ジャガイモの出てくる 映 画 第2集

16. 『ソラニン』
 2010年邦画。監督:三木孝浩。原作:浅野いにお。
 浅野いにおの同名原作を映像化した青春恋愛映画で、夢と現実に翻弄されながら生きる若者たちの青春を等身大で描いたもの。今や国民的女優となった宮崎あおいが演ずる事務員芽衣子は、若手実力派の高良健吾が演ずるフリーターでバンドマンの種田と同棲しながら、互いに寄り添って東京の片隅で暮らしている。
 ある朝、種田がバイクで帰ってきて、「おやすみ」と言って、一人ベッドにもぐりこむ。芽衣子の部屋には実家からたくさんのジャガイモが届いていた。ジャガイモを積み上げながら、「今日からカレー祭りだよ」とつぶやく芽衣子を気にもせず、種田はすぐに眠り込む。
 二人は不透明な未来に確信が持てないでいた。種田は音楽の夢をあきらめられず、夢と現実の狭間で葛藤するが、ついにバンド活動に専念することを決意する。ある日、芽衣子の一言で仲間たちと「ソラニン」という曲を書き上げ、芽衣子と一緒にその曲をレコード会社に持ち込む日が来る...。
 高良健吾の熱演もいいが、アジアン・カンフー・ジェネレーションが書き下ろした楽曲「ソラニン」を、芽衣子が魂を込めて歌うライヴシーンは最大の見どころ。
 どうして、陽に当たって緑化したジャガイモ塊茎(種)や芽に存在するポテトグリコアルカロイドのひとつとされる「ソラニン」が映画のタイトルになったのか。答えは、お気づきのように二人の姓名、”田”と”衣子”の組み合わせと歌詞にありました。
歌手:ASIAN KUNG-FU GENERATION、
 作詞:Inio Asano、作曲:Masafumi Gotoh
思い違いは空のかなた
さよならだけの人生か
ほんの少しの未来は見えたのに
さよならなんだ
<中略>
たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もうさよならんだ

さよなら それもいいさ
どこかで元気でやれよ
さよなら 僕もどーにかやるさ
さよなら そうするよ

ソラニン 1

17. 『しあわせのパン』
2012年邦画。監督・脚本は「刺青 匂ひ月のごとく」で劇場用映画デビューを飾った三島有紀子。オール北海道ロケで撮影された。2012年1月21日より、北海道にて先行公開されたので行ってみた。
この時期は例年になく寒波厳しかったが、映画は心まで温まるものでした。映画では、大笑いしたり、声援を送る人が出たりするものがいるのが当たり前なのだが、監督が女性のためか、終始ほとんどざわめきが無いものになっていたのも印象的でした。
「探偵はBARにいる」で知られ、札幌近郊の江別市出身の大泉洋と「東京オアシス」の原田知世が夫婦役で主演。水縞夫妻は東京から北海道にきて、洞爺湖のが見渡せる丘の上月浦の宿泊設備を備えたオーベルジュ式のパンカフェ“マーニ”を始めていた。尚(大泉)がパンを焼き、りえ(原田)がそれに合うコーヒーを淹れ、料理を作っている。
 この店にさまざまな想いを抱いて訪れる人々の人生を四季の移ろいとともに描いたハートウォーミングドラマ。“マーニ”には、春から冬まで毎日絵本をめくるように、色々なお客がやってきた。
北海道から出られない青年、時生(平岡祐太)、なんでも聞こえてしまう地獄耳の硝子作家、陽子(余貴美子)、口をきかない少女、未久(八木優希)やその父親(光石研)がきたり、革の大きなトランクを抱えた山高帽の阿部(あがた森魚)が宿泊している。そこに沖縄旅行をすっぽかされた傷心の香織(森カンナ)がきたりして四季が移っていく。野菜や米を仕入れる店広川さんの店頭はいろいろな野菜と一緒に丸いジャガイモ(この地域で栽培の多い品種『とうや』)が見えた【写真は「とうや」】。
 冬には、阪本老人(中村嘉葎雄)とその妻アヤ(渡辺美佐子)がやってきた。地震で経営する銭湯「日の出湯」が壊れ、ひとり娘の有月に先立たれ、思い出の地で月を見ながら心中を考えて来たのだった。それを思い止めさせて食べさせたポトフ(西洋おでん)に「メークイン」を見つけ、妻役渡辺は、『とうさん、ジャガイモ』と言う、夫役中村は応えて、『そう、ジャガイモや』と和む。クラレットらしいワインは度々見えたが、終わりに近いパーテーのシーンでは薪ストーブの灰からアルミフォイルで包んだ焼き芋(この芋とはもちろんジャガイモ)がチラッと見えた。
パンを分け合って食べる仲間をコンパニオンと言うのだと水縞。小生はゴッホの絵『ジャガイモを食う人々』を思い出す。蒸かしたジャガイモを囲んで素手で取って食べている風景だ。パンカフェ“マーニ”にはコンパニオンとしあわせのパンがいつもあった。最後にりえが『来年のお客さん、決まったよ』と言う、そして自分のお腹を指さして彼に教えた。そうです、一人じゃ出来ないが、二人なら出来るものが、そこにもあったのですね。
蛇足:映画の中で、『カンパーニュが焼き上がりました』とありますが、これには北海道産小麦(協賛:江別製粉)ジャガイモ「キタアカリ」、カボチャが使われていた模様。

18.『U-900』
 2008年ドイツ映画(DVD)。監督:スヴェン・ウンターヴァルト。
第二次大戦末期のナチスを舞台にし、ドイツからアメリカに亡命しようとする ちゃらんぽらん男が潜水艦を乗っ取ってしまうコメディ映画。
アメリカ大好きのアッツェと彼がかくまうユダヤ人の青年、そして結婚式場に ケーキを運んでいる途中に巻き込まれてしまった女優志望のヒロインの三人が ドタバタを起こす。アッツェがナチス将校の大将の奥さんとの不倫ががばれ てしまい家に潜んでいたところ、手にした者には、強大な力がもたらされると言われるキリストの聖杯をu-900に積み地中 海からドイツに運ぼうとしていることを知る。三人は聖盃をただの器だと思い、これで全自動ポテトフライヤー (ジャガイモ揚げ機械)を作ってアメリカでひともうけを計画する。
アッシェがクルーとは全く面識のない艦長になりすましてこれをUボートに載 せ、地中海からドイツに運ぶ計画を利用する。素人が艦長のふりをし、ヒロイ ンが男装するなどを面白く描くのはもちろん、口のうまさでクルーたちをアメ リカに進路をとることを強制したり、潜水艦が漁船に追いつかれたりのコメデ ィを展開します。そしておまけは、コメディとは思えないほど潜水艦のクォオ リティが高いことを知ったり、最後まで観ると、某ハンバーガーチェーンのルーツが分かること。
彼らは無事にアメリカの地を踏めるのでしょうか。

19.『ポテチ』
>  ポテチの出てくる映画は、『旅情』、『七年目の浮気』が有名である。このずばり『ポテチ』を冠した映画が札幌に来た。ポテチを期待しないで終わる訳にはいかない。2012年5月16日札幌シネマフロンティアに向かった。
仙台に住む伊坂幸太郎の短編集「フィッシュストーリー」(新潮社刊)に収められた一編「ポテチ」をこれまで伊坂作品を数多く手掛けてきた中村義洋監督の手でにより、濱田岳主演でオール仙台ロケにより映画化したもの。同じく、過去の伊坂作品の音楽を担当してきたミュージシャンの斉藤和義が音楽を担当した。
後半に判ることだが、全く同じ日に同じ病院で生まれ、一方はプロ野球選手、もう一人は空き巣今村と全く違う人生を歩むことになった2人の男の運命を独特のタッチで描き出す。
 濱田岳が演ずる空き巣の今村が、仕事中にかかってきた電話に出たため、ビルから飛び降り自殺をしようとした女若菜(木村文乃)と仲良くなり、一緒にプロ野球の尾崎選手の留守宅に入る。
今村はニュートンの名も知らぬ科学オンチだが、探偵役の黒澤(大森南朋)の助けで同じ年、同じ日に仙台市で生まれたプロ野球選手尾崎との関係を明らかにしていく。
 ポテトチップスが出てくるのは、車の中。テンションが上がり『腹が立ったら、腹が減った』と今村がコンソメ味と塩味を買ってきて若菜とバリバリ食べるシーンが、映画のタイトルとなり、暗示を与える。即ち若菜は塩味の袋を手するものの、依頼したものとは違うことに気づき(写真)、「間違ってもらって、却って良かったかも。」と別の味を楽しむ。
 今村が強い関心を持つ野球選手を美人局で騙そうとする男女と戦い、野球チームの監督の女ぐせの悪さを捕らえて尾崎選手を代打に出すことを約束させる。
 女優石田えりの外、中村監督も泥棒の“親分”役をこなし、竹内結子がその出演シーンで後ろにいる通行人のひとりとして現れ、仙台のご当地キャラの絵柄のトートバッグを持参しスッピンで出る。
2012年3月11日の東日本大震災を受けて伊坂さんと中村監督は「いままでの恩返しとして、現在の仙台の姿を通してみなに勇気を与えて、復興の後押しをしたい」との思いから本作をオール仙台ロケで映画化することを決意したという。
 蛇足ですが、映画鑑賞中の飲食にいろいろあり、小生は入る前にコーンスープを飲み中でガムのことがあります。ポテチやせんべいはガサガサ・バリバリと音がするので、少し音の少ない紙カップ入りポップ・コーンに比べ人気が無い。チョコレート、アメ、ガムも袋の音は出る。そこで袋菓子を音の出にくいものに入れたり、ポテチ販売を止めたりしているところが多い。午前中からのビールとか、揚げるフレンチフライ、ホットドッグも臭いの点でやや嫌われます。 映画を見ているときに余計な音をたてられたり、不必要な行動が視界にはいるとイライラしてしまいます。ケイタイを使いバックライトを見せるのも鑑賞の邪魔になりますね。

20.『追憶のアイルランド』 I Could Read the Sky
アイルランド=イギリス 1999 監督・脚本:Nicola Bruce(女性)。
 原作は飢饉のおりにジャガイモを植えた先祖とは違ってアメリカに住む作家 Timothy O'Gradyとニューヨーク在住のイギリスカメラマンSteve Pykeの共著 の小説です。
 ロンドン、ケンティッシュ・タウンにあるフラットの一室。ベッドに横たわ るアイルランド移民の老人(Dermot Healy)の過去がフラッシュ・バックのよう に蘇る。
 老人はアイルランドの片田舎で兄弟姉妹の多い大家族に育った。長兄は農場を継いだが、その他の子供たちはニューヨークやイングランド各地、ロンドンなど、新天地を求めて移民していった。
 主人公も仕事を求めて、アコーディオンと着替えの詰まったトランクだけ持 ってアイルランドからイングランドに行くためリバプール行きのフェリーに乗 り込んだ。着いたリバプールはアイルランド移民の玄関口で、アイルランド系 住民も4割近くを占めていた。主人公はここからBrit Railで移動した。
 イングランドに渡ってからは周りに合わせていろいろな偽名を使い工事現場を渡り歩いた。そして人並みに結婚し、愛する妻マギーの死にも遭遇する、等々・・・と語りは続く。この過去を語る間、美しい伝統的アイリッシュ音楽が流れていた。挿入歌にはシニード・オコナーの曲などが使われていた。
 主人公は"苦手なもの"として、「ジャガイモのない食事」を真っ先に挙げていた。アイルランド片田舎の食事には必ずと言っていいほどじゃがいもが添えられていた。いもへの思い入れは強かったのでしょう。

21.『独裁者』または『チャップリンの独裁者』The Great Dictator
 1940年アメリカ映画。チャールズ・チャップリンが監督・製作・脚本・主演を 務めた。
 ドイツがホーランドに侵入した第2次大戦が勃発した時期に制作され、ヒトラーとナチズムに対して非常に大胆に非難と風刺をしつつ、ヨーロッパにおける ユダヤ人の苦況をコミカルながらも生々しく描いたもの。当時、アメリカはナ チの戦争とはいまだ無縁であり平和を享受していた。
 初公開当時ナチス・ドイツと友好関係にあった日本では公開されず、日本初 公開はサンフランシスコ講和条約締結から8年後の1960年であった。
 この作品は、チャップリンの「最初のトーキー作品」として有名であり、さ らにチャップリンの作品の中で最も商業的に成功した作品として映画史に記録 されている。
チャップリンは、架空の国トメニアの陸軍重砲部隊に所属する無名の二等兵 (床屋のチャーリー)として登場し、トレードマークの山高帽、ステッキ姿が 印象に残る。
 独裁者ヒルケルに支配されているトメニア国。瓜二つのユダヤ人の床屋は、独裁者と間違われ、占領国での演説で平和を訴える。ナチズムの狂気とユダヤ人の迫害を批判した傑作。
 この中ででナチス突撃隊がユダヤ人の八百屋からジャガイモとトマトを強奪 するシーンがあります。 好きなジャガイモとケチャップに向きそうなトマト をゲットしていました。ドイツ人特に北部の人々はジャガイモ大好き、トマトはケチャップにして食べる人が多い、きっとゲットしたものはケチャップになったかも。
床屋が女性ハンナの無い髭を剃ろうとしたシーンでは、ハンナの信仰が語られ、その後、ジャガイモを買いに出たハンナが蹴躓き、通りかかった突撃隊から親切を受けますが、その時神と語らうような目で独りごとを言っていた。

22.『ニーチェの馬』原題 A torinoi lo (英題The Turin Horse トリノの馬)
2011年。ハンガリー。 監督 タル・ベーラ
ロシアの東部に位置する国々はジャガイモをよく食べます。ハンガリー生まれの監督も例外ではないでしょう。昔ジャガイモと羅針盤を船に積むようになって壊血病などで航海中に亡くなる船員が減り大航海時代に入ることができ、その後の産業革命もジャガイモが労働者を支えたので成功したとも言えます。この映画でもジャガイモが重要な役割を果たしています。
タイトルは、19世紀末のドイツの偉大な哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェが、イタリア・トリノの広場で動かなくなって御者に鞭打たれる馬を見て駆け寄り、馬を守るようにその首を抱えながら泣き崩れ、そのまま精神が崩壊して二度と正気に戻らなかったという有名なエピソードに由来しており、「馬のその後はどうなったのか」という発想がこの映画の原点となったとも言われています。

 外界から隔絶したような農場にすむ片腕が不自由な男(デルジ・ヤーノシュ)とその娘(ボーク・エリカ)が荷馬車を唯一の収入源に何とか生計を立てていた。しかし、連日の強風によって仕事ができなくなり家に戻ってくる。
 生きていくためには水と食料が絶対必要です。家から少し離れた場所には古井戸があり、そこに毎日水を汲みに行くのが娘の日課となっている。汲んできた水で湯を沸かし、木箱に貯蔵したごつごつしたジャガイモを1日1人1個ずつ茹で、皮を剥いて塩だけでゴッホの絵『馬鈴薯を食う人々』のように手づかみで食べる。副食はない。  ある日、農夫が薪を割り、娘が洗濯したあとジャガイモを貪ったところへ男がきてパーリンカ(焼酎)を分けてくれときます。そんなぎりぎりの生活を続けていたのだが、何日たっても風が止む気配はない。 その翌日ジャガイモを食べていた時、通りすがりの漂泊民の一団が井戸の水を求めてやってき、翌日頼りの井戸水が涸れてしまう。
父はそこを出ようとする。馬は餌を食べてなく、役に立たない。  数日目、農夫は馬の縄を外してやったものの、二人はジャガイモを貪るも力なく、農夫は殆どを残してしまう。その日ランプの火種さえも失う。暗闇の中、テーブルを囲む父娘がぼんやりと映し出される。テーブルの上にはジャガイモが生のまま1個ずつ置かれている。火と水を失い茹でることもできなくなったそれを父は皮を剥き「食べねばならぬ」と生いもを口に運ぶ。そのかじる音は、rightwideの表現によると、「創世記」においてアダムとイブが食べた禁断の果実とされるリンゴのようでもあったが、すぐ諦める。そして二人は沈黙に支配される。
 このように、父娘の孤独な日々を描いたニヒリズムの世界のドラマであるが、もちろんニーチェは登場させない。『ジャガイモと映画』の中で、注目される作品です。美しいモノクロ映像、全篇154分が全30カットという超長回しなのに退屈するゆとりを与えてくれない。しかも連日ジャガイモがでてきてくれたことにも驚き感激した映画であった。。

23.『悲しみのミルク』原題 La teta asustada (英題 The Milk of Sorrow)
2009年、ペルー映画。監督:クラウディア・リョサ。彼女の叔父はノーベル文学賞の作家。
1980年代のペルー内戦下では極左翼組織のテロがあった。「彼らは身ごもったわたしを犯したあと、夫を殺し、夫の一物をわたしの口のなかへ押し込んできた。あまりの苦しさに、わたしは叫んだ。 夫といっしょに、わたしも殺して欲しい」
このような意味の歌をケチュア語で歌うのは、この映画の主人公ファウスタ (マガリ・ソリエル)の年老いた母親。彼女は衰弱してベッドに横たわってお り、やがて死を迎える。
過酷な暴力に苦しむ母親の母乳を飲んだ子どもは、その苦しみと恐怖が伝染 する恐乳病になるという民間伝承が、南米アンデスの先住民のあいだで受け継 がれてきているという。ファウタも恐乳病のため一人で外出もできない。祖母 たちがレイプから身をまもるためしていたように、彼女も子宮にジャガイモを埋め込んでいた。ジャガイモから芽が伸び両足の間から出てくる度に、ハサミでそれを切り取っている。笑い、歓びとともにインディオが出てくる 詩的で、牧歌的・幻想的でもある映像とは裏腹に、ここで語られるのは、現代ペルー社会が抱える矛盾と残酷な貧困。
亡き母の埋葬のため、ピアニストの家の奉公人になり、母からの歌と奉公先の理解ある庭師が救いになっていた。
 映画のラストに局部に埋め込んだジャガイモを、主人公が取る決心をする。側には優しい庭師が付いていてくれた。退院してから女は亡き母の遺体を故郷の海の見える寒村パチャカマの砂丘に埋めることにした。
 数日後、彼女のもとに鉢植えのジャガイモの花が届けられる。ジャガイモはテロの遺物であると同時に、闇の中から光を求めてこじり出る希望の花だった。
 昔、ジャガイモの皮がきれいに剥けないと結婚できないなんていう話があった場所だ。そんな話は2,3代前の話で、今は好きになって、子供ができて、そのまんま・・・だとか。しかし、女達は輪になって、細く、長く皮を剥いている。

24.『落穂拾い』原題 Les Glaneurs et la  Glaneuse
 2002年、フランス。監督:アニエス・ヴァルダ。
  監督は「シェルブールの雨傘」で知られる映画監督ジャック・ドゥミ(1990年に他界)の妻であり、ヌーヴェルヴァーグの女神」の異名を持つ女性。1928〜2019年乳癌のためパリで死去。
 映画の冒頭部分、北フランスのジャガイモ畑で、大量に廃棄された規格外のジャガイモを拾う人々の姿を観て、ようやくミレーの『落穂拾い』に絵がかれた行為が理解できる思います。
 プレス向け資料によりますと、ある日ヴァルダ監督はパリの市場で、市場が閉まってからに落ちているものを拾う人たちを見て映画の着想をつかみ、ハンディカメラを手にフランス各地の“現代の落穂拾い”を探す旅を始めたといいます。
  収穫もれや規格外などの落ちこぼれを拾う人は、必ずしも貧しい人ばかりではないことや、フランスは収穫後の畑を開放しているらしいことも。自由に拾わせているのは翌年の野良芋退治にも効果あるでしょう。日本でもニンジン、タイコンの規格外比率は結構高く、もったいないと感じています。地域によってはジャガイモシストセンチュウの拡大から不特定多数が自由に畑に入るのは問題があるかも知れないが、「皆が思っている『ゴミ』は、ゴミではない」ことが知らされましょう。
 映画はカメラを持ってフランス各地のものを拾う人と出会うために旅に出る。旅の途中で監督が興味を抱いた対象、つまり一度に大量の食べ物が廃棄され、例えばジャガイモ畑には形の悪いもの小粒なものなどの規格外品が捨てられている一方で、それを拾って生活している人々、レジャーのように拾う人々、廃品やゴミを集めてオブジェを作る芸術家など、フランス各地の“もの拾い”が次々に登場し、厳しい現実の中でもたくましく生きる現代の“落穂拾い”たちの姿が印象的。彼らの生きる知恵や人生哲学が語られていく。
 捨てたものを拾って食べる人々を社会的弱者として描くことはせず、現代の大量消費文明をユーモラスに告発し、監督自身を見つめる物語にもなっている。
蛇足だが、フランスでは1554年、収穫後であればある程度落穂拾いしても大丈夫という法律が成立しているとか。また、映画観賞中に捨てられたジャガイモのなかにハート型のものも見られるので、探してみては如何かな。末期高齢者で断捨離を急がされている小生ではあるが、写真仕切りの左の塊茎にカサブタ状のそうか病病斑があることにも目が止まった。

 追記:アニエス・ヴァルダは第二次世界大戦中にベルギーからフランスに渡り、最初は国立民衆劇場の公式写真家、ついで映画作家、となり、「5時から7時までのクレオ」、「幸福(しあわせ)」 (1965)などをつくる。3つ目のキャリアとして2003年“ビジュアル・アーティスト”としての活動を開始。ヴェネチア・ビエンナーレの「ユートピア・ステーション」でジャガイモをテーマにした「パタテュートピアPatatutopia」を発表した。イタリーやフランス語のPatate(パタートゥ)はどちらかと言えばサツマイモを指すが、ここではジャガイモのことであり、写真2のようなジャガイモ関係の写真、絵画、カードの展示が多かった。
25.『戦場のピアニスト』原題 The Pianist 
2002。フランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作映画。監督:ロマン・ポランスキー。
 ワルシャワ放送局においてユダヤ系の一人の男(ウワディスワフ・シュピルマン)がピアノに向かってショパンの静かな曲を演奏していた。爆弾が局の建物を直撃し、ナチス・ドイツのポーランド侵攻を知る。
 以後、ユダヤ人の出入りする場所が制限されたり、12歳以上は腕章をつけることが強制される。ウワデイクは働いていたレストランに入る。荒れ果てた室内、机もイスもピアノも壊れている。
その後、ウワデイクはドイツ兵の監視の下でレンガ積みの仕事をしている。ピアニストには無理と室内の軽作業につかせてもらっいてるとき、ウワデイクは食料の買出しを命じられる。ナチスに反乱を起こすため、大きい布袋にジャガイモを詰めて、底の方に小さい布に包んだピストルを入れて帰る。 隊列を組んで宿舎に帰る途中で布に包んだままのピストルを塀の内側に放り込む。 また何時ものように買出しをして荷物を降ろしていると、ドイツ軍の兵隊が入ってくる。 「中身は何だ」と布袋を指差す。 「ジャガイモ3キロとパンです」。兵隊は軍刀を抜いて布袋を破ると上に豆が詰まっている。ウワデイクは豆の下から何時ものように布に包まったピストルを取り出しズボンのポケットにしまった。
 連合軍がドイツを爆撃できるようになり、道路を隔てて直ぐ前がドイツ兵の陣営というところに動くことになるが、食料が何も無くなる。仲間がパンとウオッカを運んでくれる。 「パンを買うお金が無くなった」男が言う。 「これを売れ・・・食料の方が大切だ・・」ウワデイクは腕時計を外して男に渡す。そして芽の出たしなびたジャガイモを半分に割って料理する。1944年8月各所で市街戦が始まる。
 ウワデイクが隠れていたビルも、今いる官舎も兵隊が来て一戸づつ火炎放射器で火をつけていく。 ビルはたちまち火の海となった。 ウワデイクは裏窓から逃げて、塀を乗り越え廃墟となった街に出る。 一つ残らず壊されたビル、無人の街をウワデイクは夢遊病者のように歩く。 壊れた家に入って残った家具を開け、食料を探すが何もない。食料さがしをし缶切りを手にしたときドイツのホーゼンフエルト大尉兵に会い、ここに住むピアニストと名乗り、集中して激しく美しい調べを聞かす。その後、ドイツ兵の撤退へと変わっていった。そして音楽会の会場でフルオーケストラの演奏会でウワデイクがピアノを弾いているシーンが見られた。
 廃墟の中のピアノでホーゼンフェルトが演奏していた曲にベートーヴェンのピアノソナタ第14番「月光」もあった。

26.『愛を読むひと』 The Reader
 2008年、アメリカ・ドイツ映画。英語作品。監督:スティーブン ・ダルドリー。
 ベルンハルト・シュリンクの小説『Der Vorleser 朗読者』を映画化。
 舞台はドイツであるが、全編英語による製作である。そのため登場人物名も 英語読みとなっている(ミヒャエル→マイケル等)。
小説は松永美穂に翻訳され、新潮社から出されています。本の表紙にジャガイ モによく似たものが描かれているので読むことにしました。
 1985年、ドイツ。第二次世界大戦後のドイツ。15歳の高校生マイケル(ダフィット・クロス)は、気分が悪かった自分を偶然助けてくれた21歳も年上の女性ハンナ・シュミッツ(ケイト・ウィンスレット)と知り合う。黄疸にかかったミヒャエルは、回復後に毎日のように彼女のアパートに通い、い つしか彼女と男女の関係になる。ハンナはミヒャエルが本を沢山読む子だと知 り、シャワーの前に本の朗読を頼むようになる。
 真面目に路面電車の車掌をしていたハンナが突然姿を消してしまった。8年後、法学生となったマイケル(レイフ・ファインズ)は裁判所でハンナと偶然再会する。ナチス親衛隊のもと、収容所の看守についていたことでが戦犯として裁かれ、無期懲役となる。マイケルは修習生となり、結婚し娘をもうけるが様々な想いを胸に離婚し、ハンナの最後の“朗読者”になることを決心し、彼女の服役する刑務所に朗読を吹き込んだテープを送り始める。服役している収容所を訪ねようとして、近くの村の食堂でフライドポテトとえんどう豆を添えたステーキを食べることがあった。
実はハンナは読み書きができない女だった。聞いたテープを元に彼女自身を変える行動に出る。模範的な服役をしていて、服役18年後マイケルとの再会が叶 う。出所できることが決まり、家を見つけ迎えにいくが、女性所長から意外な知らせを受ける...。

27.『じゃがいもシンフォニー』Gamja Simponi、英訳題『Potato Symphony』 
 2009年、韓国映画。監督:チョン・ヨンテク Jeon Yong-Taek。
 舞台は韓国北部金剛山や「冬のソナタ」のドラマで有名になった「春川」が ある江原道の田舎町で、農業以外にこれといった産業のないところ。そこで暮らす働き盛りの男たちは、満ち足りない生活をしている。
この街唯一の有名人といえば、ヤクザのチンハンで、 自分を退学させた学校 に多額の奨学金を寄贈して、今では地元の有名人。
そんな街に家業を継いで悶々としているチョルビョクたちの前に、かつて伝説の不良として恐れられたペク・イがソウルから帰って来る。これだけ一癖ある者が揃ったところでヤクザの抗争があり、ペク・イたちが内にもつ闘争本能が外にで...。
 これをこのコラムに選択したのは英語のタイトル『Potato Symphony』が目に入ったからですが、そのつけられた由来は判りません。2013年現在日本未公開です。韓国に詳しいvfx1さんの推定に従うと、江原道は岩の多い産地でジャガイモやとうもろこしが獲れ、そこの人々の気質を表現する言葉に「カムジャバウィ」(じゃがいも岩石)があり、その意味には平凡だとか愚直だとか良いもの悪いもの色々あるようです。登場人物がそのどれかにピッタリなのかも。(2013.3)

ジャガイモと映 画 第1集 (No.1〜15)の内容は
1. 大脱走 The Great Escape
2. 真紅の海賊 The Crimson Pirates
3. さらばバルデス >Chino(The Valdez Horses)
4. 旅 情 Summertime
5. わかれ道 One potato,two potato
6. スターウォーズ Star Wars
7.7年目の浮気 The Seven Year Itch
8.静かなる男 The Quiet Man
9.ビッグ、仁義なき戦い Big
10. 『地下水道』、『スターリングラード』
11. 『ホタル』、『マンホール』、『男はつらいよ』
12. 『怒りの葡萄』 The Grapes of Wrath
13. 『エイプリルの七面鳥』 Picese of April
14. 『パシフィック・ハイツ』(Pacific Height)
15. 『ALWAYS 続・三丁目の夕日』

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アメリカ映画『コブラ』

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