ジャガイモの出てくる 映 画  第26集

浅間和夫

261.『じゃがいもと三日月 』
 1985年、テレビ番組。TBS系HBC・RKB共同制作。プロデューサー:渡瀬一男。
 東芝日曜劇場1500回記念番組として2週連続で放映された。北海道と九州の豊かな自然を背景に日本の片隅に生きる若者たちの心のふれあいを描く。ロケ地は北海道・喜茂別のジャガイモ畑と豊後竹田市の岡城周辺。
<写真:串にさした"あげいも"で有名な喜茂別の中山峠。背景は羊蹄山(蝦夷富士)。>
<第一週>
 北海道喜茂別町の農村で暮らすジャガイモ農家の竜太(新藤栄作)と親友で旅館の息子の鉄也(柳沢慎吾)は仕事に情熱燃やすこともなく、酒場のマスター(上条恒彦)に開拓精神を吹き込まれたりしている。鉄也の旅館に滞在中の蜂飼いの爺さん(浜村純)が山中で倒れ、アマチュア無線で助けを求めたてきた。それを傍受して救助したのが竜太だった。そんな二人の前に九州は竹田から駆け付けた河井咲子(紺野美沙子)があらわれ、同じハム仲間と知り意気投合する。
 爺さんの病気も快復したので九州へ連れて帰ることになる。鉢の巣箱を運送業者に頼まず、鉄也は30万円をゲットしようと考え、彼女に会いたい竜太と二人でトラックを運転して直接届けることを決意した。先方にも無断で2千キロ先の九州目指して出発したのだが・・。
<第二週>
 山道で竹田の看板を見たとたんに長旅の疲れと気の緩みで居眠り運転。トラックを溝に落としてしまう。竜太はハム仲間に救助を求めていると寺の住職(大和田獏)から応答があり、多くのハム仲間も現場を探して駆けつけてくれ、蜂を死なせずに届けることが出来たのだ。しかし、再開した咲子はまるで元気がない。聞けば失恋したという。大学の助教授である彼が教授の娘と婚約したらしいのだが咲子にも気がありそう。ゆれる関係を清算させて、竜太は告白したいのだが、竹田から逃れたい気持ちもある。
 そんなおり、寺の住職らが竜太たちのために岡城跡で三日月型の岩に灯をともす観月会という風流な催しを開いてくれることになった。そうして爺さんにも促され。失恋してもいいから悔いの無いように思い切って彼女に告白しようと決意する。そこへ咲子がきて、彼の言い訳に嫌気がさして別れてきたという。ここがチャンス時と竜太は思い切ってプロポーズする。翌日、竜太と鉄也は晴れやかな気持ちで喜茂別へと向かう。村で仕事に熱意が出てきたとき、咲子から無線で、プロポーズを受け入れの連絡あつた。
 タイトルの「じゃがいもと三日月」であるが、ジャガイモはダサくて素朴で本性丸みえの竜太のような男を、三日月は見えない部分もある咲子のことを表現しているようだ。

262.『名犬ラッシー 』 (原題:LASSIE)
イギリスのヨークシャーにおいて、少年ジョー・カラコフ(ジョナサン・メイソン)は、父のサム(ジョン・リンチ)、母のサラ(サマンサ・モートン)と暮らしていた。ジョーの親友は美しい毛並のコリー犬、ラッシー。授業が終わると、ラッシーが学校まで迎えにきてくれていた。ある日、ラドリング公爵(ピーター・オトゥール)が孫娘のシーラ(ヘスター・オジャース)と共に、この町に来てラッシーを買うことになる。
 ラッシーは檻の下の地面を掘り穴を通って逃げ出するなど、利口なラッシーは何度も逃亡し家に戻ってきて、公爵の雇人ハインズの怒りを買う。その後遠いスコットランドに連れてゆかれることになる。家に帰りたいとを知ったシーラの機転でまたも脱走する。
ラッシーは廃屋で雨宿りをした後、またヨークシャーを目指して歩き出すが、狭い道でトラックに会い、轢いてしまったと思った運転手は急ブレーキをかけ、道路から乗り上げてしまう。怒った運転手はラッシーを怒鳴りつけるが、サイドブレーキをかけていなかったため、動き出し路肩で停まる。そのショックで、荷台に乗せていたジャガイモ袋が崩れ、中身がこぼれ出してしまう、と言うシーンがある。(写真)
 ラッシーは160キロの湖を渡り、グラスゴーへ。野犬としてつかまり保健所に引かれるも逃亡に成功し、なんと裁判中の法廷の証言台に立つ。裁判長は「ついにまともな証人を連れてきたね」と冗談を入れる。ラッシーは隣の建物に飛び移り、トラックの荷台に飛び、またも逃げ去る。
 野原で同じ方向に歩くラッシーに気が付いた人形芝居をしているミジェットが馬車を停めて、餌を一つ地面に置くと食べないが、皿の上に餌を置いてあげると食べることから野犬でないと判断し行動を共にすることとなる。ラッシーもライオン役で出演したり、泥棒に噛みついたりして仲良くなるが、行く方向が異なるため、抱きしめて分かれることになる。
冬になってヨークシャーに雪が降ってくる。そんな中、ラッシーはジョーの家へと向かって歩き続け、ヨタヨタとジョーの家に到着するも、ジョーは不在。教会の歌声に向かうもののラッシーは力尽き、雪の上で横になる。幸い近くで飼われてた子犬が気付いて教会に走り、ジョーのマフラーを引っ張る。ジョーが雪を掻き分けラッシーを確認する。
公爵の知るところとなり、ラッシーの様子を見ると、あの距離を帰ったことに驚き、公爵は自分の犬ではないジョーの犬だと言いってくれる。ラッシーは元気になり、ジョーたち一家は丘を歩いている。そこへ公爵とシーラが車でやってくる。公爵はハインズが辞めて仕事に空きができたから、うちの犬の世話をしないかとサムに伝える。シーラは「やっぱり優しいんだ」と公爵に言う。しばらくして、シーラがジョーに貸与されていたコテージに遊びに行ってみると、ラッシーに7匹の子犬ができていた。その後、子犬を連れたラッシーと、高原の草原を走るジョーとシーラの姿があった。

263.『パルプ・フィクション 』 (原題:Pulp Fiction)
 1994年、アメリカ映画。監督:クエンティン・タランティーノ。
 「パルプ・フィクション」はアメリカの三文雑誌(パルプ・マガジン)から転じて「くだらない話」「意味のない話」というような意味を持つ言葉。いくつかの短編が、その名の通り、いくつかのくだらない、汚らしい人間の話であり、作中の人物は軽く殺人をやっている。短編ストーリーが、時系列とは違う流れで提供され、最後まで観てようやく正しい順番がわかるようになっている。おおまかなストーリーとしてはひとつのギャングの話である。
 この映画の主人公はヴィンセント・ベガ(ジョン・トラボルタ)。ギャングのボスであるマーセルスの部下の殺し屋。3年間アムステルダムで働いてアメリカに戻ってきた。(人生最後に無防備でトイレに入ったことを除き)冷静なヴィンセントと少し出来の悪いとこがあるが嫌われてはいないジュールスが黒の上下で身をつつんで、走る車のなかで会話する。ヨーロッパではメートル法が進み、アメリカとは違う生活習慣があると、似た服装の殺し屋に、にこりともせず、いろいろ並べたてていく。<写真>
「ところでお前、オランダではな、フレンチフライにケチャップをかけないんだぞ」
「じゃあ、何をかけるんだ?」
「マヨネーズ」
「嘘だろ、おい」
「この眼で見たんだ。それもな、皿の端っこにちょこっと置くんじゃなくてさ、マヨネーズの中にフライドポテトをドホッと浸けちまうんだぜ」
「グゲゲッ」
 1994年のアカデミー賞では7部門にノミネートされ、そのうち脚本賞を受賞した。カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを受賞した。その他にも多くの賞を獲得した。
クエンティン・タランティーノが描く斬新な群像劇として世間から好評を博した。ジョン・トラボルタやブルース・ウィリスを始めとする豪華キャストでも話題を呼び、彼らが作中で見せる様々な行動が強烈に印象に残る映画でもあり、「この映画を観て大真面目に考察する馬鹿な観客が出てくることまで見越して作られたのだ」という説もある。

 フレンチフライに何をかけるか。これは国によって大きな差がある。
アメリカでは圧倒的にケチャップであり、映画「コブラ」のシルヴェスター・スタローンが、トマトケチャップをかけた女に「フレンチフライがおぼれている・・・」と語るシーンがあることからも分かる。イギリスではケチャップか脂肪を減らす効果のあるモルトビネガーとなり、オランダやベルギーは断然マヨネーズとかわり、ソースを使う国もあるようだ。

264.『オーロラ 』 (原題:Aurore)
 2005年、カナダ映画。監督:ルック・ディオーネ。
 カナダ映画でオーロラと言えば、一度は見ておきたいあの現象をイメージするが、1920年に10歳で亡くなったAurore Gagnonという少女の話であり、2006年のフランス映画とは違うもの。
 オーロラ(マリアンヌ・フォッティナー)嬢のいるガグノン一家は、ある日従妹のマリアン・ウッデ夫妻に会いにいった。そこには息子3人がいて、すぐに打ち解けあう。しかし母マリアン・カロンは子供達が納屋のような場所に閉じ込められている少年にりんごを渡すところを見て違和感を感ずる。
 少しして母マリアン・カロンが当時薬の効かない結核にかかり、子供達は祖父母の家に預けられる。時が経ち、オーロラは10歳となり、2つ年上の姉マリージャンヌと一緒ではあるが、従妹のマリアン・ウッデ家族と生家に戻ることになる。入院している母はウッデ(ヘレン・ラクラーク)は危ない人だと夫テレスフォーンに訴えるが、夫はさほど気にしていない。我が子の危険を直感し、精神的にパニックを起こし、拘束具をつけられ、ほどなく他界してしまう。  そして、何とその葬儀を迎えたとき、父は未亡人となっていたマリアン・ウッデ(ヘレン・クラーク)と結婚式をあげてしまう。新しい母は、自分に少しでも反抗すると体罰を加え、非人道的。まずオーロラ達の末妹で僅か2歳のルシーナを標的にし、彼女が誤って「腐ったジャガイモを食べた」ことにして彼女を手にかる。次に2段ベットの階段から落ちたことにしてオーロラの弟の命も奪う。
 誰がやったか分かっているオーロラは悲しみに暮れ、自分の無力さに泣く。神を信望することを拒否し、「神様は母親と幸せを奪った」と激しい怒りを胸に潜める。一時的にストレス解消できていた祖父母との面会も新夫婦で引き裂かれ、ある日オーロラをして義母に「貴方は私の母じゃない」と叫ばせることになり、怒り狂ったマリアンに木の板でぶたれる。列車への飛び込み自殺を図るものの、停止して発覚。父は理由を聞かずに、殴り続け、足に怪我をさせる。両親の知人には、両親をかばい、不良少年に襲われたことにする。
 義母は教会でヘアクリップを盗んで罪をオーロラに被せたため、父から深夜まで折檻をうける。不審に思った祖父母は会わせてもらへず、神父に訴えるが、神父も真実から目を背けていた。そしてオーロラは僅か10歳で栄養失調と過度の暴力、脳の傷で亡くなる。
 夫婦は児童虐待としてつかまり、神父は遺体安置所にいるオーロラと対面し、救えなかったことに謝罪し、オーロラを埋葬してやることで幕となる。

265.『風と樹と空と』 
 1964年、邦画。監督:松尾昭典。
 石坂洋次郎の小説を映画化したもの。福島県から沢田多喜子(吉永小百合)が集団就職の一員として、高校時代の仲間手塚新二郎(浜田光夫)らと上京してくる。彼女は安川家のお手伝いさんになり、周りの人や同郷の人たちに支えられながら、騒動などを明るいタッチで描いていくもの。
 日活の従来のアクション路線がマンネリ化していたころ、浜田光夫・吉永小百合の純愛路線は多くのファンをつかみ、合計44作品で共演した。今回は映画の中のジャガイモではなく、外のジャガイモを取りあげる。
 2012年秋東京・西武池袋の西武ギャラリーで、吉永(67)が『吉永小百合展 一生生徒で・・・』を開いた。そのとき会場に浜田(69)らが祝福に駆け付け、「"ゴールデンカップル"と呼ばれていた二人、実際に恋愛感情を抱かなかったのか?」と質問を受けた浜田は往時を振り返り、
「撮影の合間に小百合ちゃんが『私の理想とするタイプは、年も上で包容力があり、ジャガイモみたいな顔の人。宇野重吉さんみたいな人』と言ったんです。その点ではかなわない。と諦めて、仕事に没頭できた。」と語った。二人は兄弟のように思っていたらしい。
 2014年7月には、都内で映画『ふしぎな岬の物語』の完成報告会が行われた。映画は岬の先端で小さな喫茶店を営む女主人(吉永)を中心に、店に顔を出す人々の交流を描くヒューマンドラマである。報告会に常連客のタニさんこと笑福亭鶴瓶が出席し、「和泉雅子さんから『小百合ちゃんは、あなたみたいなジャガイモ顔がタイプなのよ』と言われて、"この人、ホンマに僕のこと好きちゃう?"って思っていた」と語り、吉永さんを照れさせた。
 2015年2月高齢者と昭和映画を鑑賞して脳を元気にする「認知症予防プロジェクト」の上映イベントに二人揃って参加し『風と樹と空と』を鑑賞し、上映後思い出話に花を咲かせた。そして、2、3本共演した頃、吉永から「わたしの理想とする男性は年上で、宇野重吉さんのようなジャガイモみたいな顔の人が好き」と告白された・・・とここでも語り、「俺はトロロイモみたいな顔だから違うな」と諦めました、という話も入れていた。

266.『アルキメデスの大戦』 
 2019年、邦画。監督:山崎貴。
 戦艦大和の建造をめぐるさまざまな謀略を描いた三田紀房による同名マンガを、「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴監督が映画化したもの。
 1933(昭和8)年、日本と欧米の対立が激化してきた中日本海軍上層部は巨大戦艦の建造計画に大きな期待を寄せていたが、海軍少将・山本五十六は大型戦艦は国民が戦争を望む方向に進む気持ちなるものとしてその計画に反対する。山本は代替案を提案するが、上層部は世界に誇示する大和の建造を支持していた。山本は大和の建造にかかる莫大な費用を算出し、大和建造計画の裏に隠された不正を暴くべく、東京帝大の天才数学者・櫂直(かいただし,菅田将暉)を海軍に招き入れる。数学的能力、そして持ち前の度胸を活かし、大和の試算を行っていく櫂の前に海軍の大きな壁が立ちはだかる・・・。
 舘ひろしが山本五十六役を演じるほか、浜辺美波、柄本佑、大阪の造船会社社長笑福亭鶴瓶らが顔をそろえる。西の湯川秀樹に対し、東の櫂直と言われた役を務めた菅田将暉(写真)があるところで、人生で1番好きな食べ物は、ジャガイモとひき肉を甘辛く炒めたあんが入っているのが特徴だという“祖母の作るオムレツ”だと紹介した。幼少期何回もお替りしたと語った。
さらに、大型艦の設計を進める海軍中将平山忠道を務めた田中泯もいた。彼は57歳で役者デビューした世界的ダンサーである。現在は、山梨で農業生活を送っている。田中が作ったジャガイモ、通称「みんじゃが」は周りからも人気なのだとか。しかし、仕事で家を開けている間は知り合いが畑仕事をしてくれていると知ったジャガイモ男鶴瓶は、対談で、「それじゃ"みんじゃが"じゃないじゃないですか」とツッコミを入れられた。

267.『女王ヴィクトリア 愛に生きる』 (原題:Victoria)2 第6話「アイルランドの受難」( Faith, Hope & Charity)
 2017年、イギリス、テレビドラマ。監督:ジム・ローチ。
 この第2シーズンは日本ではNHK総合テレビで2019年5月より開始された、イギリスの女王ヴィクトリアを主人公とした歴史ドラマである。
 これまでの話では、ヴィクトリア女王(ジェナ・コールマン)わずか18歳で即位し、周囲の大反対を押し切り、運命の男性アルバート(トム・ヒューズ)との愛を貫いていた。
 第6話はカトリックであるアイルランドの農民が主食としているジャガイモの疫病というカビのまん延により凶作となり、飢えに苦しんでいた。アイルランド国教会の牧師ロバート・トレイル博士は飢饉でカトリックの母親が5人の子を残し亡くなったなどと窮状を新聞に投書する。陛下は末娘アリスを抱き首相ピールに子を抱えた母親の窮状を訴える。しかし従ったら党は分裂するとピールは言う。あなたの良心に従うと陛下はピールを揺さぶり、その意志の強さにピールは感銘を受ける。
 ジャガイモは主食類のなかで、最も短期間で効率的に太陽エネルギーを固定できる作物で、劣悪な環境でも育つ作物であり、地代を払うためにはこのジャガイモに頼るしかなく、多収であると導入されたジャガイモが疫病に弱い品種であるという知識もない時代であった。
 アイルランドを救いたいと言う陛下であるが、複雑な宗教問題がからみ、議会でも紛糾し救えない。また穀物法で小麦価格が高値で維持されているためイギリス国内の労働者もパンを買うのに苦労している現状があり、救援は及び腰となる。アイルランド事情をよく知らない陛下は行って確かめると言うけど、ピールは安全の保障が出来ないので行かない方がよいと進言する。また、夫アルバートも一つの作物に頼ってきたアイルランドを批判的に見ており、身近で緊急な宮殿内の不衛生な下水問題に対処するべく、水洗トイレの設置を進める。かくて、アイルランドでは翌年以降もジャガイモ疫病が「ランバー」品種で越冬・まん延することとなり、19世紀最大のジャガイモ飢饉(Potato Famine)となり、人口の少なくとも2割が死亡し、1〜2割が国外に脱出したという。【写真左疫病に弱いメークイン、右強い花標津(はなしべつ)。無防除栽培の例。】

268.『ミスタア・ロバーツ』(原題:Mister Roberts) 
 1955年、アメリカ映画。監督:ジョン・フォード、マーヴィン・ルロイ。
 第二次世界大戦中の問題の海軍貨物輸送船は、南太平洋の戦場からは遠いところにいたという設定。専制的な艦長(ジェームズ・キャグニー)の下、副長のロバーツ(ヘンリー・フォンダ)、パルヴァー少尉(ジャック・レモン)はじめ乗組員たちは、戦線に参加できず、退屈であるものの艦長のしごきに耐え続ける生活を送っていた。
 ところがある朝、島の野戦病院に派遣されて来たジニー以下美人揃いの看護婦が、シャワーを浴びている光景が見張り水兵の双眼鏡に映った途端、一同の退屈は吹き飛ばされてしまう。見張り勤務を志願する者が増え、アルコールを飲ます作戦も立てたもののバレてしまう。
 次の寄港地に着こうという時、ロバーツは艦長といさかいを起こし、転属願いを出そうとするが、「転属願いを出さず、また今後一切艦長に逆らわない」と言う条件と引き換えに、乗員の一時上陸を許可するよう艦長に詰め寄り、艦長の許可をとる。しかし、上陸して浮かれた乗組員たちは乱痴気騒ぎを起こし、上陸許可は一晩と経たずに取り消される。 ロバーツは艦長に従順であったものの乗組員たちの反感を買い、腹いせに艦長が溺愛しているヤシの鉢植えを海に捨ててしまう。艦長は彼の転属を許可する。
 ロバーツがいなくなると、艦内はまた退屈なもとの姿に戻ってしまう。しばらくして、ロバーツから乗務員宛に明るい手紙が届く。しかし、リヴィングストン号の友人からパルヴァーに当てた手紙にはロバーツが日本軍神風特攻機の体当たりに戦死をとげたと記してあった。
 筆者が取り上げたのは、写真のような豪華な顔ぶれによるコメディであることに加え。この輸送船は通称"バケツ"と呼ばれ、積み荷が単にジャガイモとティッシュペーパーであったためである。お許しいただければ幸いである。

269.『愛の予感』(原題:The Rebirth) 
 2007年、邦画。監督:小林政広。日本のドラマ映画。
04年に長崎県佐世保市の小学校で実際に起こった女子児童殺害事件を基につくられた。映画では東京で、14歳の女子中学生による同級生殺害事件がおきる。 それから1年後、事件直前に妻もなくしていた被害者の父・順一(監督自演)は、職を辞して、北海道の鉄工場で働いている。轟音の中、ほぼ無言で繰り広げられる作業。溶鉱炉での重労働を淡々と繰り返している。
民宿へ戻ってもやはり無言のまま一人食事をし、部屋へと戻る順一。偶然なのか、その民宿には犯人の母親(渡辺真起子)である典子が、賄いとして住み込んでいた。彼女はもくもくとジャガイモの皮を剥いてを料理をし、自分の食事は薄暗い台所の片隅で立ったまま残り物を掻きこむのであった。知ってか知らずか、順一は典子の作った食事を口にしようとしない。御飯と味噌汁、生卵をかけ味気なさそうに食べ続ける。2人の接点は毎日繰り返される朝晩の食事。
ある日、順一はついに典子の作った食事を口にし、二人の関係も、二人の日常も少しずつ変化し始める。単純に見える生活の奥深いところに、実は熾火 ( おきび ) のように燃えている2人の感情が緊張感と共に盛り上っていく・・・この出会いと交流を言葉ではなく、ささいな日常生活の変化によって物語を紡ぐ監督の手腕に注目され、日本人監督としては37年ぶりとなる最高賞の金豹賞に輝いた。

270.『ガーンジー島の読書会の秘密』(原題:The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society) 
 2018年、フランス・イギリス映画。監督/マイク・ニューウェル。
 1941年、フランスに近いイギリス領のガーンジー島はナチス・ドイツの占領下にあった。ドイツ軍が食用の家畜を取り上げ、 替わりにジャガイモを育てるように指導していた。そのような時期に、アメリアという高齢の女性が豚を隠していたので、エリザベス(ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ)が包丁、アイソラは自家製のジン、郵便局長エベンはジャガイモの皮だけでつくったポテトピールパイを持つなどして秘密の晩餐会を催すことができ、楽しい時間を過ごした。その帰り、エリザベスたちはドイツ兵に取り調べに遭う。
「夜は外出禁止だ。何をしていた?」
との質問に、ナチは文化活動だけは島民に許していたため、
「“ガーンジー島文学・ポテトピールパイ同好会”という読書会をしていた」
と咄嗟に嘘でごまかした。
 第二次大戦が終わって1946年1月、女性記者で作家のジュリエット・アシュトン(リリー・ジェイムズ)のもとにドーシー・アダムスという彼のファンでポテトピールパイ同好会の一員から、その誕生の由来などを書いた手紙が来る。読書会に関心を持った彼女が取材のためにガーンジー島に行き、読書会の場に赴くと、会員たち(ドーシー、アメリア、アイソラ、エベン、イーライ)から温かく出迎えられた。しかし心のつながりに育つ読書会の創設者であるエリザベスはいなかった。彼らは「エリザベスは戦時中に身柄を確保され、ドイツに送致されてしまった。でも、私たちは彼女がいつかこの島に帰ってくると信じているよ」と話してくれる。
 ほどなくして、ジュリエットは読書会についての記事を書き上げ、それをガーンジー島の首長に見せに行った。一読した後、首長は「エリザベスはこの記事で書かれているような聖女ではありませんよ。戦時中、彼女はドイツ軍の兵士に春をひさぐことで金品を得ていたのです。」と言う。そしてジュリエットがエリザベスの実像を把握しかねる中、ジュリエットのアメリカ人の恋人マークがエリザベスに関する情報を携えて島にやって来る・・・
【写真はシンボルのポテト・ピール・パイと仲間】


https://potato-museum.jrt.gr.jp/cinema26.html ジャガイモ博物館<新URL>。ジャガイモと映画 第26集

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