ジャガイモの出てくる 映 画  第31集

浅間和夫

311.『釣りバカ日誌20 ファイナル』
スーさんこと鈴木一之助(三國連太郎)が会長を務めている鈴木建設は不況の波に押され業績が思わしくない。社員が戦々恐々しているなか、いつもは仕事に興味がないハマちゃんこと浜崎伝助(西田敏行)は、会社の行く末を心配し、得意の釣り人脈を使って大口の契約をまとめてくる。御褒美にスーさんは料亭にハマちゃんを連れて行く。そこで葉子(松坂慶子)とたまたま来ていた娘の裕美(吹石一恵)をハマちゃんに紹介する。
 ハマちゃんは会社から御褒美に、北海道旅行と有給休暇をプレゼントされ、スーさんと一緒に釣り旅行となる。ふたりは獣医として働く裕美を訪ねるが、そこに葉子も訪ねてくる。裕美は俊介と同棲しており、葉子はこれに反対するが、スーさんとハマちゃんが説得してあげる。翌日、ハマちゃんは釣りに、スーさんは友人であった葉子の両親のお墓参りを果たす。
 北海道から帰ってきて家で寛いでいたハマちゃんのところに、突然スーさんの奥さんから電話が入る。スーさんの容態が危ないと言われ、ハマちゃん夫人のみち子さんは神社でスーさんが助かるように祈る。夢で三途の川を渡るために列に並んでいたスーさんであったが目を覚ます。
 元気になったスーさんは、会長を辞して会社から去ることになる。会社と社員への想いを熱く語ったスーさんに、社員達は大きな拍手を送る。舞台にはハマちゃんも上がり、二人で「釣りバカ日誌」の映画の幕を笑顔でおろす。

 22年間にわたって映画化され続けてきた長寿作の完結編が公開される2009年12月26日、メイン館となる東京・千代田区の丸の内ピカデリーでは、初日を記念して紅白のジャガイモセットが先着2000人にプレゼントされた。最後の舞台となったのが北海道・中標津(なかしべつ)町だったため、中標津農業協同組合の協力により同町特産品であり、同町にあった北海道立根釧農業試験場が1974年に育成した「ワセシロ」(伯爵)と赤い「レッドムーン」のセットであった(写真)。

312.『瓜二つ』
2016年、邦画。監督:山川智輝。
 ある男が倉庫に入り込む。そこで見つけたジャガイモを手に取り洗って見ると…(写真)。と言う14分余りの短編映画である。
 監督の山川智輝さんは1994年生まれで、名古屋ビジュアルアーツ映像学科卒の人。
 2012年に「けいどうみゃく」が第4回学生残酷映画祭で審査員特別賞を受賞。 同作は、2013年、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭上映された。  この「瓜二つ」は2016年19th CHOFU SHORT FILM COMPETITIONでグランプリを受賞し、 同年、第18回長岡インディーズムービーコンペティションで監督賞を受賞、続いて第20回水戸短編映像祭にて水戸市長賞『準グランプリ』を受賞したものである。

313.『アメリカン・ラプソディ』 (原題:An Ameridan Rhapsody)
2001年、アメリカ映画。監督:エヴァ・ガルドス。
 冷戦期共産圏のハンガリーに住んでいる4人家族(父、母、長女(当時5歳)次女(当時0歳))が安全確保のため、皆でアメリカに亡命し、安心安全で幸せな家庭を築こうとする。しかし乳児の次女(ジュジー)は一緒にアメリカに逃げることは難しい。そこで父、母、長女だけが先にアメリカに渡り、ジュジーは泣かないように薬で眠らせてジャガイモ袋に入れ荷物として運ぶ予定だった。しかし祖母が急遽それは危ないと判断したため、翌日にジュジーは一緒にアメリカに行くことができなくなった。このためジュジーは子供のいない里親に預けられ5年間を過ごしていたが、家族は悲願の再会を果たすことになる。
 しかし、ジュジーにとって、幼いころに離れ離れになった時間が長く、両親の記憶はまくない。さらに家族が家族らしい関係になるには、娘と両親の生きてきた環境は、あまりにも違っていた。故郷は貧困だが、自然の豊かなハンガリーで過ごすことができたため、本当の両親と過ごす今のアメリカの環境と文化は、どうしても馴染めない。家族とは何か、本当の親子の意味はと悩む。長したジュジー(スカーレット・ヨハンソン)は、自分のアイデンティティーを求め、ハンガリーの育ての親を想い、そして、再び故郷ハンガリーの地へと向かう。
 監督の実話に基づくものであり、過度な演出は押さえて撮られている。

314.『蒸気船ウィリー』 (原題:Steamboat Willie)
1928年、アメリカ・アニメ映画。監督:ウォルト・ディズニー。
 ディズニーの初めての音声付きモノクロアニメーション作品。当時サイレント映画用に作っていた『蒸気船ウィリー』をトーキー映画として作り直したものであり、これでミッキーマウスがスクリーンデビューを飾った作品。
 ある蒸気貨物船で、ミッキーはいつものように口笛で「Steamboat Bill」を吹きながら御機嫌よく船を操縦していると、船長のピートがやって来て無許可操縦していたため叱られる。
 ある港に着いた船はミッキーの手伝いでクレーンを使って家畜を積み込んで出港するが、遅れて追いかけて来たミッキーの恋人・ミニーが置いてけぼりを食らう。ミッキーはクレーンを操作してなんとか彼女を拾い上げるものの、その際に彼女が持っていた楽譜や楽器が床に散らばり、皆山羊に食べられてしまう。ところが不思議なことに、山羊はそれを食べたせいか生きたオルゴールと化す。そこでミニーが尻尾を回すと、わらの中の七面鳥が流れだす。その姿にハマったミッキーはバケツやスプーン、果ては猫や七面鳥、豚、牛まで楽器代わりにして大騒ぎな音楽演奏を始めてしまう。
 しかし調子に乗りすぎて、またしても船長に叱られ、今度は罰として夕食の料理に使うジャガイモの皮をむく羽目となる。船窓からその無様な様子を見たオウムはミッキーを嘲笑う。腹が立ったミッキーはジャガイモをオウムに投げつけて外に突き落とし、その声を聞いて満足げに笑うのだった...
 港に着いた船は、牛や七面鳥などの家畜をミッキーの手伝いでクレーンを使って積み込んで出港するが、遅れてやってきたミッキーの恋人・ミニーが置いてけぼりを食らう。ミッキーはクレーンを操作してなんとか彼女を救い上げるものの、その時彼女が持っていた楽譜や楽器が床に散らばり、全部山羊に食べられてしまう。
 ところがなんと不思議なことに、山羊はそれを食べたせいかオルゴールに変身する。そこでミニーが尻尾を回すと、わらの中の七面鳥が流れだす。楽しくなってきたミッキーはバケツやスプーン、果ては猫や七面鳥、豚、牛まで楽器代わりにして「藁の中の七面鳥(オクラホマミキサー)」などを演奏して大騒ぎする。
 調子に乗りすぎているところを船長のピートが見つける。怒った船長は、罰として夕食の料理に使うジャガイモの皮をむく罰を与える。船窓からその情けない様子を見たオウムはミッキーを嘲笑う。
 腹が立ったミッキーはジャガイモをオウムに投げつけて外に突き落とし、その声を聞いて満足げに笑う。 その時からミッキーは、白いボタンが付いたお馴染みのズボンをはき、それに似合う帽子をかぶり、目を引くものだった..
 初代のミッキーの声をウォルト・ディズニーが担当していたことは有名。アイルランドの大飢饉の際、ケネディ大統領の曾祖父がアメリカに渡ったことも有名な話であるが、実はウォルトディズニー社を創ったウォルト・ディズニーの曽祖父も、1845年に起きたこのジャガイモ飢饉の折に、米国へ移住した一人だった。
 Mickeyと言う呼称について、、はじめはモーティマー(Mortimer)だったところ、ウォルトディズニーの夫人がMickeyの方が良い、と進言してMickey Mouseになった、と言われている。Mickey(またはMick)はアイルランド系に多いと言われる男子の名前Michaelの愛称である。このため、かってアイルランド系移民たちがアメリカ社会の最下層に属するとして差別的に使われたこともあったが、移民達は勤勉家でプライドの高いことでも知られ大統領を数人出したことから、今日差別的に使う例は見られなくなった。

315.『グッモーエビアン!』
2012年、邦画。監督:山本透。
吉川トリコの小説を映画化している。
 名古屋で元パンクバンドのギタリストで17歳で未婚の母となったシングルマザーの広瀬アキ(麻生久美子)と、その母を支えるしっかり者の中学生ハツキ(三吉彩花)が暮らしている。性格こそ対照的だが親友のような親子である。海外で放浪生活を送っている自由人矢口ヤグ(大泉洋)から絵はがきが送られてきた。それに映画のタイトルの「グッモーエビアン!」とあったが、ハツキの新担任で英語の先生のあいさつから「Good Morning Everyone」の耳学問と知る。
ヤグはアキが所属していたパンクバンドのボーカルをしていた。 2年間の放浪を終えて、突然舞い戻って来る。アキが勤めから帰る前に、インドで修行したとか言いつつカレーライスをつくる(写真1)。撮影では煮込まれすぎた感じのものになっていた。
 かくて、久々の3人の生活が始まるのだが、ヤグは自由気ままで仕事を持たなく、その男に寛大な母の狭間で、思春期のハツキはなぜかその状況にいらだってしまい…。さまざまな経験を経て成長していく姿を映し出す。3人が織り成す、一風変わった家族の姿を描く。別の夜もカレーをつくって待っているいると担任の先生が訪ねてきたり、親友が転校後にハッシュドポテトと目玉焼きをつくってハツキに『うん、うま』と褒められたりする(写真2)。
 ハツキは、変わった家族ではあるが、愛情深いことを感じた後に、昔の仲間が揃ったロックバンドに出かけ、そこで結婚宣言を聞き、ハツキも壇上に上って両親を祝福する。

 付:映画の撮影時麻生久美子は5月に出産後妊娠中であり、大泉洋にも1歳の娘がいた。家族にはいろんな形があるもの。しかし、心が通えばどんな形でもいい家族になれると理解しあった。しかし、娘がヤグみたいな男性を連れてきたら? の問いに二人は「絶対ダメ!」「猛反対!」と声を合わせて発声。大泉も娘には賢い女性になって欲しく、働かない男性はタメだと現実的意見を述べていた。

316.『悲しみは星影と共に』 (原題:Andremo in Citta)
 1966年、イタリア・ユーゴスラビア映画 。監督:ネロ・リージ。
 第二次大戦中、ナチスドイツ占領下の旧ユーゴスラビア。ユダヤ人迫害が日に日に強まる中、眼の見えない男の子と姉の二人暮らし。母に先立たれ、父は収容所へ送られたまま行方不明。片田舎に住むレンカ(有名なチャップリンの娘のジェラルディン・チャップリン)には全盲の弟ミーシャ(フュデリーコ)がいた。弟を必死に守り、弟の目の代わりとなって、先行きのわからぬまま日々を生きているが、悲惨な現実を見せまいとしてあえて明るく努めている。
 解放運動に加わるパルチザンに恋した姉は、ドイツ軍の目をくぐって恋人と密会を重ねる。姉は眼の見えない弟が井戸に落ちたりしないよう手を柵に繋ぎ止めて、その彼との一時を過ごすこともあり、観る人を心配させる。
 ある日姉弟が自宅に戻ってから食卓につく、ミーシャはフォークを左に置き、重なった皿の上のものを取り上げて隣の席に置く。ナフキンを取って首にかけると、レンカが茹でたジャガイモを持って入って来る。そして、小さなジャガイモを3個取ると、食べやすいように半分に切り、塩をかけ、ミーシャの前の皿と取り替える。「熱いから 気をつけて」と(写真)。
 ストーリーは、ユダヤ人迫害の様子と生き別れた父の動向、姉の恋模様と、基本的に姉の視点で描かれます。収容所で死んだと知らされてた父が脱走して帰ってきて、パルチザンの彼氏のつてで偽造パスポートを作ってもらって未来に微かな希望が見えたところで、もののみごとに打ち砕かれてしまう。父は2度死ぬことになる。最後はユダヤ人いっぱいの目隠しされた列車で、人々は絶望に満ちている。そんな中ミーシャが訪ねる「ねぇ、ねぇ、お姉さん、今何が見えるの?」。幼い弟思いのレンカは外の美しい景色を創作して語り聞かせるのだった。

317.『赤い季節』
  2012年、邦画。監督:熊野哲彦。
 主人公健(新井浩文)は、バイク屋で父親の知り合いの陽子(風吹ジュン)と暮らしている。10年程前に父親(永瀬正敏)に捨てられていた。その時に拾ってくれたのが殺し屋の先輩に当たるアキラ(村上淳)が再び健を仲間に入れようとして、バイク屋に足を運ぶようになる。しかし陽子はそんなもののところにやりたくないとしている。ときおり、ライブシーンが混ざり、ロック好きのファンには喜ばれよう。
 父親は元刑事の殺し屋で、組織の黒幕の正体を知ったがために殺されていたのだった。父親の刑事時代の同僚(泉谷しげる)は、永瀬の残した事件(黒幕は誰なのか)を未だに追っている様子である。そんな時、健が路上で花の蕾を潰したことで、少年・剛(新居延遼明)が導線に火のついたダイナマイトを持って店に乱入してくる。取り押さえたものの自分と同じような境遇にあると知り、親近感をおぼえ、ロザリオをあげる。
 父親が自分の声を吹き込んで残したカセットテープを山小屋で見つけたたことから、健は自分が捨てられたのではなく、殺し屋組織に命を狙われた父親がわざと遠ざけたのだと知り、殺し屋たちに復讐を誓う。健は真実を求め、剛を乗せてある山小屋に行く、そこでまず土を耕しジャガイモを植える(写真)。しかしミミズがいるほど肥沃なのか肥料はやっていないようだ。そして「これだと勝手に育つだろう、俺みたいにさ」と何かを暗示しているのか。
 そこへ察知した殺し屋、実は健が敬愛していた情報屋、アキラなどがライフルと拳銃で襲いにくる。剛は心臓を撃たれ、健は辛うじて勝つことになる。実は剛の胸にロザリオがあり助かったいた。二人は血で汚れた赤い手でバイクに跨がり、夕陽を眺めながら‥‥。後日土からジャガイモが芽を伸ばしていた。そしてエンディングロールにはSNAKE ON THE BEACH「DEAR ROCKERS」が流れる。

318.『いま、会いにゆきます』
 2004年、邦画。監督:土井裕泰。
市川拓司の小説『いま、会いにゆきます』を映画化したもの。
 ある町に住む秋穂巧(あいおたくみ:歌舞伎界の革命児中村獅童)最愛の妻の澪(みお、竹内結子)に先立たれ、1人息子の佑司(武井証)と生活し、司法書士事務所で働いている。巧は記憶力がひどく悪く、すべての用件を逐一メモしてから仕事に取り掛かる日々を送り、朝食の目玉焼きや夕食のカレーライスつくりに失敗したり、家の中が散らかっていたりしているが慎ましく暮らしている。
 佑司は「雨の季節になったら帰ってくる」という澪の絵本に描かれた遺言を信じ、梅雨の到来を待っており、巧もいつも空模様を気にしている。梅雨に入ると、本当に澪が姿を現す。再会の翌朝、巧が目を覚ますと澪が朝食を作る。 巧とは違ってきれいに作られた目玉焼きに「すごい!」と佑司。勤務から帰ってきての最初の夕食はカレーライスであった(写真)。
 しかし、一切の記憶を失っているため、自分と家族のことを知りたがった。高校時代席が隣であったことから、寒い日ポケットで二人の手ふれたことなど、出会いから結婚に至る過程を知らせ、再度の恋愛が始められる。近くのドクターも信じない不思議な共同生活である。梅雨が終わると別れると判り、佑司はテルテル坊主を逆さにたくさん吊り下げ、澪は目玉焼きや掃除洗濯のコツを教え、成人に達するまでのバースディケーキをを予約する。延びていた梅雨明けが終わり、太陽で明るくなると男達は小学校や勤務から急いでもどってくる。シンプルでまっすぐな家族愛に目頭が熱くなるところ。
 また、昔にもどり、澪は巧にふられて帰り道に交通事故にあって意識不明の重体になる。その意識不明の時、澪は8年後にタイムスリップできたり‥‥。澪は、後になると残しておいた日記から、自分が幸せになること知っているため、満開のひまわり畑の中で、「大丈夫だから」と言って巧に抱きつく。このように、前後にタイムスリップを繰り返し普遍的な家族愛を描いたようだ。

319.『第十七捕虜収容所』 (原題:Stalag 17 )
 1953年、アメリカ映画。監督:ビリー・ワイルダー。
 第二次大戦末期。スイスとの国境に近いドイツの第17捕虜収容所の一画にアメリカ空軍の軍曹ばかり集めた第四棟があった。1944年のクリスマスに近いある夜、2人の捕虜がみんなの協力で、脱走することになる。2人が出かけたあと、無事に脱出できるかどうかの賭けが始まる。悲観説をとなえたのはセフトン(ウィリアム・ホールデン)軍曹だけだったが、まもなく銃声が聞こえ、2人は射殺されたことがわかる。
この計画が発覚したのは捕虜のなかにスパイがいるからに違いないと、皆の間で問題になる。最も疑われたのはセフトンだった。実際セフトンは抜け目ない男で、衛兵を買収して密かに外出したりしているので、疑われる理由は充分ありだ。しかし、一同はセフトンからある意味で恩恵も受けていた。『競馬』と呼んで二十日鼠を走らせてタバコを賭けて遊んだり、中庭で育てたジャガイモの皮から蒸留器を使って得た酒を、一杯煙草二本で飲ませてもらったり、彼手製の望遠鏡を借り、煙草1本で20秒間ロシア女性捕虜の裸を覗かせてもらっている。
 脱走者が射殺された数日後、ダンバー(ドン・テイラー)という中尉と、バグラディアン軍曹が収容された。中尉は、ドイツ軍の軍用列車を爆破したことがあり、それを耳にした所長(オットー・プレミンジャー)の厳しい訊問を受けた。こんなことからセフトンへの疑惑は更に深まり、一同は彼を袋叩きにする。セフトンはなんとか疑惑を晴らそうと、スパイの正体をつきとめる機会を待った。やがてスパイはプライス(ピーター・グレイヴス)であることが判ったが、現場をにぎるまで手を下すことは出来ない。
ダンバー中尉はベルリンへ連れて行かれることになり、捕虜たちは中尉奪還の計画を立て、成功する。そして中尉を夜のうちに脱走させることになり、プライスが同行を申し出た。セフトンは我慢できず、プライスを責めて自白させ、みずから中尉脱走の役目を買って出る。セフトンには成算があった。彼はプライスをオトリにし、彼は集中射撃を浴びて倒れた。その隙にセフトン軍曹とダンバー中尉は、首尾よく自由の世界へ逃れるのだった。

320.『偉大なる王者』 (原題:Der grosse Konig)Konigのoの上にウムラウト
 1940年、ドイツ映画。監督:ファイト・ハーラン。
 後年プロシア建国の祖として勇名を謳われたフリードリヒ大王(2世 在位:1740〜86)が、オーストリア軍と交戦中にロシア軍の奇襲を受け、わずか数名の側近と共に農家に潜んで難を逃れるほどの敗戦を喫するが、刻苦して軍を再編成し侵略軍に向って決戦を挑むものである。ナチスの国策映画であり、この内容については詳しくは判らない。監督は1936年映画「青春」を作成し、主演はフリードリッヒ大王役で定評あるオットー・ゲビュールが務めていた。  フリードリヒ大王は、オーストリアなどと戦って領土を拡大、弱小国だったプロイセンをヨーロッパの列強にまで高めたことで知られ、フランス的芸術を愛し、哲学者・ヴォルテールと親交を結び、即位後はすぐに拷問を廃止することがあったが、在位は長く、啓蒙専制君主として知られた。

 映画からは脱線するが、ジャガイモがヨーロッパに入ったのは16世紀なかばから1570年ころと思われるが暫く珍奇な植物として薬草園なとで栽培されていた。しかし、これに着目したのがフリードリッヒ大王、在位中にプロシアはイギリスと組んでオーストリアやフランスとの間で七年戦争(1756−63年)をした。この戦争の末期の10ヶ月は停戦交渉であった。その間兵士達は食糧調達していたが、そこでジャガイモの素晴らしさを知ったのでジャガイモ戦争とも呼ばれている。地上で実を取るムギと比べ戦乱の影響が少なく、収量は10倍もあることから、王はこのころ多かった飢饉の解決にも役立つと考え、ベルリンのルストガルテンで栽培させ、宮廷のコックに新しい料理法を工夫するよう命じた。また料理の小冊子や栽培の手引きなどを人びとに配布した。ポンメルン地方に種いもを配布し、「5月初めに農民がジャガイモ栽培に励んでいるか検証せよ」と指令を出し、それを拒むすべての者の鼻と耳を切り落とすと脅したこともあった。(写真は、1886年ロベルト・ヴァルトミュラーが「王はあらゆるところに」と題してジャガイモ畑を見回るフリードリヒ大王を描いたもの。)ジャガイモの普及に尽力した王の墓はポツダム中央駅から約4kmのサンスーシ宮殿にある。そこにはいつも花が飾られ、ジャガイモが供えられている。
 ジャガイモ戦争とも呼ばれた七年戦争のおりにフランス軍の衛生兵として参加していたアントワーヌ・オーギュスト・パルマンチェ(メトロに恋して)にも触れておきたい。彼は数度プロシア軍の捕虜となり、ジャガイモの重要性を身をもって知った。帰国後ジャガイモの展示試作圃(ほ)場をや宣伝書物をつくり、ルイ15世やルイ16世(王妃はマリー・アントワネット)の庇護を得て、それまで貧民の食べ物でありハンセン病を引き起こすと嫌われたジャガイモを上流階級の人びとから庶民にまで普及させることに尽力した。


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