402.『名もなき歌 (原題: Cancion Sin Nombre)
2019年、ペルー映画。監督:メリーナ・レオン。
1988年当時の先住民たちによるインカの踊りと歌が白黒画面で出てくる南米ペルー。首都リマからかなり離れた街に住む夫婦がいる。夫レオは民族音楽で踊ることをし、妻ヘオルヒナ(パメラ・メンドーサ・アルピ)は露店でジャガイモを売っている(写真)。臨月であるが二人は貧しく、まともな病院に行けないでいたが、ラジオで無償医療を提供する財団の存在を知り、リマまでバスで行くことにする。ヘオルヒナは夫が巡業中に産気づき一人でその病院で出産する。無事女の子が生まれるが、子供を抱くこともできず、病院を追い出されてしまう。
翌日、夫婦で産院を訪れて、愛児が盗まれたことを知る。警察や裁判所は先住民で有権者番号を持たないこの夫婦を相手にしてくれない。新聞社に駆け込む。泣きながら訴えるヘオルヒナに心打たれ使命感を抱いた記者ペドロの綿密な捜査で驚愕の事件が暴露される。権力の背後に見え隠れする国際的な乳児売買組織の闇が分かってくる。そして...。
この映画でへオルヒナを演じたパメラ・メンドーサは、レオン監督に見出された無名の新人である。その無垢な存在感、自然体の演技は高く評価され、リマラテンアメリカ映画祭では特別賞(女優賞)を受賞している。監督はペルー出身の女性であり、この映画をモノクロとしてのこれがデビユー作である。現代社会の貧困と格差、人身売買、民族やジェンダーの差別等々を掘り下げたが、21世紀の今も社会の好転がほとんど見られない。
403.『湯を沸かすほどの熱い愛』
2016年、邦画。監督:中野量太。
ある地方の「幸の湯」という名の銭湯が舞台。冒頭に「湯気のごとく、店主
が蒸発しました。当分の間、お湯は沸きません。幸の湯」と書かれた張り紙が
映る。夫の幸野一浩(オダギリジョー)がふらっと出奔し、幸野双葉(宮沢りえ)は、パン屋のパートで働いている。娘の気の弱い幸野安澄(杉咲花)は学
校で陰湿ないじめを受けている。そんなある日、双葉は突然、膵臓ガンが全身
に転移した末期がんで余命わずかという宣告を受ける。悲嘆に暮れるもすぐに
気持ちを切り替えた双葉は、その日から「やっておくべきこと」を決め実行し
ていく。即ち、@家出した一浩を連れ帰り、家業の銭湯を再開。A娘の安澄を
独り立ちさせる。B娘をある人に会わせる。
双葉はまず探偵の滝本(駿河太郎)に依頼し、蒸発した一浩の行方を突き止
める。昔の浮気相手に再会し、あの時の子供がいるから一緒に暮らして欲しい
と言われそうしていたのだった。しかし女性は子供を置いて家を出て行ってい
たと判り、その娘・片瀬鮎子(伊東蒼)を家へと連れ帰る。一方酒巻君江とい
う女性からクール宅急便で毎年高足ガニ送られてきている。これには安澄に礼
状を書かせ、いつか必ず役に立つことがあると安澄に手話を覚えさせている。
体育の授業後に安澄の制服が盗まれる事件が起きる。諦めを嫌う母の勧め
で体操服で学校に行く。そしてその体操服を脱ぎ捨て、制服を返して!と訴え
る。心配でずっと家の前で待っていた双葉は、制服姿で帰って来た安澄を抱き
しめる。
銭湯の営業も軌道に乗ってきたある日、双葉は安澄と鮎子を連れて沼津への
旅行へ出発する。喜ぶ子供達を車に乗せて運転する双葉。途中でサービスエリ
アに寄った時、ヒッチハイカーの拓海(松坂桃李)という青年に出会い車に乗
せることになる。別れ際に双葉から「あなたはこれから、日本の最北端を目指
すの」「それがたった今からあなたの目標」と明確な目標を与えてやる。
母が見つかったと探偵の滝本から連絡が来て娘や孫と暮らしているところへ訪ねる。唯一の血の繋がりあるその人から、そんな娘はいないと否定されてしまう。双葉は落胆する。そしてだんだんと病状は悪くなっていく。安澄は母と判った君江と連絡を取り続け、君江は幸野家に遊びに来る。同じ日、目標を達成した拓海が日本最北端の地からジャガイモ持参で報告にやって来る(写真)。そしてお湯沸しの手伝いをするようになる。双葉の血を分けた家族は一体誰なのか。その後、優しさと強さをあわせもつ人間味溢れるまで成長した安澄に看取られ双葉は逝く。焼き場から戻ってきた全員があったかい幸の湯に浸かる。血の繋がりのない家族のために命を燃やし尽くした双葉の熱い愛を感じとり、皆が纏まって湯を沸かして行くことが暗示される。
404.『バス男』 (原題:Napoleon Dynamite)
<<写真左:テイタートッツ(Wikipediaより)。右: ペドロ、ナポレオン、デビー >>
2004年、アメリカ映画。監督:ジャレッド・ヘス。
ジャレッド・ヘス監督が学生時代に習作した短編映画『Peluca』をベースにした、スクールコメディ映画。日本では『バス男』又は『ナポレオン・ダイナマイト』の題で売られた。
主人公はジャガイモで有名など田舎アイダホ在住のイモ高校生ナポレオンダイナマイト(ジョン・ヘダー)ルックスも両親は居なく、引きこもりの兄キップやオフロードバイクが趣味の祖母と3人暮らしである。
ルックスもダサければ頭も良くない彼は、当然のように学校でも友達もなくイジメにあってばかりの毎日。アメリカの高校生のもてない典型がスクールバスでの通学とか。で、女の子の人気もない。これといった望みや金もなく、一貫してテンションの低い、怠惰な日々を過ごしている。そんな彼にも唯一の友人、メキシコ系移民のペドロ(エフレン・ラミレス)という友だちが出来る。加えて 変人の叔父が家にやって来て、ナポレオンや兄や、町の色っぽい奥さん達の日々を、引っかき回し始めるなど変化が起き始める。そして女の子にモテたいペドロは無謀にも生徒会長に立候補し、ナポレオンも彼の応援に精を出し、なぜか特訓していたひとりダンスで到底無理だと思っていたそのペドロに当選をもたらす。ナポレオンも家に訪問販売にきたデビーと相思相愛になる。 最後は、皆ハッピーとなるコメディ。
アイダホはアメリカでも有数のジャガイモ産地、2019年トランプ大統領が来日したとき、安倍総理と行った炉端焼き屋では、「和牛」と「アイダホ産ポテト」で"おもてなし"したとあるマスコミが報じた。実はその店では国産のフライドポテトしか扱っていなく、店に安部総理の心遣いが伝わったものの実現できてはいなかった。ある週刊誌に書かれたようにアイダホ産冷凍フレンチフライではなかったのである。
ジャガイモ産地映画であるからスクールランチにしっかり"テイタートッツ"がでてくる。主人公が友達に「食べないならくれない?」ともらって、ズボンのポケットに入れていた。このテイタートッツ( Tater Tots)は、オレアイダ社(Ore Ida)の登録商標で、すりおろしたジャガイモを揚げた惣菜であり、そのカリっとした食感、小さい円筒形の姿が広く知られている。カフィテリアでも出され、スーパーマーケットなどの冷凍食品売り場でも見られる。
405.『鉄板少女アカネ 第三話』 『じゃがいもVSカニTHE料理バトル!』
2006年、テレビドラマ。原作:青木健生、作画:ありがひとし。日本の料理漫画をTBSがトラマ化。少年画報社の漫画雑誌『ヤングキング』にて2005年4月から2006年5月まで連載した後、単行本化、全3巻。
第三話は、北海道が舞台のカニvsジャガイモ料理バトル。
アカネ(堀北真希)の所に、突然姿を消していた父・鉄馬からジャガイモとカニが届く。心太(塚本高史)と共に送り先の住所を訪ねて北海道のばれいしょ(ジャガイモ)農家にやって来て農家の子供たちと出会う。その町では西豪寺フーズが仕掛けている「カニカニフェスティバル」といういイベントの直前であり、町中の人達がカニで一儲けしようと浮き足立っていた。そんなときばれいしょ農家の白井文平(布施博)が長年営んできたジャガイモ農園を売り払い、カニの先物取引をすると言い出す。娘の文乃(水橋貴己)たちが反対するが、文平は農園をエレナ(片瀬那奈)のプロデュースするカニ料理専門レストランモールの建設予定地の候補に名乗り出ようとする。そこで、アカネは文平が農園を売るのを止めるよう、「カニカニフェスティバル」で催される料理バトルに参戦すると提案。自分が作るジャガイモ料理でカニ料理に勝ったら農園を売るのを止めて欲しいと文平に言い出す。エレナや文平は「ジャガイモじゃカニには勝てねぇ。」とか言って取り合わない。しかしアカネはバトルに参戦するためのジャガイモ料理作りに取りかかる。
ところがそんなアカネにエレナがバトルに参加する料理人に提供する最高級のカニを試食させ、ジャガイモだけでは勝ち目はないと言い放つ。アカネもポテチやフライドポテトは、値段とか高級感では確かに豪華なカニ料理にはかなわないけど、ジャガイモにはジャガイモ料理なりの良さがあると信じている。京都の老舗料亭の息子である心太からもエレナからカニを提供してやると言われ、勝つためにはカニを使うべきだと諭される。可愛い子供たちからは自分達が必死にためた貯金箱のお金を集めて、カニを買ってきてくれたり、と頑張るアカネを応援する。
アカネはカニのかわりにコスモスの花を浮かべて、中をくりぬいたパンに、いももちとソースをつめて、「アカネ風ポテトフォンデュ」を完成させる。結果はカニ料理には負けてしまう。ところが、文平はいももちの味にジャガイモの良さを思い出すことになり、ジャガイモも農家の継続を決意することになる。
406.『アドベンチャー』( 原題:You Can't Win 'em All)
1970年、アメリカ映画。監督:ピーター・コリンソン。
1920年代のオスマン・トルコ帝国が崩壊直前の頃、貨物船がエーゲ海を航行しており、兵隊崩れのジャガイモのようなジョシュ(チャールズ・ブロンソン)が甲板でジャガイモの皮剥きをしていた。その後、オンボロ舟で漂流していたアダム(トニー・カーティス)を、彼の持っていた黄金と引き換えに助けてやる。実は、ジョシュとその手下は、地方回教君主オスマン・ベインに傭われた外国人将校エリック大佐(ファイクレット・ハカン)の軍隊に協力していた。
「何かいい儲け話」はないかと捜しているアダムと父親の持船であった「イスラムの星」号を、オスマン帝国から取り戻すことを目的としているジョシュの二人は、ベイの兵隊を護衛して、スミルナの港へ行くことになる。同行者の中には、ベイの3人の娘と、付き添いの美女アイラ(ミシェル・メルシェ)がいた。彼らは途中、匪族やギリシャ軍に襲われる。その混乱の中でアダムは、運んでいる金塊は、鉛であると見抜く。一方、ジョシュとアイラはエリック大佐を殺し、コーランの手箱に入った宝石を持ち逃げする。偽の金塊を差し出し、ギリシャ軍からの安全を確保したアダムは、こんどは反乱軍から銃撃を受けて命からがらスミルナに脱出する。スミルナ港に停泊している「イスラムの星」号に乗り込んだアダムは、そこで待っていたジョシュとアイラに再会する。いざ出港という時、略奪者が乗船してきてアダムとジョシュは反乱軍に逮捕され、本部の将軍(パトリック・マギー)の前に連行される。そこに、なんとアイラが現れる。アイラは反乱軍のスパイであり、手箱のコーランを将軍に届ける使命を受けていたのだった。コーランはトルコの象徴であり、新しい国をつくる力でもある。かくしてアダムとジョシュは国外追放となる。すごろくは共に振り出しに戻ってしまい、二人の狙いは異なれど、一緒にアメリカのオンボロ軍艦の舳先(へさき)でジャガイモの皮をむくことになる。
407.『出会いへの道』 (原題:Journey into Self (自己内面への道))
2003年、アメリカ映画。監督:スタンリー・クレーマー。
原題はJourney into Self(自己内面への道、あるエンカウンタ−・グルーの記録)と名づけられており,この映画は、自分と他者との真実の出会いを求めて、 心理学者のカール・ロジャーズ(Carl Ransom Rogers)、リチャード・ファーソン(Richard Farson)らが参加したエンカウンター*・グループに集まった人々の記録映画である。ここに集まったのはほぼ見知らぬ10人。真実の自分を率直に分かち合おうとし、人間の繋がり、愛信頼をよみがえらせる道を観る人に指し示しているの評されている。
主役のカール・ロジャーズは1902年イリノイ州で農場を営む家庭に生まれ、ウィスコンシン大学で農学を専攻するが、牧師を目指し、コロンビア大学で臨床心理学を学び、ウィスコンシン大学などの教授を務めた。人間研究センターを設立し、精力的にエンカウンターグループの実践、研究に携わり、来談者(クライエント)中心療法(Client-Centered Therapy)の創始者として,心理療法とカウンセリングの発展に大きな影響を与えてきた人物である.この映画は,1968年度アカデミー賞(芸術・科学部門)を受けた名作で,アメリカにおいてエンカウンターグループの記録として,古典的名声を博している。
カール・ロジャーズは1980年.『 A Way of Being(自分が"自分"になるということ)』( Boston: Houghton Mifflin)という本をだしている。これが畠瀬直子監訳.1984.『人間尊重の心理学:わが人生と思想を語る』(創元社)として出ている。その第2部の頭112−113 頁を紹介すると、あらゆる生命体は、各水準において内在する可能性を建設的に開花させようとしている基本的動向を所有しているということができるとし、これを『実現傾向』と呼んでいる。
そしてこの生命体の自己成長をジャガイモの芽に喩えて記述している。即ち、"少年時代に見た、地下室の貯蔵庫に置かれたジャガイモは、2mも上の小窓の薄日めざして数10cmも芽を伸ばしていた。ここに生命の本質を見た。命は開花する可能性がないかも知れないが成長することを諦めていない(写真:懸命に生きる、イメージ)。普段、病院において歪んでしまった人生を生きているクライエントと面接しながら、あのジャガイモの芽を思い出すという。彼らがあまりにひどい状況を生きてきたために、その人生は異常で、歪められ、人間らしくないように思えるが、成長と生成に向かって必死にもがいており、基本的な志向性は信頼することができる。"と解説している。(*クライエント:カウンセラーに相談を依頼する依頼者を言っている)
408.『リベンジャー・スクワッド 宿命の荒野』 (原題:Black '47)
2018年、アイルランド、ルクセンブルク、ベルギー映画。監督:ランス・デイリー。
映画のタイトルからセルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』のようなスパゲッティ・ウェスタン(Spaghetti Western、淀川長治のマカロニ・ウェスタン)かと思いきや原題から1847年と判り、アイルランドのことと理解した。
イギリスの支配下のアイルランドが舞台であり、ジャガイモ飢饉(Potato Famine)下真最中の話である。脱走兵フィーニー(ジェームズ・フレッシュヴィル)が故郷の村に帰ってきてみると、母が病で亡くなり、家族が厳しい小作料の取り立てで処刑され、亡き弟の妻とその子供たちも当局から家を奪われ、極寒の中で餓死する。フィーニーはその家族らを死に追いやった者たちを次々と殺していくことにする。一方、イギリス軍はそのフィーニーを捕らえるため、ポープ大尉と死刑囚である元警部補ハナ(ヒューゴ・ウィーヴィング)を派遣する。
フィーニーは、ポープや警察などの追手をかわしつつ次々と復讐を果たしていき、遂に領主であるキルマイケル卿を捕らえることに成功する。しかしその際、ハナはフィーニーを撃てる状況でありながら、敢えて実行しなかったため逮捕され、その処刑が決まる。実はハナは軍在籍時にフィーニーに命を救われた過去があったのである。ハナの処刑の瞬間、フィーニーが攻撃を始め、ハナは無事に脱出し、フィーニーに加勢する。その際に囮としてフィーニーの姿にさせられたキルマイケル卿がポープらに誤って射殺される。ハナとフィーニーは脱出できたものの、その先でフィーニーはハナに「戦わずにアメリカに行け」と言い遺して亡くなる。
ジャガイモ飢饉は「Great Famine(大飢饉)」とも呼ばれている。特に1847年の状況は最も酷かったため、原題のブラック47(Black '47)とも呼ばれ、原題に収まった。アメリカに「アイリッシュ」と云われる移民が多いのは何故かという理由が感じられる映画である。この飢饉で、アイルランドの約100万人が餓死および病死し、人口の1〜2割が主にアメリカ合衆国やカナダへの移住を余儀なくされ、結婚や出産が激減し、最終的にはアイルランド島の総人口が、最盛期の半分にまで落ち込んだと言われている。例えば、アメリカを動かす大統領でアイルランド系の人を拾うと、1776年の独立宣言署名者であるアンドリュー・ジャクソン、ジョン・F・ケネディ、ロナルド・レーガン、ビル・クリントンがおり、オバマは母方の先祖がアイルランド人である。
409.『アルカトラズからの脱出』 (原
題:Escape From Alcatraz)
1979年、アメリカ映画。監督:ドン・シーゲル。
カリフォルニア州サンフランシスコ湾のアルカトラズ刑務所は、周囲を海に囲まれ、厳重な監視体制が組まれ脱獄不可能と言われていた。この映画はそこから脱獄したフランク・モリスの実話を基に制作された。
そこに入所してきた頭脳優秀なフランク・モリス(クリントン・イーストウッド)は脱獄の方法を考えていた。ある日通気口から外へ出られるという話を耳にし、脱出する手段を思いつく。同じ頃、刑務所内で知り合った囚人ドク(ロバーツ・ブロッサム)が、趣味としていた絵描きを刑務所長ウォーデン(パトリック・マクグーハン)に禁止されたことに絶望し、斧で指を切断する騒動が起きる。憤慨したモリスは脱獄計画の準備に取り掛かり、囚人仲間たちに協力を依頼し、脱獄用の道具を取り寄せる。
アリバイ工作のために断髪部屋から髪をあつめ人形を作り、海をわたるため雨具を集め救命の浮き輪を制作する。数ヶ月の努力の結果、脱獄のプランは整いあとは決行日を決めるだけとなる。ある日友人のドクがの刑務所長の冷酷な処置により絶命してしまう。その事件により決行日を一日早めることを決め、ついに脱獄を決行に移す。
脱獄の決行を控えた当日、モリスに不審な行動が見られることに気付いた所長は、彼を別の独房に移すように命令する。その夜、モリス、ジョン(フレッド・ウォード)、クラレンス(ジャツク・チボー)らは独房から脱獄して建物の外に出るが、チャーリーは通気口を取り外すことが出来ずに脱獄に失敗してしまう。合流したモリス、ジョン、クラレンスは監視の目を?い潜り、用意した筏でアルカトラズ島から脱出する。後日談となるが、盗んだ電線を連絡船につないで、生き延び国外に脱走に成功していた。これにより1934年から開設されていた刑務所は1963年に閉鎖されることになる。
アルカトラズ島には死刑のための施設はなく、ここの刑務所のキッチンの仕事は、刑務所内で最も快適な仕事の一つとされ、毎日きちんと食事の準備をしてさえいれば、能力に応じて必要なだけ創造性を発揮でき、刃物を使えて、毎日のシャワーさえ許されていた。軍隊の収容所の蒸留酒の密造については、『大脱走』でふれたが、ここの受刑者は、ジャガイモの皮とか発酵する他の果物などの生ゴミを使用して、醸造酒を作る方法も見つけていた。正に“特別地酒” ないし、“密造酒・ローカル刑務所メイド酒”であった(写真は刑務所の食事(Martin Guibert/Flickerによる) )。
410.『若き日の啄木 雲は天才である』
1954年、邦画。 監督:中川信夫。
故郷の渋民村で進歩的な教育を行った石川啄木(岡田英次)は村人達から圧迫を加えられる。妻節子(若山セツ子)の激励で東京へ出て文筆で身を立てようとするも一家の窮乏を考え、友人宮川緑雨の世話で新聞記者の職を得、1904年秋自由の新天地北海道に向い、小樽日報の社員となる。その後1907年に函館市の小学校の代用教員となり、橘智恵子に惚れる。翌年1〜4月道東の釧路新聞(現北海道新聞)の記者となる。映画では釧路新報となっていて競争紙北東日報と激しく対立していた。いたが、啄木は大いに鋭筆を振い、果然北東日報を抑えた。そんな頃北東日報の社長の魔手から小奴を救った事から、芸者の小奴、ぽんた(左幸子)と知り合った。釧路で啄木を慰めてくれるのは、この二人のほか同郷の菊地だけだった。やがて啄木は編集長になり、釧路きっての名物男になった。しかし文学への情熱は燃え、彼の天才を信じている節子の希望どおり、東京行を決心し、貸物船の上の人となるのであった。
啄木が東京いたころの1910(明治43)年の処女歌集『一握の砂』に、東京で馬鈴薯(ばれいしょ、ジャガイモ)を歌う次のものがある。
「馬鈴薯のうす紫の花に降る 雨を思へり 都の雨に」また、
「馬鈴薯の花の咲く頃となりにけり 君もこの花を好きたまふらむ」
とも詠んでいた。
このうす紫の花とは品種・男爵薯ですか、と聞かれたことがある。男爵薯は、明治時代後半に、Eureka(ユーレカ)、America、、Sutton's Flour Ball、Irish Cobblerなどの名で何度も北海道に入っている。しかし、その一般の人の目につくほどの栽培は川田龍吉男爵が導入した1908(明治41)年から、早くても数年後のことである。よって、答えは否である。
最も可能性のあるものとしては、東北地方から移住に伴い北海道に入ってきて、いもは少し長めで皮が赤く、花がうす紫の金時薯が考えられる。この在来品種は、近年でも埼玉県の中津川いも、群馬県などの赤いも、徳島県祖谷いも(ごうしゅいも、源平いも)、宮崎県のしょうのじゅなどとして知られている。そして北海道から逆導入されたらしい山梨県の落合いも、長野県の下栗芋(赤)でもある。啄木が想う女性がいるのは、渋民村それとも釧路か函館であったのであろうか。
参考文献
野口健.2008.甲信・東海地方の在来バレイショ品種.いも類振興情報.96:24-27.