301.『ミツバチのささやき 』(原題:(原題:El Espiritu La Colmena、英題:The Spirit of the Beehive)
1973年、スペイン。監督:ビクトル・エリセ。
1940年フランコ政権軍が内戦を収めた直後のころのスペイン中部の小さな村。6歳の内気なアナ(アナ・トレント)はミツバチの研究に没頭している父フェルナンド、母テレサ、姉イサベル(イザベル・テリェリア)と暮らしている。
移動映画が町にやってきて『フランケンシュタイン』が上映される。アナとイザベルは、フランケン シュタインに魅せられてしまう。アナの一番の遊び相手は姉のイサベル。二人は仲が良いが、イサベルはいつもだまされやすいアナをからかってばかりいる。ある日、学校帰りにイサベルがアナを廃墟となった家畜小屋につれて行きここが精霊の家だと教えたり、悲鳴をあげて、固くなって死んだふりをしたり・・・
ある夜、アナは一人ベッドを抜け出し夜空に目を閉じる。同じ時、一人の逃亡者が汽車から飛び降り、負傷しながら廃墟へと逃げこんだ。翌日アナは彼を見つけるが恐れて逃げずに食べ物と父の上着を届けたりの交流がある。その後、夜の森の水辺でたたずむアナの前に、映画さながらのフランケンシュタインが現れる・・・。アナを演じたアナ・トレントのくい入るような純なまなざしが清々しい(写真)。
寡作だが、スペインの巨匠として知られるビクトル・エリセに大きな影響を与え、彼に後述のジャガイモの皮を剥かせたのはヴェネチア国際映画祭で3年連続受賞という快挙を成し遂げていた溝口健二監督の作品であった。エリセは映画学校を卒業したものの仕事にありつけず、兵役についていた。
フィルモテカで溝口健二映画の特集が行われるというニュースを知り、『山椒大夫』を見に行った。「没後50年溝口健二国際シンポジウム」(2006年)での発言によると、門限を守り、後半30分を見ないで帰るか躊躇したものの、『山椒大夫』を終わりまで観ることにした。映画の厨子王は、丹後の国守となって戻り、館の奴婢たちを解放するが安寿が厨子王を助けるために入水自殺したことを知る。そして老い果てた母との再会するクライマックスまで観ることなった。感動一杯、エリセは、ゆっくりと歩いて兵舎へ帰った。 門衛に止められ、「いったい何をしていたんだ」と問われる。「映画をみていたのだ」と答えると、よくある若者の事例とは外れため、あきれて食堂を指さし、「あっちへいけ」と言う。こうして門限を破った懲罰として、一晩中、ジャガイモの皮をむきつづけた。幸せ一杯な気持ちで。
302.『イーディ、83歳 はじめての山登り』(原題:EDIE)
2017年、イギリス映画。監督:サイモン・ハンター。
子どもを育て、30年間にわたり夫の介護に明け暮れてきたイギリスの老婦人イーディ(シーラ・ハンコック)は、娘から老人施設への入居を勧められている。ある日、町のフィッシュアンドチップス屋で追加オーダーが可能か尋ねると、店員が口にした「何も遅すぎることはないさ」と笑顔で答える(写真)。その言葉に刺激を受け、かつての夢を思い出す。そしてスコットランドのスイルベン山に登ることを決意する。これまで家族のために生きてきた彼女が、初めて自分のために一歩を踏み出したのだ。
住み慣れたロンドンを離れ、たったひとり夜行列車でスコットランドへ向かう。偶然出会った地元の登山用品店の青年ジョニー(ケヴィン・ガスリー)をトレーナーに雇い、山頂を目指すため訓練を始める。最初は誇り高く頑固なイーディはジョニーと衝突を繰り返すが、彼の丁寧な指導を受け、登山グッズの使い方を覚え、山頂までもルートを確認し、人に頼ることの大切さも学ぶ。そして準備を整えたイーディは、ついにスイルベン山に向かう…。
本ジャガイモと映画読者には、暖かくておいしそうなイギリスで人気のフィッシュ&チップス(日本のフレンチフライ)を見せてくれ、後期高齢者には、撮影時83歳のシーラ・ハンコックの老婦人ならではの上品さと、初登山に心をときめかせる少女のような初々しさを胸に秘めたイーディを務めた映像を、おまけに登山中もイーディと衝突を繰り返しながらも、丁寧に山登りを指導するトレーナーのジョニーとの山での掛け合いもよかった。
303.『素晴らしき日曜日』
太平洋戦争の傷跡が残る東京。夕食はいつものとほり、ジャガイモにみそ汁であり、パンパンと言う言葉がよく知られ、デートのことをランデヴー、カップルをアヴェックと言った時代。東宝の労働争議で有名俳優に代わりカップルとして雄造(沼崎勲)と昌子(中北千枝子)を起用。ふたりは日曜日にデートをする。住宅展示場を見学するが、高嶺の花である。子供の野球に飛び入りすると、雄造の打ったボールで窓ガラスを壊し、損害賠償を払わされる。戦友が経営するキャバレーを訪ねるが、物乞いと勘違いされ相手にしてもらえない。日比谷公会堂に「未完成交響楽」を聴きに行くが切符を買い占めたダフ屋に抗議した雄造は袋叩きにされてしまう。
雄造は昌子を自分の下宿に連れて行き、彼女の体を求める。怖れた昌子は部屋を飛び出すが、やがて観念したように戻ってきて、泣きながらレインコートを脱ぎはじめる。心を打たれた雄造は「ばかだな、いいんだよ」と、昌子をいたわり詫びる。
雨がやみ、日比谷野外音楽堂に足を運び、雄造はオーケストラの指揮の真似をして昌子に「未完成交響楽」を聞かせようとする。しかし、いくらタクトを振っても曲は聞こえない。すると昌子はステージに駆け上がり、(映画の客席に向かって)叫ぶ。「皆さん、お願いです! どうか拍手をしてやって下さい!」この言葉に励まされた雄造が再びタクトを振ると、『未完成交響楽』が高らかに鳴り響くのだった・・・。
黒澤明によると、D・W・グリフィス監督の無声映画『素晴らしい哉人生(恋と馬鈴薯)』から着想を得たという。即ち、若いポーランド人の2人が住宅難で結婚できない。そこで空き地を借りてジャガイモを植え、その収穫でちいさな家を建てようとする。やがて収穫の時期にジャガイモを運んでくると暴漢に襲われてすっかり盗まれてしまう。青年は絶望するが、恋人は彼を励まして再起させる。というストーリ-であった。
304.『殺人狂時代』
1967年、邦画。監督:岡本喜八。
チャールズ・チャップリンの「殺人狂時代」とは違うブラック・コメディである。
犯罪心理学の大学講師桔梗信次(仲代達矢)のもとに、ある日「大日本人口調節審議会」の者と名乗る殺し屋が桔梗を殺しに来るが、偶然にも返り討ちにしてしまう。この団体は、人口調節のためにムダな人間を殺すのが目的で、会長はヒットラーに心酔する精神病院院長・溝呂木(天本英世)で、元ナチスの将校ブルッケンマイヤーも加わっている。
桔梗はたまたま知り合ったミステリー記者の鶴巻啓子(団令子:写真)、車泥棒の大友ビル(砂塚秀夫)と共に、桔梗を狙う殺し屋達と対決することとなる。一方、元ナチスの将校の言動に不審を抱いた溝呂木は彼を拷問し、目的が桔梗1人であること、その背景には大戦中に紛失したダイヤモンド「クレオパトラの涙」が絡んでいることを探り出す。
命を狙われる桔梗は幸運に恵まれて次々刺客を返り討ちにするが、啓子が溝呂木に捕らわれてしまう。啓子を救出する決意を固め、桔梗は命懸けの闘いをする。義眼に毒針を仕込んだ女、松葉杖からメスを発射する男などの殺し屋が相手だ。そして、オロシガネやジャガイモの皮むきで闘うなど意表をつくアクションもあるものの、放映当初の視聴率は低かった。
その桔梗の前に遂に溝呂木が現れ、驚くべき事実を告げる。8歳の頃、少年使節としてナチスの支配するドイツへ渡った桔梗は、滞在中に負傷した肩にダイヤを縫い込まれていたのだ。啓子が捕らわれる病院に同行した桔梗は、溝呂木との一対一の決闘に挑むことになる・・・。
305.『飼育』 (原題:Gibier
d'elevage)
2011年、カンボジア・フランス映画。監督:リティ・パニュ。
大江健三郎の小説の『飼育』を参考にしている。即ち、太平洋戦争末期に寒村に墜落した米軍機の黒人パイロットを村人たちが“飼う”というグロテスクな寓話を、1972年のカンボジアに置き換える。隣国ベトナムはアメリカとの戦争の真っ只中で、空爆に向かう米軍ジェット機が轟音を残して上空を通り過ぎていく。ある日、国境近くで爆撃機が墜落し、黒人パイロットが捕えられる。牢につながれたパイロットは、クメール・ルージュの共産主義思想に洗脳されかけている少年ポン(シリル・ゲイ)とその仲間たちによって監視される。見張り役の子供たちは、その黒人を敵と見なさず、“飼育”の必要な動物にすぎない。
78年に起きた大虐殺の予感はまだなく、読み書きができない子供達は革命は正義だと教えこまされている。そんな中ジャガイモを蓄えていた若い夫婦がジャガイモを取り上げられ、人民裁判で自己批判をさせられる場面がある。祖母はポルポトら指導者がやがて暴力的になることを予感し、少年とは口を利かなくなっていく。しかし、少年はイデオロギーに洗脳されていく。
やがてパイロットは見張りの目を盗んで逃げようとするが失敗。そして事件が起こる……。殺さないでいられるのか……?
カンボジア出身のパニュ監督曰く、「カンボジアの、共産党が革命を起こすにいたる時代を描きたかった。厳しい条件下で文字を読めない10歳から13歳くらいの子にまず権力を与えて、脅して圧力をかける。そして、暴力への道に追いやって、それが正義なのだと教え込ませるのです。しかし、一度暴力の中に巻き込まれてしまうとそこから逃げることはできません。」
306.『歩いても 歩いても』
失業中の横山家の次男良多(阿部寛)は、最近再婚したばかりの妻ゆかり(夏川結衣)とその連れ子のあつし(田中祥平)とともに電車で実家に向かう。実家は開業医で、跡取りと期待した長男は15年前に亡くなっており、その命日に帰省するためである。
実家に到着すると、すでに姉ちなみ(YOU)一家も来ており、母親とし子(樹木希林)を中心にお喋りしながら、料理を作っている。人参の皮を包丁でこそげ、豚肉の角煮、包丁で茗荷を半分に切りシャキシャキと千切りし、茹で上がったジャガイモを摺り鉢に入れてすりこ木でつぶしていく。枝豆らしきものの皮を剥いて揚げたりしながらお喋りも続く。
父は思った通り気難しい表情を浮かべ、自分の部屋にこもっている。まだ人助けで死んだ長男を思い出し、次男本人はコンプレックスを感じている。食卓には母の作った手料理が並び、思い出話に花が咲く。そんな何気ない会話の中に、家族それぞれが抱えた事情が見え隠れする。
昼めしを終え、少し涼しくなっ てから、墓まえりをする。夜には母が舞い込んだ黄色い蝶々を純平だと言い出したり、隣の人の急病に役に立てない恭平を見たりして両親の老いを実感するようになった。
家族の歴史、そして家族の肖像を、是枝監督は日常の視点で丁寧に描いていく、風呂あがりに着る浴衣の用意に嫁の分が無かったり、異母兄弟になる子供の生まれることを期待しないと判る言葉を適任の樹木希林にチクリと吐かせたりする。そのようなどこにでもありそうな明と暗が向田邦子のTVドラマ「阿修羅のごとく」のように進められ、本映画のタイトルである石田あゆみのヒット曲「ブルーライト・ヨコハマ」の歌詞の一節をイメージさせる。
映画は、それから7年後に飛ぶ。恭平ととしこが亡くなっていた。良太一家が墓参りに来ている。ゆかり、背の伸びたあつしに、娘も出来ていた。遠くで、海だけが昔と変わらずに青く輝いていた。
307.『メンタリスト 第18話「血染めのジャガイモ」』 (原題:The Mentalist−Russet Potatoes)
2009年、アメリカTVドラマ。監督:ノルベルト・バーバ。
男が大きな布袋を背負い、ぶつぶつ何かを言いながら歩いている。そして、チョウ、リズボン、ジェーンが入室の手続きをしているCBIの玄関に入って来る。その袋からは血が滴り、中から女性の死体が見えていた。運んできた男(少年?)は、カール・レズリックと名乗り、警察署にジャガイモを届けに来だけだと言い張る。ジェーン(サイモン・ベーカー)が男を調べると、暗示にかかっても、自分の人格に反することはしないため、カールの性格から判断して、暗示がかけられている状態だと分かる。
ジャガイモが出てくるわけではなく、カールが布袋に入っていると主張しただけの話であって、何かを暗示するわけでもない。CBI捜査コンサルタントのジェーンが暗示から目覚めさせようと努める姿は好感を得るだろう。
Mentalist-メンタリストとは、人の心を読み暗示にかける者、思考と行動を操作する者のことである。ドラマの中でも暗示で人を殺せるのか?という質問があるが、ジェーンの言うとおり、本人の性格に反することを言えば暗示が解けてしまうため、普通殺人までは出来ないようであり、命令は性格に反しない範囲で出すと生きてくるらしい。そこで命じる側は、「人を殺せ」とは言わず、「襲ってくるライオンを殺さないと自分が死ぬぞ!」と暗示をかけ拳銃を渡すと人をライオンと思い込み発砲するのだとか。
308.『ピータールー マンチェスターの悲劇』 (原題
:Peterloo)
2018年、イギリス映画。監督:マイク・リー。
1815年、ナポレオン率いるフランス軍に、ウェリントン公爵率いる連合軍が
勝利する。しかし、イングランド北部のマンチェスターでは、多くの労働者が
失業し、賃金は低下し、物価は上昇し、経済状況は良くない。
紡績工場で働くジョシュアの一家も妻のネリー(マキシン・ピーク)がポテ
ト・パイを売って小銭を稼いでいたが、生活は苦しくなる一方であり、ナポレ
オン戦争から帰還した息子ジョセフ(デイヴィッド・ムーアスト)の働き口も
みつからない。映画の前半は、ジャガイモの皮を剥くシーンもあり、これら市
民生活の描写が観客も民衆の一人として共感を抱きたくなるよう仕上げられて
いる。
そんな中急進派の改革者たちが集会を開き、労働者に選挙権がないことが問
題と説くと、政府は共和制の実現かと監視強化を決めていく。 人々の不満は
王室にも向かい、摂政王太子が貴族院からの帰り道に、乗る馬車にジャガイモ
が投げつけられる(写真)。貴族院は人身保護法を即時一時停止、告訴なしで
国民を拘束できるようにしてしまう。
そこでマンチェスターの運動家たちは1819年8月、セント・ピーターズ・フ
イールド広場で著名な活動家であるヘンリー・ハント(ロリー・キニア)に演
説してもらうことにする。この会場の群衆に政府は騎馬兵を突っ込んでくる。
それが、非武装市民6万人に起きた悪夢“ピータールーの虐殺”である。多く
の抗議者が亡くなり、数百名が負傷した。この事件は、英国の民主主義におい
て大きな転機となり、ガーディアン紙が創設される重要なきっかけとなったと
いう。なお、このような犠牲を払っても1832年の第1回選挙法改正では財産に
よる制限がつき、有権者は総人口の4.5%に過ぎなく、21歳以上の男女ともに
選挙権を獲得したのが1928年であった。
309.『ゾンビウォー101』 (原題:101 Zombies)
2010年、アメリカ映画。監督:ネリ−・ローソン。
南部のある田舎町。ブロークン・スプリングスは平和であった。しかし炭鉱の爆発事故により、近くに埋蔵していた緑の薬品兵器が川に流出する。その川からビリー(シャノン・ウォレン)という男が水を汲み、密造酒を製造する。
その密造酒を飲んだ人たちが次々ゾンビになって襲い始め、ゾンビの拡散が始まる。ケン(ティーグ・クィレン)と住む義父が密造酒を飲んだ瞬間、顔色が変わり、警察官の腕に噛みつく。
ケンは学校で友人のデイヴ(トラヴィス・ムーディ)とその弟のブランドン(ブランドン・ジェンキンス)と共に授業をさぼり、タバコを吸っていたところを教師に見つかり、彼らは1週間の謹慎を言い渡され、家に帰ったケンはゾンビと化した義父に襲われ、ました。ケンは銃を手に取り、義父を撃つものの止めを刺すことが出来ず、友人たちと共に隠す。
しかし事態は悪化する一方になり、バカ騒ぎが続くことになる。デイヴはラジオ局に勤める牧師に電話し、密造酒を飲んだらゾンビになると伝えるものの、変な牧師は密造酒を飲めば助かると嘘の情報を届け、いっそうゾンビが増えていく。ケンは友人のデイブやブライドン、生き残った住民たちと結束し自分達の愛する人を救う為、迫り来るゾンビを蹴散らし町を脱出しようと試みるのだが・・・・と言う低予算だがスピード感あるコメディゾンビ映画である。
ジャガイモが出るのは、TV局カメラマンのロンとビリーが、最強兵器ジャガイモ砲を使い、その玉ことジャガイモが空を切っていきゾンビの頭を爽快にぶっ潰しつつラジオ局建物に乗り込み、牧師と対峙し、ジャガイモ砲で倒すという場面である(写真)。
310.『従兄ジュール』 (原題:Le cousin Jules)
1972 年、フランス映画。監督:ドミニク・ブニシュティ。
なにかの作業小屋らしいところが映し出され、鶏の声が聞こえる。別の住居らしき建物の扉が開き、老人が、表においてあった木靴を履いてカツカツと歩き出す。近くの道路から声をかける人がいて、老人の名前がジュールだということを知る。
先ほどの仕事場にやってくると、かまどの火で熱した金属を、ハンマーでリズミカルにたたきながら、器用に変形させてゆく。老婆が、外でジャガイモの皮をザザッザザッと音を立てて剥き(写真)、左のバケツに入れている。ジャガイモ持つ左手の人差し指は先がない。ふたりはそのジャガイモを茹でた料理を小さなテーブルを囲んで食べる。それから、滑車を使う釣瓶(つるべ)ではなく、ロープを丸太に巻いて汲み上げた水を沸かしてコーヒーをいれ、椅子を並べてそれを飲む。ふたりともほとんど何もしゃべらない。毎日のように繰り返され、余分な言葉など必要ないのであろう。
フランス、ブルゴーニュ地方の田園地帯の老いたふたりの一日をドキュメンタリー風にまとめたものであるが、この実際の撮影は1968年から公開までかけたものであり、ナレーションはない。某テレビの『ポツンと一軒家』は、そこに住む人が感じている達成感、自然とともにある幸福感などが滲み出ているところがあるが、ここでは解説もふたりの会話もない。時間が止まったような静かな映像の流れに生活音だけがリアルに聞こえる叙情詩のような映画である。映画が終わってから字幕により、ジュールは1890年生まれであり、老婆の名はフェリシーであると知らされる。