272.『あの子を探して 』 (原題: 一个都不能少、英題:Not One Less)
1999年、中国。監督:張芸謀(チャン・イーモウ)。
舞台は中国の農村。河北省赤城県のチェンニンパオ村にある水泉小学校で一人で教えていたカオ先生が、母親の看病のため、ひと月代用教員が必要となったが辺鄙なためなりてがいない。中学校も出ていない13歳の少女、ウェイ・ミンジ(魏敏芝)が28人の生徒相手にやることになった。報酬は50元。先生が「戻ってくるまで子供どもたちを1人も減らさずにいてくれたらもう10元あげる」と約束してくれる。原題の意味は「1人が欠けてもダメなんだ」
そんなある日、やんちゃ坊主ホエクー少年が突然学校にこなくなった。病気になった親の代わりに、町に出稼ぎに行ったという。何とか連れ戻そうと策を巡らせるが、町を出るバス代がない。皆で話し合い、レンガを運んで金を稼ぐことになり、生徒たちも一生懸命働いてようやくミンジを送り出す。大きな町へ着くとホエクーは行方知れずだと聞く。彼女はなけなしの金をはたいて紙と筆と墨汁を買い、尋ね人のチラシを貼り出すがらちがあかない。町のテレビ局に行き、涙ながらに訴える。苦難の末、ミンジはホエクーと再会を果たす。
出演してるのは全員が素人。ストーリーはフィクションであるが、中国のへき地の現実に近い。新校舎水泉村希望小学校はスタッフの寄贈によるものである。出演した子供どもたちについてチャン・イーモウ監督は語る。
「何千人の中から選んだ子供どもたちですが、彼らは生まれてから一度も白い御飯を食べたことがありません。肉も食べたことがなく、普段はジャガイモだけの食事でしょう。ところが撮影中は合宿して食事係が作った御飯を食べていましたから、撮影が終わる頃にはふっくらしてきた。この映画は順撮りをしていますから注意してみていただければ、最初と最後で子どもたちの顔が違っているはずです」
出稼ぎに出た生徒を、先生がバス代を稼いだりして、探し出す映画であり、それ以上でもそれ以下でもない。監督はそんなことを子供を自然に活かして映画にし、1999年ヴェネツィア国際映画祭グランプリを受賞した。
273.『いのちの朝 』
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1961年、邦画。監督:阿部豊。
武者小路実篤の『暁』を、須藤勝人が脚色したホーム・ドラマ。 武蔵野の片隅で40年間コツコツと自分を磨きながら絵を描いている頑固親父吉元小次郎(宇野重吉)がいた。描くのは専ら風景かジャガイモであり、吉永小百合好みのジャガイモ的人間に見える。そして、芸術至上主義とかで、決して大きなキャンバスには描かない。画家としてはまだ無名で、絵も売れない。
男には支えてくれる妻(高野由美)、と愛娘冬子(芦川いづみ)もおり、娘が生命保険会社で働いて小次郎を支えている。男の友人画家は派手に大きな絵ばかり描いて売れっ子画家になっている。その友人が「大きなキャンバスに描いてみろよ」とアドバイスしても男は「ジャガイモを描くこともまだまだなので…」と断る。また、娘いづみと喧嘩したときには、「おまえよりジャガイモの方がおれの気持ちをわかってくれる!」という言葉を吐く。
ある日、家族思いの冬子が「私が大きなキャンバス絵画のモデルになる」と小次郎に告げると、さすがに心揺らぐ。「あんなに心清らかな娘をモデルに絵を描いたら、満足いく絵が描けるのではないだろうか…」と、そしてとうとう小次郎は冬子をモデルにして絵を描き始める。肖像画を描くことは小次郎にとっても冒険であり、だがなかなか思うように筆は運ばなかった。冬子のデッサンは何枚も描かれては消されまた描き直された。
友人だった沢辺が思いを寄せる冬子に求婚したいと言う。小次郎は断わった。冬子は初めて父に反抗した。「お父さんは頑固よ、みんなの好意をふみにじっているのよ!」、冬子は家を飛び出してしまう。
そのようなこともあるが冬子は相手ときちんと意思疎通を取り、良識と美貌を備えたパーフェクトウーマンへと変じている過程が描かれている。阿部豊の監督引退作品。
274.『いのちの食べかた』 (原題: Our
Daily Bread )
2005年、ドイツ・オーストリア映画。監督:ニコラウス・ゲイハルター。
オーストリアのドキュメンタリー作家のニコラウス・ゲイハルター監督が、我々が普段なにげなく口にしている食物が、実際にどのような過程を経て食卓に届くのかを丹念に取材・撮影した食育ドキュメンタリー。
始まりは食肉工場の床の洗浄から黙々と始まる。野菜や畑作物の各品目、ジャガイモ、トマト、パプリカ、キュウリ、レタス、ヒマワリなど専業の栽培の様子が見せられる。それぞれ広大な土地でハウスや畑を管理し、栽培、収穫、選別、出荷を行っている。
ジャガイモが栽培のところは、広大な畑での大型ハーベスタでの収穫作業が効率的に行われていた(写真:ハーベスタからトレラーへ)。
リンゴは丈低く並木に植えられた畑で、人の手により収穫が行われ、その後水に浮かべられ、まずは汚れや好悪を選別される。その後は大きさが揃えられてダンボール詰めされる。ヒマワリ畑への水や農薬の散布は専用の軽飛行機が使われ、アーモンド畑では、トラクタの先に着けた数分で何万回と樹を揺さぶる作業機が見られ、揺さぶられた樹から落ちた実は別の機械で回収される。海の例では、サケ科魚の捕獲・解体なども見せる。
大規模な採卵あるいは肉用鶏の飼育も見られ、この中では大量のひよこの扱いが面白い。養豚、酪農家の人々の家畜飼育、異常がないか常に見守り、発情した雌の匂いで雄に射精を促し、人工授精用精子の横取りをする普段見られないシーンも見せてくれる。
乳牛の搾乳には専用の清潔な部屋(ミルキング・パーラー)があり、そこに誘導された牛が並んで入り、ミルカーを乳に当てて1周する間に搾乳され、効率良く、一度に大量の牛乳が搾乳されていた。
解体工場で働く人々は、各部署にて決められた行程を作業している。普段見られない屠畜シーンを含め、肉用牛の断頭と前足の切断をしてから吊るし、皮剥ぎ、内臓取り出し、縦の切断・・まで、広汎に映し出される。
全体を通じナレーションもなく、ただ淡々と 誰もが毎日のように食べている肉や野菜が食卓に向かうまでの過程を追うものであったが、最期は解体工場の消毒シーンを見せ、ある意味残酷な屠殺場気分を少し和らげてくれた。
275.『リトル・フォレスト 春夏秋冬』(英題
:Little forest)
同じ名前の本『ジャガイモと映画シリース』"258リトル・フォレスト(英題:little forest)"は邦画であり、監督は森淳一であった。
今回の275番は、韓国で制作されたれものである。恋愛、就職と何一つ思い通りにいかない主人公ヘウォン(キム・テリ)が、何もかもを後にして故郷に帰り、冬を迎える。こどもの頃母と過ごした食べ物、料理を思い出すが、母はどこかに出たまま実家にはいない。幼友達ジェハ(リュ・ジュンヨル)に会うが、彼も他人とは違う自分だけの人生を生きるために故郷に戻ってきており、トマトなどの野菜やリンゴを栽培し、稲もつくっていた。平凡な日常からの逸脱を夢見る女友達ウンスク(チン・ギジュ)も加わり、3人はよく集まり季節に合わせて、昔母が麹で作ってくれた甘酒を再現して3人で飲んだり、すいとん、ビビンバ、小豆あん入りケーキをつくってみたり、
初冬に雪の中から白菜を掘り出し、薪ストーブを燃やし、干し柿を干したり、イノシシの話題もでることから我が国の本州に近い農村生活をしている。春夏秋冬・特別な四季を送り、新たな自分の生き方を探していく。母からはときどき手紙が来て、ジャガイモパンのつくり方などのリシピが書かれている。
キャベツのチジミ、春キャベツが好きなことやワラビなど四季の食べ物にふれたり、雑草とりなど作業から母との思いでもからまり、田舎を受け入れ、心を和ませ、感動で包んでいく。大作映画ではないが、気持ちを前向きにし、素朴で美味しい物を食べたい時に観てもよい。
撮影のため、四季を通じてスタッフがさまざまな作物を育て、唐辛子やジャガイモ、トマトなどはもちろん、稲までスタッフが直接植えて育てるほど力を入れて撮影し、旬の食材で丁寧に料理したという。
ジャガイモでは種いもを用意し(写真)、手持ちのホーで植穴を掘り植えており、地面から芽を出すところも写していた。後日キム・テリは「初めて植えたのはジャガイモでした。芽が出ているのを見た時、我が子が生まれたような気持ちですごくかわいかったです」と語っている。
276.『この世界の片隅に』
2016年、アニメ映画。監督:片渕須直。
太平洋戦争の最中の1944年広島の江波。18歳の浦野すず(声-のん)は、北條周作(声-小野大輔)という顔も見たことのない若者と結婚することになり、軍港で知られる呉へとやって来る。それまで得意な絵を描いてばかりだった彼女は、一転してかまどに薪を入れてサツマイモやジャガイモや山野草入り御飯を炊いたり、洗濯板を使ったり、物資の配給をうけるために並ぶ主婦となる。出戻りの姉との葛藤があるものの、笑ったり、愛したりの日常が続く。
そんな中、すずがたらいに洗濯ものを入れて足踏みする前で義母が伸びたジャガイモの芽を取るシーン(写真)が見られた。今では嫌われるジャガイモが見えるが、芽の伸びたのは、寒さに耐え、次の世代の生きる準備のため、ブドウ糖が増えて甘くて美味しくなっている。CA貯蔵とか低温貯蔵施設のなかった当時は、どこでもシワシワになるまで芽を取って食べていた。近年は、この美味しさを活かすため、雪中に貯蔵したり、萌芽抑制用植物ホルモンのエチレンを活用したり、貯蔵環境を制御した"よく寝たいも"などが見られるようになった。新ジャガも完熟ジャガも美味しいのである。長い船旅の輸入もので芽が伸びていないのがあれば、ジャガイモ収穫後日本ではそれに散布することが禁止されているCl-IPC(クロロプロファム)という芽止め剤が使われている可能性がある。
映画に戻ると、やがて警戒警報・空襲警報にしだいに慣れていくものの、戦争は激しくなり、日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、眼前で多くの軍艦が燃え上がり、町並みも破壊されていく。そんな状況でも懸命に生きていくすずだったが、左の手先を失い、ついに1945年8月を迎える。その後も少ない物資配給のさらなる遅延、衣服にしらみのいる生活、米軍援助物資を活かした残飯雑炊、やみ市・・・と戦争・戦後の日常生活がだらだらと続く。観る人は日常のなかに平然と悲劇が入ってきたりする過酷な時代にあっても人間らしくあろうとする北条すずと一緒に溶けていくことになる。
277.『タイガーランド』(原題
:Tigerland)
2000年、アメリカ映画。監督:ジョエル・シュマッカー。
タイトルのタイガーランドは劇中後半の舞台であるベトナムを再現した最終訓練施設の名前である。
1971年、アメリカのルイジアナ州・ポーク基地。第二次世界大戦後徴兵制度は停止されていたが、冷戦時代に入り一時復活し、ベトナム戦争中は徴兵制であった。世論の影響もあり、訓練兵たちの士気が低かった。
最終歩兵訓練を行う第3部隊A中隊の新兵たちに上官たちの罵声が飛ぶ。彼らはここで8週間の訓練を受けた後、第2の地獄と呼ばれる“タイガーランド”で実戦さながらの1週間を過ごし、ベトナムに送られていくのだ。そんなA中隊に、上官にたてついては懲罰房通いを続けているボズ(コリン・ファレル)が加わる。
ある日の射撃訓練で、ボズは自分が命中させた標的をカントウェル(トーマス・グイリー)に譲ってやる。成績が悪いと制裁を受けるからだ。一緒に大量のジャガイモの皮を剥きながら、カントウェルはボズに身の上を語る。15歳で結婚して4人の子供がいるが、妻は病身で面倒を見ることもできないと言う。ボズは軍規の抜け穴を知っていて、彼の入れ知恵で除隊を申請する。翌日、カントウェルは晴れやかな笑顔を浮かべ、敬礼して基地を出て行った。
反抗、いがみ合いなどいろいろある中、仲間の信頼を得たボスは小隊長に任命され、「力を合わせて生き残ろう。逃げたい奴は言え」という人間味ある言葉を吐き、仲間たちを驚かせる。
訓練は、睡眠時間が短く、想像以上に過酷であり、実弾も持たされている。敵味方に分かれての攻防戦が始まり、銃弾の嵐の中、戦争に疑問を抱き、人間性を死守するボズだが「みんなここで殺られなくても、ベトナムで殺られる」と語る。そしてボズは生死不明で幕となる。一人前の兵士にさせるための壮絶な訓練と、その中に人間らしさを貫こうとする若者がいたことを描いた。
278.『ローマの休日』(原題
:Roman Holiday)
1953年、アメリカ映画。監督:ウィリアム・ワイラー。
ヨーロッパきっての古い歴史と伝統を持つ某国の王女アン(ヘプバーン)は、ローマ滞在中に、過密なスケジュール、自由のない生活への不満により、ついにアンはストレス発散のため、密かに城を抜けだす。直前に主治医から打たれていた鎮静剤のせいで、路傍のベンチでうとうと。アメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)が見かねて介抱する。いつの間にか美女はジョーのアパートまでついて来て、眠くて寝てしまう。
翌日、彼女の素性に気づいたジョーは、"王女の秘密のローマ体験"という大スクープをものにしようと、職業を偽り、友人のカメラマンの助けを得て、どうにか王女を連れ歩くことに成功する。
アンは、美容院で髪の毛を短くし、スペイン広場でジェラートを食べる。その後王女の運転で2人乗りしてローマ市内を廻り、真実の口を訪れ、サンタンジェロ城前のテヴェレ川でのダンスパーティーに参加する。その様子をアーヴィングが次々とスクープ写真を撮っていくうち、永遠の都・ローマで、自由と休日を活き活きと満喫するアン王女と新聞記者のジョーの男女仲は、次第に近づいていくのであった。その翌日、宮殿ではアン王女の記者会見が開かれ、撮影した写真がすべて入った封筒を、王女にそっと渡す。もらった王女から「ローマは永遠に忘れ得ぬ街となるでしょう」と言う言葉が付け加えられる。
一番ジャガイモが出てきてほしい映画であるが、見つからない。オードリーの母親はオランダ人で、父親はアイルランド人のため、
「彼女にとってジャガイモはとても重要なものでした」
と息子であるルカ・ドッティが、自著『家でのオードリー:母の台所の思い出(Audrey at Home: Memories of My Mother's Kitchen』 を出版した際、母との暮らしを振り返ったインタビューの中で語った。
近年日本でも、水分をたくさん飲むようになったが、彼女は美容と健康には欠かせないとして実践していた。ベジタリアンではないが、肉は少量で、野菜・果物の摂取を多くし、その鮮度にもこだわり、地元で採れた新鮮な旬の野菜ばかり食べていたという。ルカも夏場はヴィシソワーズ(ジャガイモの冷製スープ)が大好きであった。トップ女優として活躍しつつも子育てに専念するためにオファーを断り続け、晩年はユニセフ親善大使としてアフリカやアジアの子どもたちを支援することに尽力した。そして小さなことで喜ぶ感覚を忘れないで、一日々を大切に生き、歳をとることを怖がらなかったという。
わが国では、菜食主義者、ピアニストとして知られるフジコ・ヘミング氏は、1999年10月15日NHK放映の番組の中で、「一日に一食は何らかの形でジャガイモを取らないと体調が優れない」という旨のことを述べているほどのジャガイモ大好き人間である。映画としては『ざわざわ下北沢』(2000年/監督:市川準/配給:シネマ下北沢)で 本人役で出ているものなどがある。
279.『ゴッホ 真実の手紙』(原題
:Van Gogh-Painted with Words)
2010年、エギリス映画。監督:アンドリュー・ハットン。
ゴッホを描いた映画としては、既にヴィンセント・ミネリ監督、カーク・ダグラス主演の『炎の人ゴッホ』など多数ある。今回の取り上げる映画は、ゴッホが遺した多くの手紙をもとにモノローグ形式で語られつつ彼の人生を追ったことと随所に彼の絵が登場して楽しめるために選択した。
ゴッホ(ベネディクト・カンバーバッチ)は学業を終えてロンドンの画商会社に就職するが解雇され、オランダに戻って牧師になるべく努力するが挫折、弟のテオはゴッホから送られた手紙に同封されていた彼のスケッチを見て兄のただならぬ才能を感じ、ゴッホに画家になることを勧める。画商を辞めてから4年、ゴッホは天職に巡り会うことが出来たのである。それからというもののゴッホは作品の制作に没頭し、家を飛び出してパリで本格的に画家の道に進むが、作品は全く売れなかった。同じように画商として成功している弟に、「僕の主食は乾パンとジャガイモ、或いは街角で売っている栗」と書き、経済的支援を受け続ける。
そんな中で子持ちの従姉妹に恋をしたことから父親から嫌われ、一時は弟とも不和になる。弟の援助でオランダの南西部ハーグに小さなアトリエを構え風景画を書くことになる。しかし、年上で妊娠中の娼婦と一緒に暮らし始めつつ、自分の作品で人々を感動させたい、風景画も人物画のように感情を込めて描きたいと思うようになる。二人の生活はいっそう家族の怒りを買うことになり、弟も援助を止める。このため、ゴッホは都会を離れオランダの美しい農村地帯に移り住むものの、孤独に耐えられず、また家族のところに帰る。
家族との関係はうまく行かなかったが、ゴッホはこの頃から素晴らしい作品を残すことになる。1885年(32歳)となり、父親を失うものの有名な『ジャガイモもを食べる人たち』(写真:皿に手を伸ばしているその手で土を掘ったことを暗示し、農民への共鳴を感じさせる絵)他を描いた。この後も労働に高い評価を与えて、短い作画生活のなかではジャガイモ関係のたくさんの作品を残した。耳切り事件の3年前、ピストル自殺の5年ほど前のことである。
ゴッホの耳切りを調べ、『ゴッホの耳 - 天才画家最大の謎 -』を書いたバーナデット・マーフィーは、ゴッホは手紙で「(アルルの病院では)食事がひどい、ジャガイモが食べられない」とこぼしていることから病院の食事の注文書を調べて事実であることを確認している。ゴッホのジャガイモ好きはここからも分かる。
◇ゴッホのジャガイモのある1885年の作品
『ジャガイモを植える農夫たち』、『ジャガイモの植え付け』、『ジャガイモの皮をむく農婦』、『ジャガイモのある静物(かご)』、『ジャガイモの収穫』、『陶器の器とジャガイモのある静物』。
注:作品の載った参考ホームページ
https://potato-museum.jrt.gr.jp/art.html
ジャガイモと絵画 2.ヴィンセント・ファン・ゴッホ
280.『ちょっとマイウェイ』
1979〜1980年、日本のテレビ系ドラマ。毎週土曜日の夜、原則一話完結型で全25回放送された。
舞台は代官山、そこに浅井三姉妹が経営する老舗の洋食レストラン「ひまわり亭」があったが、その隣に大きなレストランが出来、ひまわり亭のコックやウェイトレスが、そこに引きぬかれて大ピンチになったところから始まる。
そこで、ひまわり亭の三人姉妹の長女、朋子(八千草薫)、次女伸江(結城美恵子)、三女なつみ(桃井かおり)が協力して、ひまわり亭を盛り上げる訳であるが、応募してきたコックやウェイトレスが一癖も二癖もある変わり者ばかりで、毎回、抱腹絶倒の笑いを提供しながらストーリーが進む。
まず、八千草薫演じる長女、朋子は天然ボケっぽいところがあり、あまりのドジぶりに離婚していて、料理に使うジャガイモの皮むきをちょっと褒められたばかりに、調子に乗って、あまりにも沢山皮をむいてしまい、コック達が大わらわになって、後始末をしたり、次女の子供にセーターを編めば、袖が長すぎたり等々、ドジばかり。
おまけに、「どうにかなるわよ」が口癖で、ひまわり亭が忙しい時でさえ、句会に出て行って、俳句をひねるような脳天気なキャラであるが、それを八千草薫さんが演じると可愛らしく?見えてしまう。
出演者同士の軽妙な掛け合いや、桃井かおりの独特で男っぽいセリフ回しも話題を呼んだ。料理の腕前はいいが喧嘩っ早い堀田康吉(緒形拳演じるコックのチーフ)、ウェイトレスの岸本加世子とラブラブなコックの秋野太作なども出演した。
八千草薫:舞台の「二十四の瞳」、映画「宮本武蔵」、「蝶々夫人」、「岸辺のアルバム」、ドラマ「阿修羅のごとく」、「独眼竜政宗」など知られていたが、すい臓がんが肝臓に転移してその治療中の2019年10月亡くなった。前日まで来院者と話をし、理想のPPK(ピンピン・コロリ)でこの世を去った。清純派で、"お嫁にしたい有名人"に度々あがった。