ポテトエッセイ第116話
札幌競馬場との関わりは、学生時代障害物競技?の障害物を所定の場所に移動させるアルバイトが最初のこと。しばらく途絶えていましたが、定年退職後、写真撮影を趣味とし、シニアにただの席があるため、最近ときどき出かけるようになりました。馬券はまったく買いませんが、現場では新聞の予想が的中したかどうか、配当が大きなものだったか、などとともになぜか馬の名前が気になります。
というのは、品種改良に従事する人は育成した品種に対しよい名前をつけるのが育成最後の大仕事となっているからです。これまでの品種との重複を避けるのは当然ですが、いろいろな制限に照らし、名前が適切であるかどうか命名審査されます。育成者が候補として提出したのが全滅した、と言った話を耳にしたこともありました。ジャガイモやサツマイモ(農水省は、ばれいしょ、かんしょと言います)の育成事業が開始された最初のころは「ばれいしょ農林○号」と通し番号に限られ、品種の個性・特徴が分らず、面白くなかったのですが、間もなく変更されたました。しかし、平成初期まではカタカナに限定されていたので育成場所に近い土地や山の名前が好んで使われました。「エニワ」、「シレトコ」、「デジマ」などです。
命名に制限が多くて、育種担当者が苦労していましたが、漢字も使ってよいことになり、その第1号として、北海道立北見農業試験場で1994年育成したものに、私の出した候補名が採用されました。最初に官報に載ったのが、澱粉収穫量の多い「粉無双」でした(平成7年)。しかし、無双は1番をイメージし、こんな順位・比較の言葉が入っているのはまずいと言うことで、育成地に再度候補名の提出を求められることとなり、翌年9月「サクラフブキ」に変更され、結局漢字を使った最初の品種は長崎県総農林試愛野馬鈴薯支場で育成した「普賢丸」となりました。「サクラフブキ」は、道立根釧農試馬鈴しょ科の私の後任者たちが昭和58年(1983)に高澱粉、Yウイルス抵抗性の「コナフブキ」を母に、ジャガイモシストセンチュウ抵抗性の「トヨアカリ」を父として交配し、選抜を加え、北見農試に移転後の平成6年にでん粉(片栗粉)原料用の奨励品種としたものです。名は、育成地中標津町桜ケ丘とでん粉収量の多いこを示しています。
馬名は公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナルの「馬名登録実施基準」に則って申請、審査されるようで、日本ではカタカナ9文字以内、国際協約(通称:パリ協約)により、アルファベット18文字(空白、記号を含む)までと決められている。ジャガイモ同様公序良俗に反したものや有名な商品名、会社名、「イッチャク」「サンチャク」なとの順位もだめです。
1990年テレビで歌「おどるポンポリン」で知られた「ちびまる子ちゃん」が話題になる直前(1988年)のことです。道立中央農業試験場が納豆に適する小粒な大豆を育成し、その候補名を募集していたので小生が「チビマル」を出したこともありましたが、差別語が入っていることで不採用になり、別の方が提案した「スズマル」に決まったことがありました。もし採用になっていれば、その後のテレビの影響を受けて食卓を大いに賑わしていたこと間違いなしであったかも。
馬の名前ですが、数が多いのでジャガイモ(ばれいしよ)よりも苦労しているようです。
今年(2016年)目にしたものでは、押しのけて走るのはやめそうな牝馬「ココロヤサシイ」、2文字と短い「ココ」や「ラソ」、頑張るかとうか分らない「ドゥーカ」、ひとつ当てたら叶うか「ユメノマイホーム」(牝)、軽いノリ?の「ピンポン」、「キューバンマンボ」、命名由来が知りたくなる「サングラスポテト」(牡)、顔いや体が見たい「セクシーボーイ」がありました。
大和市に住んでおられるエッセイストでHP「ふれあい七面相」の主さんが拾った笑っちゃう傑作としては、イクゾー、チチンプイプイ、オトボケ、ヨクバリ、ウンノツキ、ワイワイガヤガヤ、デベソ、ナイスグラマー、コクミンネンキンなど。
面白そうなので、私も少し調べてみました。ありました、ありましたいろいろ珍名が。
さすが「ジャガイモ」という馬はいませんでしたが、「アズキ」「ワサビ」「カラシ」「ドングリ」「サクラ」「チングルマ」「トノサマバッタ」「トキ」「ハリセンボン」はありました。回文になるのは見つかりませんが、これから出てくるでしようか。
著名な人物名もだめ。今アメリカ大統領がまだ決まらない時期ですが、「トランプ」「クリントンガール」はすでにありました。
「附」:血統の表示は、馬は♂が先(上)、♀が後(下)が多いようですが、ジャガイモは逆とすることが多い。