北海道立根釧農業試験場育成の シレトコ「ばれいしょ農林16号」

(1)来 歴
 でん粉原料用品種。1958年(昭和33年)に北海道農業試験場作物部畑作物第2研究室において,「北海24号」を母,「島系291号」を父として交配を行い,翌年道東の中標津町にあった北海道立農業試験場根室支場ばれいしょ指定試験地で交配種子の分譲を受け、その年実生(みしょう)を養成して塊茎を得、以後選抜を加えてきたもの。1961年「58098-530」の系統番号を付し、1964年「根系9号」の系統名をつけて北海道内試験機関に配付試作し、さらに1965年から現地試験を加えて地域適応性を検討してきた。1966には「根育3号」の系統名のもと試験を継続してきて、1967年(昭和42年)に育成完了。同年5月「シレトコ」(「ばれいしょ農林16号」)として登録命名された。品種登録時には北海道立根釧農業試験場に改称されていた。品種名は育成地に近い地名を表すもの。
 母[北海24号]は、[HLT-4]×[Teton]、父[島系291号]は[農林1号]×[Alpha]。

(2)形態的特性
茎はやや高く、太く丈夫で、緑色を呈し、草型は直です。小葉はやや大きく、色はやや薄い緑色で、分枝は少なめ、複葉数はあまり多い方ではありません。花色は白で、開花数は多いが、花粉は少なく、自然結果はあまり見られません。
 塊茎は卵形または扁卵形で、中、大粒が多く、粒揃いがよい。肉は白く、中心空洞は通常500gを越えないとみることができない。

(3)生態的特性
 枯凋(こちょう)期は祖母の[農林1号]に比べ、後志・道央では5日ほど、根釧、天北では1〜2週間遅く、極晩生種に属します。
 いも着きはやや疎ですが、[エニワ]ほど長くはなく、着生する位置は普通で、特に深いというほどではないから、掘り取りはあまり苦にならない。
 いも収量はきわめて多く、多肥栽培やゆゆ密植において増収が期待され、晩植適応性も比較的あると思います。食味は比較的良好です。調理時の黒変が少なく、黒色心腐の発生も少ない。
 休眠は比較的短いが,「紅丸」より長い。
 でん粉価は[農林1号]より1〜2%(ポイント)高く、根釧・天北ではほぼ[エニワ]程度です。でん粉収量は[農林1号]、[エニワ]より多い。でん粉粒子は[農林1号]よりやや大きい。
 疫病真性抵抗性遺伝子R1R2を持ち、疫病の新しい系統がでないうちは著しく強いが、育成時の生育末期には被害が認められていました。塊茎腐敗は少ない。
 Xモザイクウイルスや青枯病には弱いほうですが、軟腐病には中位かやや強い方に属し、ネグサレセンチュウに対しては弱いほうです。  ジャガイモシストセンチュウが日本で初めて確認されたのは1972年(昭和47)であり、その抵抗性は付与されていませんでした。

(4)栽培上の注意
  いも重型品種のため、年次変動があるとされているが,地城適応性は大であり、羊蹄山ろくや夏期の冷涼多湿な地方でよい結果が得られている。魂茎腐敗が少ないため、収穫や貯蔵は容易である。黒あざ病の被害を受けると,明らかな病徴を出すことが多いので,判別が容易です。

(5)付 記
 ☆1 何故道立農業試験場根室支場(根釧農試)に馬鈴しょ科が生まれたか、そして今は
 北海道、特に東部地方に適するでん粉原料および飼料用品種の育成を目的に1957年農林省の補助による馬鈴しょ育種指定試験が始まりました。道立農業試験場根室支場が育種の場として選ばれたのは、中標津町が夏季冷涼で当時霧の発生が多かったためウイルスを媒介するアブラムシの発生が少なく、当時すでに育種に必要な品種保存、増殖、および実生個体の疫病抵抗性検定試験などが実施されていたためでした。その最初の育成品種が[シレトコ]でした。しかし、ほとんど普及しないで終わりました。(その理由は☆2)
 1964年(昭和39)、北海道立農業試験場根室支場馬鈴しょ育種指定試験地から北海道立根釧農業試験場馬鈴しょ科へと変わりました。
 [シレトコ]に続き[ワセシロ](伯爵)が北海道の優良品種に決定されたのは1974年(昭和49)(農林20号)。早期肥大性があり、昭和50年代はカルビーの早期操業用原料になるなど、一定の人気がありました。中標津町ではいも焼酎として売られたりしています。(☆4)
 ついで、1981年(昭和56)には[コナフブキ]を北海道の奨励品種にできました(育種家の権利を認める新『種苗法』に基づく登録は1983年(昭和58)2月24日。農林26号)。でん粉価が高いなどの優れた点が多く、現在(2016年)北海道で[男爵薯]よりもたくさん栽培され続け、育種家の夢が叶いました。(☆3)
1992年(平成4)[ムサマル](武佐岳は中標津町の山。農林32号、フレンチフライなどの食品加工用)。
1994年(平成6)[サクラフブキ](母が[コナフブキ]。根釧農試は中標津町桜ヶ丘にある。でん粉原料用。晩生。農林34号) 1997年(平成9)[花標津](はなしべつ、食用、疫病に罹りにくい。農林38号)。
 その後根釧農試は酪農・畜産に関わる研究に重点が置かれることになり、1998年(平成10)に馬鈴しょ科は訓子府町(現在北見市)にある北海道立北見農業試験場(現地方独立行政法人 北海道立総合研究機構 北見農業試験場)に移転しました。
2003年(平成15)[ナツフブキ](1992年根釧農試で交配し、北見農試で育成。農林47号)
 [コナフブキ]育成途中の1977年、北海道東部にジャガイモシストセンチュウの発生が確認され、それに対する抵抗性のあるものが要望されました。
 品種の育成にまず約10年、続く増殖・普及にさらに約10年を必要とします。 それまでの間に、野良芋対策が必要なことを除けば、腐敗が少ない、Yモザイク病に罹らないなどと作りやすく、後作に秋まき小麦の栽培を容易にできる[コナフブキ]の人気が高まり、その作付面積は平成8年(1996)に当時のでん粉原料用の主力品種「紅丸」を上回り、平成14年(2002)年に北海道では知名度抜群の「男爵薯」を抜いてしまいました。平成26年(2014)で[男爵薯]の9,734haに対し13,460ha(1.4倍)にもなってしまいました。
 [コナフブキ]に取って代わってほしい品種として線虫抵抗性のある[コナユキ](2010年(平成22)北見農試育成。農林62号)や[コナフブキ]を父親とする[コナヒメ](2016年、ホクレン育成)が出てきましたので、これらの早急の普及を願っています。

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☆2 何故[シレトコ]が伸びなかったか
 種いもの増殖の際にXモザイク病に汚染されていたこと、初めて原原種農場から根室原種農場に渡された種いもに黒痣病菌核の付着が非常に多かったにも関わらず種いも消毒を怠ったこと、枯凋期が遅いことなどが影響したと思われます。結局、作付は伸びず、昭和48年(1973)に116ha作付されたのを最高に以降は減少に転じ、昭和56年(1981)に優良品種から廃止された。


関連文 献、資 料、Web

金子一郎、浅間和夫、上野賢司、村上紀夫.“馬鈴薯新品種「シレトコ」について”.北農.34(7):1-24 (1967)
金子一郎、浅間和夫、上野賢司、村上紀夫.“昭和42年大豆・ばれいしょ新品種解説(ばれいしょ・シレトコ)”.農業技術.22:285 (1967)
馬鈴薯「根育3号」に関する試験成績(新品種名 「シレトコ」) (成績概要書(1967))

jrtジャガイモ品種詳説シレトコ(花と塊茎の画像あり)

☆3 北海道新聞 夕刊 2011年2月24日〜3月9日(全12回掲載)[私のなかの歴史 ジャガイモ人生 浅間和夫]
☆4 朝日新聞 夕刊 2015年9月28日 ジャガイモをたどって 1 [[伯爵]の名だったら]


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