362.『異端の鳥』 (原題:The Painted Bird )
2019年、ウクライナ、スロバキア、チェコ映画。監督:ヴァーツラフ・マルホウ。
イェジー・コシンスキの同名小説で、1965年の発表直後からセンセーションを巻き起こし、数々のバッシングにさらされ自殺したポ−ランドのベストセラー『ペインティッド・バート』を映画化したものであり。モノクロームで169分という長〜い作品。
映画の舞台は、第二次世界大戦中の東欧のある国。ユダヤ人の少年ヨスカ(ペトル・コトラール)はホロコーストを逃れるため、田舎の老婆のもとに預けられる。しかし、老婆が病死し、家が火事で焼け落ちたことから、少年のサバイバルのひとり旅が始まる。それは想像を絶する艱難辛苦の旅。最初の集落では、よそ者故にウン10回のむち打ちを受け、買い取られたところでいろいろな仕事をこなすうちに病気になる。頭だけを出して地中に埋められる(写真)。カラスがやってきて囲まれる。大声を出して追い払う。また来て、頭をつつかれて流血。
川下へ流されていき、ミレルに拾われ、働くものの、ミレルが使用人の両目をくり抜くという狂気の沙汰を目の当たりにし、逃げ出す。レッフという男の元では、小鳥を捕まえる仕事を手伝う。男が淫乱女ルドミラと良い仲となるが、女が町の若者たちとやりまくるために怒った母親たちのリンチを受けて死んでしまい、レッフも首つり自死してしまう。
貨物列車で運ばれるユダヤ人たちが板を壊して逃げ出し、銃で撃たれるシーンもある。居合わせた少年は、ドイツ軍が駐留する町へ運ばれる。幸い処刑されるところを兵が銃を空に撃ち、逃してくれる。司祭(ハーヴエイ・カイテル)に保護されるものの、変態虐待男ガルギスの家に引き取られ、性的虐待を受けたり、ムチで打たれるが、司祭からもらった十字架を握りしめて忍耐する、等々。
ジャガイモが出てくるのは最後のほうであり、動物小屋で寒さを凌ぐが空腹には我慢できずジャガイモを盗んでくる。その後淫乱女ラビーナに誘惑されるが、逃げ出す。男を殺して荷物を奪うシーンもある。この旅の途中に差別、迫害、暴力は勿論、レイプやラビーナの山羊との獣姦もあり、こんな大人達の行動が、無垢であった少年には、生きるためにはこれが普通のことになってしまうのか心配なところ。救いとして最後に終戦後となりようやく父親ニコデムと一緒に家に帰ることができたことを書くことができる。
この映画制作国のひとつウクライナはドイツよりもジャガイモの生産量が多く、人々はベラルーシほどではないが毎日よく食べる。その西隣のスロバキアはポーランドやハンガリーとも隣接した人口500万人の国であり、北海道よりも冬暖かく夏涼しい国。そして、なんとジャガイモを国花としている世界で唯一の国である。(写真はイメージであり、メークインと男爵薯の花)
363.『大統領の料理人ーフランス料理讃歌!』 (原題:Les saveurs du Palais )
2012年、フランス映画。監督:クリスチャン・バンサン。
「フランス最後の国父」と称されるミッテラン大統領に仕えた、仏官邸史上唯一の女性料理人ダニエル・デルプエシュの実話をもとにしている。
片田舎のレストランを経営しているオルタンス(カトリーヌ・フロ)は、フランソワ・ミッテラン大統領(ジャン・ドルメソン)の指名によって官邸の専属シェフとなる。大統領は着飾った料理よりも、田舎や昔を思い出すような料理が好きであり、祖母ジュリアや母の思い出の家庭料理で大統領をもてなしているとオルタンスの厨房にまで顔を出すほど気に入ってもらった。しかし周りは全て男であり、規律にも縛られている。それでもひたすら料理の味を追求していく。執事が変わり栄養士の厳しいメニューチェックや経費削減を求められ、オルタンスが自由にメニューを作ることが出来なくなっていく。
そこで、心機一転専属シェフの辞退を決意し官邸を去る。その後南極観測地で料理人となり、南極で働く人たちの料理を一年間作り隊員たちの食を支え、南極での任期を終えると、さらにニュージーランドで新たな挑戦に進む...。
ここでは、彼女が大統領の専属シェフ時代につくったジャガイモ(Pommes de terre)関係の料理だけに絞り、その登場順に拾ってみる。
@ジュリアのジャガイモ
オルタンスの祖母の名だというセリフがあるため、「おばあちゃん風ジャガイモ」即ち主料理の付け合せにするものであろう。
Aサルラ風ポテト
「サルラ」とは、トリュフとフォアグラの名産地で知られるペリゴール地方にある町のこと。輪切りにしたジャガイモを脂でじっくり炒め、ニンニクとパセリをたっぷり利かせたものであり、通常肉の横に置かれる。(写真提供:フランス郊外に住むMERUROさん)
Bローヌ風牛肉のマリニエール&ジャガイモ添え
「マリエール」とは漁師風という意味。オルタンスの説明によると、「脂肪分の少ない牛の腕肉をココット鍋に入れ、玉ねぎと肉を重ね、タイムと塩を振る。これを繰り返し最後は玉ねぎで終わる。これを弱火にかけ煮込む。その後肉をとって、肉汁にアンチョビを入れ、これを一時間煮込む。」もの。
364.『ラブ・レター 』 (原題:Love Letters )
1945年、アメリカ映画。監督:ウィリアム・ディターレ。
このタイトルは映画に向く言葉であり、作品はたくさんあるが、ここではヴィクター・ヤングによる主題歌が有名なものを取り上げる。
第二次世界大戦中のイタリアのイギリス軍の駐屯所の将校アラン・クイントン(ジョセフ・コットン)は、戦友ロジャー・モーランドに頼まれて、ラブレターを何度か書いていた。相手はロジャーが将校舞踏会で知り合ったヴィクトリア・レミントンという女性であった。
ロジャーが休暇で帰国する時、彼女と結婚しようかなというと、アランは激しく反対する。ロジャーの女性観とヴィクトリアの男性観が、余りに違いすぎることを知っているからだ。そのアランは重傷を負い入院する。ロジャーから来た見舞状に明日ヴィクトリアと結婚するということが書かれていたため、アランの心は曇る。傷が快方に向かい本国の病院へ送還され、退院して故郷に帰る。愛した伯母が死んで、遺産としてベルトマーシュの田舎屋敷が彼に譲られ、そこに住むことになる。
アランの弟デレックは移転の前夜、ディリー・カーンスの夜会に兄を伴う。その夜ディリーの客として泊まることになったアランは、はからずも戦友ロジャーが一年前に死んだことと、彼の妻となったヴィクトリアがディリーの親友であったことを聞いて、ふしぎな縁に心を動かされる。
その後アランがディリー宅を訪ねると、シングルトン(ジェニファー・ジョーンズ)という女に会う。 ディリーが買い物から帰って、シングルトンが「ヴィクトリア・モーランドって誰?」と聞くと、ディリーは驚いてジャガイモなどの入った袋を落とす。シングルトンがこぼれたジャガイモを拾っていると、オートミールを買ってきてと指示され、「いいわ」と出かける。この間の夜会の折りに紹介された女だ。帰宅したディリーはシングルトンを遠ざけて、シングルトンは孤独な老婦人ビアトリス・レミントンがカナダへ行った時、拾って来た孤児であり、ヴィクトリアと名付けられ、近所のディリーを友としていたことを知らてくれる。
話は遡るが、彼女のロジャーとの結婚をビアトリスは反対していた。ある夜ヴィクトリアが手紙の束を出して読んでいると、ロジャーはそれを暖炉に投げ込み、拾おうとするヴィクトリアをロジャーがなぐりつける。彼女が気がつくと、ロジャーは背を刺されて即死し、次の部屋には半身不随となり口のきけなくなったビアトリスが倒れていた。
そして一年の禁固刑を終えて出たシングルトンを、ディリーが保護しているとの話しを聞いたアランはシングルトンのもとへ行く。アランはビアトリスの許可を得て彼女と結婚し、田舎屋敷に住むことになる。
幸福な幾月かが過ぎたある日、庭で苺をつんでいたシングルトンは、赤い果汁を見て血と叫んだ。彼女は記憶を半ば回復し、ビアトリスも口が利けるようになり、帰ってくる。ヴィクトリアはロジャーを刺殺したのは義母ビアトリスであり、アランこそロジャーの手紙を書いた男であると、記憶を回復する。暗雲はれて、アランとヴィクトリアに真の幸福が訪れることになる。
365.『シャーロック・ホームズ』 (原題
:Sherlock Holmes)
2009年、イギリス・カアメリカ映画。監督:ガイ・リッチー。
アーサー・コナンドイルが作り上げた世界一有名な名探偵”シャーロック・ホームズ”を描いた作品。 舞台は1890年ころのロンドン。探偵シャーロック・ホームズ(ロバート・ダウニー・Jr)と相棒で同居人のジョン・ワトソン医師(ジュード・ロウ)はベーカー街221Bに住んでいるが、ワトソンはメアリー・モースタン(ケリー・ライリー)との結婚が決まり共同生活を終える予定になっている。
5人の女性を儀式で殺害したブラックウッド卿(マーク・ストロング)が警察に捕まり、絞首刑になる。その後、プロの泥棒でありかつての敵であるアイリーン・アドラー(レイチェル・マクアダムス)がホームズのもとを訪れる。彼女はルーク・リオドンという名の男の捜索を依頼する。
ブラックウッドの墓は内部から壊され棺からはリオドンの死体が現れる。そして生きて歩いているブラックウッドが目撃される。噂どおり、棺の中は別人であることを二人で確認した後、ワトソンが買ったフィッシュ・アンド・チップス入った逆円錐の新聞包みを片手にして食べながら雑踏の中を歩くシーンが見られる(写真)。
ワトソン「なんで、君は同じ店でフィッシュ・アンド・チップスを買うんだ?」
ホームズ「ここのは、揚げ衣の隠し味に、北イングランドの黒ビールを使っているんだ。」
話を戻すと、死体から手掛かりを探しリオドンの家を発見した二人は、科学と魔術の融合を目的とした実験が行われた痕跡を発見する。ここでブラックウッドの部下と戦った後、ホームズは第4修道会の寺院に連れて行かれる。そこのリーダーのひとり 首席判事サー・トマス・ロザラム(ジェームズ・フォックス)はブラックウッドの父親と推定され、親を殺した彼のねらいは修道会を支配し、黒魔術を使いイギリス政府転覆とアメリカ、世界の征服だと判る。
シリーズとしては、爆破や撃ち合いなどのアクションが増えており、豚の肉処理場で真っ二つにされそうになるアイリーンを救出する場面や最後の未完成のタワーブリッジでブラックウッド郷に橋の途中まで落とされたアイリーン、の上方での男の戦いも冷や汗ものである。
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イギリスの産業革命にはジャガイモと石炭・鉄鉱石(鉄)が大きく貢献している。農業技術の進歩により余剰となった農民が都市に移り住み、工場の労働者となっていつた。この時期にアダム・スミスは『富国論』を著わし(1776年)、ジャガイモについて凡そ次のように書いた。即ち、単位面積からの生産量は、ジャガイモが一番。水分は多いので、その水分を引いた実質栄養分生産でもナンバーワンである。他のどんな作物もジャガイモほど栄養に富み人体の健康によく適することを証明できるものはない、と。
ジャガイモをよく食べつつあったアイルランドの影響もあり1840年ごろまでにはイギリス人の食生活に定着し、1860年代にはジャガイモと魚が工場労働者の食べ物を表徴するようになつた。若きエンゲルスも『イギリスにおける労働者階級の状態』を著わし(1845年)、賃金の低下に応じて肉類やチーズの比率が低下していきジャガイモの摂取が高まっていることを記述している。工場労働者は安くて手早く食べられる食品を求めており、1860年頃ユダヤ人移民ジョセフ・マリン(Joseph Malin)がフィッシュ・アンド・チップスの店を開くことになったとか、1863年頃にランカシャー州モスリーでジョン・リー(John Lees)が売ったのが初めてだとか言われている。主として白身で知られるタラの仲間を揚げたものとイギリス英語のチップス(Chips)ことアメリカ英語のフレンチフライを組み合わせたものである。これは今やイギリス国民に広く愛されるのソウルフードとなっている(我々の言うチップスはイギリス英語ではクリスプ(Crisp)と呼ばれている)。
蒸気船と鉄道の発明により、トロール船はグリーンランド海と北海にまで出かけ、そこで得た白身の魚は港から都市へ鉄道により届けられ、労働者のニーズ「安く、早く、腹持ちが良い」に応えるフィッシュ・アンド・チップスの人気が高まり、定着するに至った。
366.『ぼくの国、パパの国』 (原題:East is East)
1999年、イギリス映画。監督:ダミアン・オドネル。
英国の小都市を舞台にしたハート・ウォーミングな家族のドラマ。1971年、イギリスの小都市マンチェスターが舞台。
パキスタン人ジョージ(オム・プリ)は、映画撮影のため第一夫人を本国に残してイギリスにきて、アイルランド系イギリス人女性のエラ(リンダ・バセット)と結ばれ、25年連れ添い、6人の息子とひとりの娘を得て、フィッシュ・アンド・チップス(チップスとは日本で言うフライドポテト)の店を営んでいる。
ジョージの願いは7人の子どもたちを立派なイスラム教徒に育てることにあり、頑固に厳しくパキスタン流のやり方で教育している。しかし、子ども達はマンチェスター生まれの現代っ子。長男のナジルが、ジョージが決めた見合い結婚を結婚式で破棄し、パリへ行くなど、子供達はイスラム世界の絶対的父家長の権限を振りかざす父にうんざり。エラも独善的な夫に尽くすことにうんざりだが、愛しており、夫の暴力から子供をかばいながらも、子供には悪口は言わせない。ジョージも不思議なぐらい耐えている。
後半ではジョージは、友人ムッラー(カリーム・ジャンジュア)と相談して二男と三男を、パキスタン人のシャーの娘たちとお見合い結婚させることにしたため、その暴挙でエラと喧嘩になる。なんとかお見合いになるが、相手のシャー一家の夫人が偉そうな態度を取ったことから、エラの怒りが爆発し、お見合いは決裂。今度はジョージがエラに怒りを爆発させるが、子供たちは皆エラをかばう。打ち負かされたように家を出ていったジョージは、自らが経営するフィッシュ&チップスの店に一人寂しく座り込む。そこにエラが何事もなかったように入ってきて、二人はいつものように何気ない会話を交わす。ジョージと子供のカルチャー・ギャップと親と子のジェネレーション・ギャップで家族崩壊の危機に…。ではなく、心温まる作品になっている。
イギリス国民に広く愛されるフィッシュ・アンド・チップスの店の経営者には移民が多く、その出身地はイタリア、キプロス、中国と多岐にわたる。今イギリスでは、マクドナルドの店舗数の7〜8倍の専門店があると言われている。写真はそのイメージであり、Wikipediaによるあるロンドンの店である。道や公園でコーン状に丸めた紙に包んで食べたりするファ−ストフード(fast food)にもなっている。(*365『シャーロック・ホームズ』参照)
大型トロール船による乱獲、第二次世界大戦後のアイスランドとの「タラ戦争(Cod Wars)」と呼ばれる領海めぐりの紛争から魚種が一部変わりつつあるが、国民的人気には陰りはない。1980年代に新聞紙のインクと食品が接触するのは宜しくないという話になってからは、食品用の包装紙を使うか、プラスチック容器に入れるようになっている。新聞紙のほうが雰囲気が出ると、表側のみ新聞柄のプリントをした包装紙もまだ人気がある。使用品種は昔からのキンクエドワードやマリスパイパーに加え、比較的最近のジャガイモシストセンチュウ抵抗性のサンテなどの粉質系に人気がある。
367.『麗しのサブリナ』 (原題:Sabrina)
1954年、アメリカ映画。監督:ビリー・ワイルダー。
ニューヨーク州ロングアイランドに暮らす大富豪ララビー家の次男デイヴィッド(ウイリアム・ホールデン)はプレイボーイで、パーティの夜は女をテニスコートに連れ出している。そこに仕える運転手の娘サブリナ(オードリー・ヘプバーン)はいつも木陰から見て恋していた。叶わぬ恋を悲しみ車庫で排気ガス自殺を図るがララビー家の長男で事業家ライナス(ハンフリー・ボガード)に助けられる。料理の勉強のため、パリ留学し、2年後、サブリナは見違えるような美女となって帰国したところ駅でデイヴィッドと会う。彼は既に実業家タイソンの娘エリザベスとの婚約を決められていたが、サブリナをパーティーに招待する。エリザベスを放ってサブリナに夢中になる姿をライナスに見つかり、父に呼び出されてしまう。父と口論となったデイヴィッドは、尻ポケットにシャンパングラスを入れたまま椅子に座ったことで尻に大怪我をしてしまう。待ち合わせ場所でデイヴィッドを待つサブリナの元にライナスが現れ、弟の代わりに彼女の相手をする。堅物のライナスはタイソンとの合併を実現させるため、障害となっているサブリナをデイヴィッドから引き離そうと画策するが、しだいに彼女に心惹かれるようになってしまう。
ライナスはサブリナを一人パリに追い出そうと考え、自身がパリに向かう振りをしてパリ行きの乗船券を用意する。翌日、デイヴィッドは「彼女は兄貴に恋している」と告げ、ライナス本人がパリに行くよう反論する。ライナスは聞き入れずにデイヴィッドに船に乗るように伝え、重役会議で合併の取り消しを伝えようとする。しかしそこに船に乗っている筈だったデイヴィッドが現れる。デイヴィッドの説得を受けてサブリナへの想いを認めたライナスは会社を飛び出し、パリ行きの船に乗り込みサブリナと抱き合う。
と言う御存知のストーリーだが、パリからの帰国が近づいたころ、父に感謝の手紙を書く、その中に『ビシソワーズなど学んだ』と字幕にでる(写真)。ヴィシソワーズは、本シリーズ『14.パシフィック・ハイツ』に書いたように、映画では映像は出ることはなく、『突撃隊』、『パシフィック・ハイツ』では電話での会話の中だけに登場する。この料理は夏に人気があるジャガイモの裏ごしをする冷製スープ。
368.『マルクス・エンゲルス』 (英題:The Young Karl Marx)
2017年、ドイツ・フランス・ベルギー映画。監督:ラウル・ペック。
科学的社会主義を構築したカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの若き日の活躍を描いた人間ドラマ。
1840年代頭ケルンで、20代半ばだったカール・マルクス(アウグスト・ディール)はドイツの小さな新聞社で記者として、産業革命の進む中にあって貧困の嵐が吹き荒れ、不当な労働条件がはびこる社会にいらだちを覚え、鋭い政治批判を繰り返していたが、やがて妻とともにプロイセン政府に追放される。
フランスへとたどりついたマルクスは、1844年パリでフリードリヒ・エンゲルス(シュテファン・コナルスケ)と出会う。
彼等は労働者のための集会を各地で開き、社会の変革を訴える。マルクスはここでも政府に批判的な記事を書いたことでフランスからも追放される。1845年ブリュッセルで、マルクスは仕事に応募するがなかなか採用してもらえず、そんな中、2番目の娘が産まれる。文通を続けていたエンゲルスはマルクスの窮状を知って金銭的な援助をし、マルクスにロンドンの正義者同盟への参加を呼び掛ける。エンゲルスは1847年、ロンドンの正義者同盟の総会に招待される。その場で発言権のある代表に選ばれ、同盟を共産主義者同盟に改名して、より過激な共産主義を誕生させる。そして1848年にいたり二人は永遠の名著『共産党宣言』(写真はソ連の切手)を完成させるのであった...。
ジャガイモ絡みを蛇足すると、1846年プロイセンでジャガイモが不作となる、このため食糧価格の上昇が続き翌1847年ついにベルリン市民か蜂起する。これが『ジャガイモ蜂起』と呼ばれるもので、数日後にプロイセン軍により鎮圧されて終わる。この年食糧不足はヨーロッパ各地でおこり、フランスの例でジャガイモの値段は4倍、小麦は2倍になる。翌1848年ヨーロッパ各地で保守反動の君主制国家に対する、自由主義・ナショナリズムの反乱が連鎖反応的に起こり、一挙にウィーン体制が崩壊する。諸民族の独立運動にも連鎖するがこの年におきた一連の革命は「1848年革命」と総称されている。
エンゲルス:本シリーズ 365『シャーロック・ホームズ』参照。
369.『アビエイター』 (原題:The Aviator)
2004年、アメリカ映画。監督:マーティン・スコセッシ。
実在の大富豪、実業家であるハワード・ヒューズの波乱に富んだ半生を描いたもの。
1920年代。ヒューズ(レオナルド・ディカプリオ)は父から受けた莫大な遺産を元手として、夢のひとつであった映画製作を開始。莫大な金をつぎ込み『地獄の天使』を製作する。タイトルのアビエイターとは飛行機の操縦士、飛行家を意味する。ついで、もう一つの夢である飛行機事業に着手し、ヒューズ・エアクラフトという会社を立ち上げ、世界一速い飛行機H-1の開発を始め、トランス・ワールド航空のオーナーとなる。さらに第二次世界大戦の開戦後には、政府からの資金を受けて世界最大の輸送機であるH-4に情熱を傾け、その傍ら偵察機XF-11を開発し、自らテスト飛行するがビバリーヒルズの住宅街に墜落し瀕死の重傷を負ったこともある。後半にはトランス・ワールド航空の経営不振に直面し、公金の不正利用の疑えをかけられたりする。しかしその公聴会はヒューズに有利な展開となり終焉する。
私的には潔癖症の母親の影響もあり、青年時代から伝染病、不潔なものへの嫌悪感が強くなり、精神的異常行動をとったりする。女性とのロマンスも取り上げられ、女優のキャサリン・ヘプバーン(ケイト・ブランシェット)やジーン・ハーロウ(グウェン・ルネイ・ステファニー(Gwen Renee Stefani))が顔を出す...。
筆者の関心はこのグウェンについてである。彼女は10代の頃に、実の兄とバンドを組んだのがきっかけで音楽活動を始め、1992年にノー・ダウト(NO DOUBT)のボーカルとしてアルバムデビューしている。グウェンは大の日本びいきで、特に原宿を好み、アルバムとして原宿に集まる女性からインスパイアされた「原宿ガールズ (Harajuku Girls)」や「What You Waiting For?」、「Rich Girl」という曲がある。1996年に発売したCD『トラジック・キングダム (Tragic Kingdom)』(写真)のジャケットにはチャーミングな容姿とともに何故かジャガイモらしきもの 3個が置かれており、「ドント・スピーク」などパンチのある歌が収められている。
370.『フジコ・ヘミングの時間』
2018年、邦画。監督:小松莊一良(こまつそういちろう)。
世界的なピアニストのフジコ・ヘミングは日本人ピアニストで美人の母の(大月投網子(とわこ))と若いスウェーデン人で画家と建築家の父を両親としてベルリンに生まれる。日本に来たもの、太平洋戦争が始まったため父は祖国へ送られ、東京で母の手ひとつでの苦しい生活、5歳から母の手ほどきによる厳しいピアノレッスン、ハーフへの差別、28歳からの貧しい留学生活など波乱万丈を経験する。
ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業。その後長年にわたりヨーロッパに在住し、演奏家としてのキャリアを積む中、レナード・バーンスタインほか世界的音楽家からの支持を得る。しかし「一流の証」となるはずのリサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失うというアクシデントに見舞われる。失意の中、ストックホルムに移住。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を取得し、以後はピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。
1999年リサイタルとNHKのドキュメント番組が大反響を呼び、デビューCD「奇蹟のカンパネラ」をリリース。クラシック界異例の大ヒットを記録、遅咲きながらモスクワ・フィル、ロイヤル・フィルなど世界各地の著名オーケストラと共演を果たし、ヨーロッパをはじめ、北米、南米、ロシアなど世界中からリサイタルのオファーが絶えない。公演活動で多忙を極める中、猫や犬をはじめ動物愛護への関心も深く、長年チャリティー活動も続けている。情感に満ちたダイナミックな演奏は人々から“魂のピアニスト”と呼ばれている。本作は、世界を巡るフジコを2年にわたって撮影した初のドキュメンタリー映画である。
自宅でのインタビュー収録や2018年に暮らしの手帖社から出された『フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記』からジャガイモ絡みを拾って紹介したい。
当時の少女はいつもおなかをすかせて、食べることしか考えていなかった。母がお中元でみらったジャガイモを摺り下ろしてメリケン粉と一緒に焼いてパンケーキをつくったり、弟とふたりでゆでたりした。カタクリ粉(多分少量の水で溶かしてから熱湯を注ぎ、のり状にしたもの)とおかきのお三時を頂いたことも。戦後になっても季節になると昼も夜も自宅の庭でつくったジャガイモ、(ニホン)カボチャ、トウモロコシが食卓にのった。かくて(寒冷地でつくるセイヨウカボチャとは異なり、高温多湿で育ち水っぽい)ニホンカボチャは嫌いとなったが、ジャガイモは今も大好きであり、今でも味噌汁の具には必ず一個入れるほど。自力で収穫したジャガイモを使い、ザブトン焼き″と呼んだ料理を考案したこともあったとか。