極めようと探求し続けるその姿と、伝説的存在である父に追いつくべく修行を重ね奮闘する長男・禎一(よしかず)、徹底的に職人に徹してすごい食材ばかりを集めてくる当時の築地の市場の人たちやピカピカに磨かれた調理場で下ごしらえから焼き物までの調理を支える職人というプロ集団を追ったドキュメンタリー映画である。鮨店主の例の手さばきはモーツァルト、バッハの音楽に合わせて舞う蝶のように見えた、と評判になった。
ジャガイモ大好き人間に関心のあるのは、その小野二郎のもとを離れ、30代でニューヨークで大成功を収めて"米国最高のすし職人"と評価された中澤大裕と2013年オープンしたその『スシ・ナカザワ』の共同経営者であるアレッサンドロ・ボルゴニョーネ。大統領となるトランプの支持者で、自信家で、大口をたたくニューヨーカーとして知られているが、「ニョーヨーク」誌のインタビューを受けたときワシントンを『肉とジャガイモの街』呼ばわりして、ワシントンの食通たちからバッシングを受けた話がある。
255.『グリーンマイル』(原題:The Green Mile)
1999年、アメリカ映画。監督:フランク・ダラボン。
1932年、アメリカ南部の刑務所の死刑囚監房で看守を務めるポール(トム・ハンクス)のもとに、双子の少女を強姦殺人した(本当は蘇生してあげようとしていた)罪を持つとされた死刑囚ジョン・コーフィ(マイケル・クラーク・ダンカン)が入所する。この男護送車のスプリングを壊すほど重いが温和で、繊細で純粋な心を持っていた。これと同時期に、知事の妻の甥であるパーシーが看守となり、傲慢な態度で他の看守たちから嫌われる存在になる。
ある時、コーフィは局部を掴んだだけでポールの重い尿路感染症を治してしまったり、パーシーに瀕死の重傷を負わされた男の命を救ったり、不思議な力を発揮する。看守たちは、その力を神から授かった特別な存在なのではと考え始め、彼が本当に殺人をしたのか疑問に思うようになる。ポールも彼の死刑執行は過ちを犯すことになるのではないかと考える。
しばらくして、ウォートンという凶悪な死刑囚が送られてくる。ポールは、このウォートンが双子の少女を殺害した真犯人だとコーフィから聞かされる。しかし、コーフィの冤罪を覆す証拠は存在せず、後日死刑執行が決定されることとなる。
筆者が取り上げたのは、トゥート=トゥートと言う模範囚(写真)。最も長く服役しているため、ある程度の自由が認められており、死刑執行のリハーサルも軽くこなしている。グリーンマイルと呼ばれる床が緑の通路を通って死刑室に入り、電気椅子に手足を止められ、ブルータス係官から、
「刑を執行する前に、なにか言い残すことはあるか?」
トゥート=トゥート「ああ!フライドチキンを食べたい。ジャガイモにはグレイビー(肉汁)をかけて(with gravy on the taters)。あんたの帽子にクソもしたい。」
と看守達の苦笑を誘う。テイターTaterとはPotatoの俗語であり、オレアイダ社の製品の『テイタートッツ( Tater Tots)』にもついている。これは、摺りおろしたジャガイモを揚げて小さい円筒形にしたものであり、そのカリっとした食感で広く知られている。
死刑囚最後の食事にジャガイモを望む例はわが国では思いつかないだろうがアメリカでは比較的みられる。例えば、少年を含む33人を犯して殺したジョン・ゲイシーはフレンチフライ、フライドシュリンプ12尾、いちごなどを、30人を超える女性を犯して殺害したテッド・バンディはミディアムレアのステーキにハッシュブラウンをつけてもらっていた。
フロリダ州において強盗および親子3人を殺害した罪で電気イス送りになった54歳のアラン・リー・デイビスはロブスターテイル、フレンチフライ、フライドシュリンプ約220g、フライドクラム170g、ガーリックトースト、・A&Wのルートビア約0.9をリクエストしたそうだ。
蛇足になるが、日本の場合、死刑の執行は午前中に行われ、自殺を防ぐため、予め本人に知らすことはない。アメリカでは死刑執行直前の囚人が食べたいものをリクエストできる権利がある。最後の晩餐にフライドポテトなどを上げた人としては3人の若者を殺害したデビット・スペンス、親子3人の殺害、強盗の罪で電気イスで処刑されたアラン・リー・デイビス54歳、33人を殺したジョン・ゲイシー52歳、ハッシュブラウンなどを望んだ人は30人を超える女性を犯して殺害したテッド・バンディ43歳、自分の娘に暴行を加えて、放火して殺したキャメロン・ウィリンガム、警官を殺害したとされ、小粒なベークドポテト6個他をのぞんだレオ・ジョーンズのことがあるウェブに書かれていた。
256.『名 前』
2018年、邦画。 監督:戸田彬弘。
直木賞作家の道尾秀介原案、津田寛治と駒井蓮主演による人間ドラマ。娘を死産した後に妻と別れ、経営していた会社が倒産し、茨城にやってきた主人公の中村正男(津田寛治)がいた。ある時は外国へ飛びまわるエリートサラリーマンと見栄を張り、ある時は入院した妻をもつ工場員である偽り、複数の名前を使い分けて生活を送っていた。
勤務先で正にそんな嘘が暴かれそうになったとき、正男を「お父さん」と呼ぶ見知らぬ女子高生(駒井連)が現れる。難を逃れながらも戸惑う正男は、不思議に思い、彼女に詰め寄るのだが、はぐらかされるばかりであった。高校に通う傍ら正夫の家にときどき顔を出し、一緒にボーリング、お祭りで金魚釣りなどをする。その後、正男は笑子の携帯電話に登録された自分の連絡先が「お父さん」と表示されていること、彼女の名前が葉山笑子(えみこ)ということを知る。そして、本当の自分の名前が中村正男だと明かすのだった。
笑子と家族もどきの時間を過ごすうちに、正男は少しずつ失っていた自分を取り戻していく。自分のことを大切だと思ってくれる、自分のことを必要してくれることがが生きる支えになり、自分の存在意義を見いだせることにつながっていくものであった・・・。少し変わった親子の在り方、高校生頃の心の揺れ動きを描き出して行く中で、切なくも温かな余韻を残す作品となっていた。
笑子は正夫の家で肉ジャガらしきものをつくったり(写真)、実家でも料理をするシーンが見られる。その駒井連は、あるインタビューで次のような応答をしている。
記者、「正男の家や自宅での料理シーンがありますが、手際よく作っていましたね。実際に家でも料理されているのでしょうか。」
駒井、「時々、自分でカレーを作るので、ジャガイモを剥いたりしています。でも、撮影の時は皆さんから、『大丈夫?』と心配されて、とても緊張しました。慣れているように見ていただいてうれしいです」
257.『小さな恋のメロディ』 (原題:Melody)
1971年、イギリス映画。監督:ワリス・フセイン。
舞台はロンドンの公立学校。典型的な中流家庭の金髪のダニエル(マーク・レスター)と、ガキ大将のトム(ジャツク・ワルド)は学校が終わると、いつも一緒に遊びのネタを見つけて楽しんでいた。
出だしのころ、共同住宅前の広場にリヤカーを馬に引かせ、子供達相手に不用品回収の移動車が来る。不用品を持参した子供に金魚の入ったガラス瓶や風車をチップとしてあげている、筆者の眼を引きつけたのはたくさんの風車がジャガイモに挿してあり、それらが風で回っていたこと(写真)。
厳格な教えを説く教師たち、子供にやや過剰に干渉しがちな親たちではあったが、二人は女の裸に関心を持ち始め、女子生徒のバレイ練習をのぞき見したため、ダニエルは美しいメロディ(トレイシー・ハイド)に夢中になってしまう。二人はいつしか互いに惹かれあい、悩みを打ち明け、初めて心を許す相手を見つけたと感ずる。ダニエルは勉強も手につかず、墓地や海でのデートを重ね、二人は結婚を意識し始める。
「どうして結婚できないのか」と問うが、当然親も教師もとりあわない。ある日の午後、教師が授業を始めようとすると、教室はほとんどもぬけの空であった。自分たちの手で二人の結婚式を挙げようと、クラスの生徒が集団エスケープしていたのである。教師たちはあわてて彼らを探しに行く。
廃線の脇の廃墟でトムが牧師となり、ダニエルとメロディが誓いの言葉を唱えようとした時、教師たちに見つかってしまい、子供たちは散り散りに逃げていく。暖かい日差しの中で大人と子供の乱闘が繰り広げられ、発明狂の男の子が作った自家製爆弾が車を見事に爆破すると、大人たちは恐れをなして一目散に逃げて行く。子供たちはやんやの喝采を挙げる。その頃、二人はトロッコに乗って花の咲く果てしない向こうへと駆け出して行くのであった。
258.『リトル・フォレスト』 (英題:little
forest)
2014、15年邦画。監督:森淳一 。
公開は、夏・秋編と冬・春に分けて行われた。五十嵐大介の漫画を映画化したもの。ロケは岩手県県南奥州市衣川区大森地区で行われ、自給自足の生活を通じて、都会で失った自信や生きる力を取り戻していくヒロインの姿を、旬の食材を使った料理などとともに描いたもの。
いち子は都会で男の人と暮らしたが馴染めず田舎の小森に戻ってきていて、都会からUターンしたユウ太と養魚場でアルバイトをしていた。いち子は露地栽培で野菜を得、サツマイモ、サトイモもつくっており、アケビやクルミの実を拾い、合鴨農法のために飼われている合鴨を自ら絞め、解体し、料理をつくる。小森の冬は深い雪に覆われ、雪かきに追われるなど厳しい。しかし冬の寒さで、外気で凍らせた凍み大根や秋から保存する干し柿をおいしくしている。
ストレスを感じたときは甘い餡子入りおやきや饅頭、アズキのマフィンを作って食べ解消するが、タイミングが大切なアズキ栽培や餡子作りをしてみて、いち子は昔小森を出るのが早すぎた、自分は働き者の小森の人々と違って「かばねやみ」(怠け者)なのだと思う。
(橋本愛さんは、公開前に「今日サボッったら、後に作物がダメになってしまう危機感とずっと向かい合って、そこから逃げられない生活を知り、自分自身に重ねると途方もない生活であると感じた」と語っていたのが印象的。)
母が失踪したときも大雪だった。いち子は一人になってからの労働の大変さに母の苦労を想い、自分は母にとって本当に家族と言えたのだろうかと考える。
秋に届いた手紙には失踪の言い訳と近況が書かれ、人生は同じところを廻るようだけど、円ではなく螺旋状なのだというようなことが綴られていた。
失踪前の母・福子はジャガイモを混ぜたパンが得意だった。生地に潰したジャガイモを混ぜてつくるパン・ア・ラ・ポム・ド・テール≠ニ呼ぶべきものであり、いち子がつくると母ほどフンワリとしない。 母はこのレシピを教えてくれず、「いち子が20歳になったら教てあげる」と言っていた。
いち子は、小森を離れ、5年後、結婚相手とともに小森に帰ってきて、キッコはユウ太との間に子どもをもうけている。旧分校のステージで、いち子が人々の前で神楽舞を披露し、それに全編からの場面を重ねて物語は終わり、エンドロールは小森の人々の日常生活を映して終了する。
259.『ゴッズ・オウン・カントリー』 (英題:God's
Own Country)
映画の舞台がアメリカのヨークシャーの田舎がと知って、ジャガイモが期待できそうと借りてきたDVDである。母が居なくなり、祖母と、杖をついて歩くのが精一杯だが口うるさい父と、青年ジョニー(ジョシュ・オコナー)は生活し、家族的畜産経営をしていた。さっそく見えた家族の食事はパンに皮つきの全粒ジャガイモが入ったスープが主体と見えた(写真)
ある日、牛の出産が始まってしまい、父はルーマニアから短期労働者としてやってきたゲオルゲ(アレック・セカレアヌ)という男を雇うこととする。しかしジョニーはひとりでは仕事をこなせないながらもいらいらしている。
山で放し飼いしている羊の出産が始まると、ゲオルゲは生まれたばかりの息のしない子羊を蘇生させるなど、優しく接するのであった。また、崩れた石垣を修理していた時、ジョニーは手のひらに怪我をすると、心配したゲオルゲは彼の手を取り、傷の具合を見てくれる。しだいに彼に心惹かれていくジョニー。やがて二人の心は通じ、激しく抱き合いホモへと進む。ゲオルゲの経営のアドバイスの聞く耳を持ち、一時入院していた父が退院できると、バスタブで体を洗ってやるほど、前向きの姿勢が見えてくる。
ある夜、ジョニーはゲオルゲを飲み誘うが、いざこざになる。トイレに駆け込んだゲオルゲは、個室でジョニーが別の男と関係を持っているのを見て、店を飛び出してしまう。翌朝、ゲオルゲの姿はない。祖母のもつメモで住所を知り、長距離バスに乗って、出かけた先のジャガイモ農場で、ジョニーはゲオルゲと再会する。そして、「戻ってくれ、離れたくないんだ!」と。ようやく理解したゲオルゲは「ヘンタイ」と呼びかけて微笑む。「お前もな」とジョニーが返す。二人は互いを「ホモ野郎」と呼びながら、キスをし、固く抱き合う。長距離バスに揺られ家に戻るジョニーの隣には、ゲオルゲの姿があった。男性同士の恋とその行方の背景には映画のタイトル『神の恵みの地』たる壮大な自然があった。
<ジャガイモ収穫風景、入れるための木製コンテナ、ジャガイモを入れて運ぶ大型トレイラーも見られた。>
260.『女王陛下の007』 (原題:On Her Majesty's Secret Service)
1969年、イギリス映画。 監督:ピーター・ハント。
ウィキペディアによると、
スペクターの首領ブロフェルドを探し回るのに飽き飽きし、イギリス秘密情報からの辞職を考えていたジェームズ・ボンドは、カジノ・ロワイヤルで現金を持たずに大金を賭けて負けたテレサ・ディ・ヴィセンゾ公爵夫人を助けた。
テレサと一夜を共にしたボンドは、彼女の父で犯罪組織ユニオン・コルスの首領のマルク=アンジュ・ドラコに拉致され、赤ん坊を亡くして絶望しているテレサと結婚してくれるように頼まれる。テレサに自分で立ち直らせるよう説得したボンドは、ドラコから礼としてブロフェルドがスイスに潜伏していることを聞く。
ブロフェルドは、ド・ブーヴィル伯爵の嗣子であると称し、その確認を英国紋章院に申し立てていた。ボンドは紋章院のヒラリー・ブレイ卿に成りすましてアルプスのピッツ・グロリアにあるブロフェルドの山荘に潜入し、彼がそこでアレルギー研究所を営んで10人のイギリス人女性たちに治療を施していることを知る。だが、正体が露見してボンドはスキーで脱出し、麓の町(サメーダン)でテレサと再会すると、彼女と共に無事ロンドンへ帰還した。ブロフェルドは10人の女性たちを催眠術で操り、運ばせた生物兵器によって七面鳥や牛・豚・鶏・ジャガイモなどを全滅させ、イギリスの貨幣価値および国家の壊滅を企んでいた。ボンドは、Mの黙認の下に、ドラコの協力を得てピッツ・グロリアを急襲し研究所を破壊したが、ブロフェルドは逃がしてしまった。
ボンドはテレサと結婚し、彼女のランチア・フラミニアに乗って新婚旅行に出かけた。だが、2人を追い越したマセラッティに乗っていたのは、ブロフェ
ルドであった。