川田男爵が導入してからでも100年、『においもうまい』、とまだ人気の

ジャガイモ品種「男爵薯」(DANSYAKU-IMO)Irish Cobbler


異名(外国):Eureka , America,Flourball,Early Petosky, Cobbler, Early Eureka, Early Dixie, Early Standard, Early Victor, Early Waubonsie, First Early など
異名(日本):男爵、極早生白丸、梨形薯、高橋薯、備前白

 牛肉で偉いのはロイン候の称号あるサーロイン・ステーキ、ジャガイモでは「メークイン」(女王)、「黄爵」(とうや)、「伯爵」(ワセシロ)、「男爵」の順となりますか。

(1)来 歴
19世紀は1876年(明治9年)のころ、北米でアイルランド系靴直し屋さんが「アーリーローズ」(皮は紅)の畑の中から発見した、と言われていますが何かの間違いのようです。蛇足ながら「アーリーローズ」は1861年に「Garnet Chili」の実生から育成されたものであり、この親子品種はその後の品種改良にからり貢献しています。また、その発見の場所がどこかについても、マサチュウセッツ州マーブルヘッドとニュージャージー州ランバートンの2説があります。
 これが実質北海道に広がるきっかけとなったのは明治41年(1908年)になり、函館市郊外七重(現七飯町)に農場をもっていた函館ドックの川田龍吉*専務がイギリスのサットン商会から導入したためです。この中に「フラワーボール Flourball」がありました。同じその年アメリカのダーリン・ビーハン商会から輸入したものの中にも異名同種の「アーリー・ペトスキー Early Petosky」がありました。後年札幌の北海道農事試験場(現北海道農業研究センター)でアメリカの「アイリッシュ・コブラー Irish Cobbler」であると突き止めたのです。*ポテト・エッセイno.7
 正式に「男爵薯」と決ったのは昭和3年(1928)、北海道の渡島・釧路・根室地方限定の優良品種(奨励品種)に決まったときのことです。このころから道内や本州(北海道では内地と呼んだ)の認知度が徐々に高まり、3年後には全道の優良品種として認められました。
 名前の由来は函館近郊に本格的に普及する原因をつくった川田男爵によります。このように普及したのは、早生で疫病の蔓延する前に収穫でき、その後作に野菜や小麦を栽培することができ、休眠が長いので保管が楽であったためと考えられます。単に「男爵」の名で扱われることも多く、全国で栽培され、ジャガイモの代名詞にされることもあるほどです。
(2)地上部特性
 畑での出芽は遅く、初期生育もこの改良種「ワセシロ」(伯爵)よりやや劣り、茎長は現在の品種の中で最も低いほうに属します。茎数は「ワセシロ」より多いが、少ないほうに属します。
 草姿は良く、倒伏は少ない。葉色は濃く、小葉の着生は密で、大きさは「ワセシロ」より小さく、「メークイン」より大きい。
 花色は淡赤紫で、花弁の先は白い。花数はやや少ないが、「ワセシロ」より多い。種子の入った果実は着かない。「メークイン」や「キタアカリ」同様、疫病抵抗性遺伝子を持たなく(r)、疫病に弱い。
 ウイルス病としては、X、Y モザイク病が多い傾向にあります。Yモザイク病の罹病によって、れん葉を呈することが多く、モザイクもみられ、それらの症状は軽く、やや見にくい。Y-T系統ではごく軽いれん葉症状のことが多く、無病徴もあります。Sモザイク病は褐色小斑点を生じ、比較的見やすい。やせいも病(わが国で未発生)にかかると、小葉の付け根部が赤紫色になります。またキュウリモザイクウイルス普通系統の罹病では淡黄色の斑紋と著しい萎縮症状を呈します。

(2)地下部特性
いもの形状は球〜偏球です。外見は子供の「キタアカリ」(栗ジャガ)よりよい。皮色は「ワセシロ」よりやや濃く、分類では白に属する淡黄褐です。いもはやや小さい。目は深く、目の数は100gのいもで約12個、300gで15個程度です。澱粉価は「メークイン」や「とうや」(黄爵)より高く、「キタアカリ」より低い。
 中心空洞は「トヨシロ」同様発生が多く、大いもに生じやすい。
 褐色心腐の発生は少ないが、「メークイン」、「ワセシロ」などよりやや多めです。
 肉質は粉ですが、やや煮えにくく、煮くずれはやや少ない。澱粉価11%以下になると、ゴリいもになりやすい。水煮(粉ふき)に好適のほか、秋であれば色よく風味のよいチップスにもなります。
 剥皮褐変、水煮黒変(調理後黒変)ともに「男爵薯」を改良した「キタアカリ」や「ワセシロ」より多い。
 粉状そうか病の発生は「農林1号」より多く、「キタアカリ」程度です。
(3)栽培上の注意
 塊茎の形成肥大に対する日長反応は鈍く、高温長日下でも肥大をつづけ、各地の風土に適応します。
 目が深いため、浴光催芽の日数をやや長めにできますが、高温に経過すると黒色心腐の発生は「農林1号」を超えるほど多い。
 半身(バーテシリウム)萎ちょう病に弱い。乾燥がつづく年は疫病を回避できることがありますが、通常疫病の発生が早く、塊茎腐敗は「メークイン」同様に多い品種です。
 生育期間が短いため、追肥の必要はありません。
 栽植密度は、早生でふく枝(stolon、ストウロン、ストロン)が短く、茎長が低いため、若干密植としたほうが増収する傾向にあり、通常4,500株/10aとします。
 用途が広く、知名度が高いので、有利に販売できますが、さらに早生の特徴を生かしたマルチ栽培などの促成栽培が可能であり、二毛作もできます。
 ふく枝の離れはよく、茎葉の枯凋後、しばらく放置してから収穫すると、いもの表面に黒痣(あざ)病の菌核の着生を増やすため、枯れてから長く畑に置かないほうがいい。
 貯蔵移動中に爪傷が発生してくるので、選別時などの取扱はていねいに行う必要があります。



左:「男爵薯」の花(淡赤紫色)。 右:「男爵薯」の塊茎。ホクレンでは、「男爵薯」の細胞から剥皮後の褐変が少ない「ホワイトバロン」を育成しましたが、それは形が多少長くなっています。

【男爵薯こぼれ話】北海道には川田専務*が入れる前に入っていた
 明治の開拓が始まって依頼、開拓使、札幌農学校などが主としてアメリカからたくさんの品種を導入して、試作を重ね北海道に適する品種の選定を行ってきていました。たとえば、川田がイギリスから導入する2年前の明治39年9月刊*「北海道物産共進會出品物解説書」にも次の品種を含む42品種が載っていました。


根室        澱粉    17.0  中生
スノー・フレーキ        16.5  中生
グリーン・マウンテン      16.9  中生
屯田薯             17.7  晩生
ユーリカ            16.2 男爵薯と同じもの

*明治39(1906)年刊 北海道農事試験場彙(い)報 3,4号26〜27頁による。スノー・フレーキ(雪片)は当時人気の品種。
「男爵薯」ことIrish Cobblerには、Eureka , America, Cobbler,Extra Earlyなどの別名がありました。「King Edward」以外は開拓期のものとしてはよく獲れたので広くつくられました。遅く北海道に紹介されたが、今日に繋がる普及の基礎となったのは川田専務の功績と言ってよい。

 この品種は1876年アメリカのマサチューセッツ州のメーブルヘッドMarbleheadに住む園芸家により見つけられたもの。(原名は発見者の職業にちなみアイリッシュ・カブラーIrish Cobblerというニックネーム)。イングランドには1900年ころ、まず ドビー商会Messrs Dobbie and Co.によって「Eureka」の名前で導入され、つで1907年にはサットン商会Messrs Sutton and Sonによってももたらされていました。そして、「アメリカ」(America)、「ユリエカ、ユーリカ、ユアリーカ」(Eureka)、「Earl Victory」、「Earl Eureka」、「New Early」などと呼ばれて栽培されていました。(冒頭参照)
 "Eureka"はアルキメデスが比重測定法を発見し、「やった」と思い、銭湯から飛び出したとき口にした言葉で『見つけた!』とか『しめた!』の意味です。そんな名前の品種があってもいいですね。
*『男爵資料館』を含め社長と紹介されていることが多いが、彼は理事会の互選で専務に就任している。
面白いことに、川田自身も異名同種とは知らずに、後年また「Eureka」を導入しています。つまり、昭和9年(1934)「ユレイカ」、「ラセット・バーバンク」、「シックス・ウィーク」、「グリーン・マウンテン」を植えた記録が残っています。北海道農業試験場には福井県からもEurekaして導入され、男爵薯に似る、と記録されています。


昭和時代の北海道のジャガイモ品種別作付の動き
北海道の昭和初期の作付は旭川の神谷酒造(後の合同酒精)がドイツから入れた「Prof. Wohltmann」つまり「神谷薯」や「金時薯」、「蝦夷錦」が中心であり、「男爵薯」「ペポー」が増えていた。昭和12(1936)年豊産性の「紅丸」が育成されるとともにこれが急速に普及していったが、この間昭和3年奨励品種となった「男爵薯」が漸増をつづけ、昭和20年頃以降作付の約半分を占めるまでになっていた。「神谷薯」、「ペボー」、「蝦夷錦」などは昭和30年ころまでには影をひそめてしまった。昭和18年には「男爵薯」の子供「農林1号」が育成されるとともに「紅丸」を侵食していき、昭和33年には両者とも19%前後となったが、「男爵薯」はほぼ5割を堅持していた。その後多目的に使用可能な「農林1号」が伸び、昭和40年代は「農林1号」>「紅丸」>「男爵薯」、その後は用途が明確化てきて「農林1号」は再び澱粉専用の「紅丸」に首座を譲り、食用の「男爵薯」の比率が高まっていった。


「男爵薯」は何故長生きしているのか
19世紀に見いだされた「男爵薯」がまだ我が国では人気が高い。最初は農家に好かれ、その後消費者に知られ、その嗜好性が支えたものと考えています。 まず農家に好かれた理由は、熟性が早生で、ジャガイモの大敵(カビ)の被害が大きくなる前に収穫できること、早生なので後作に秋まき小麦や野菜の導入が容易なこと、休眠期間が長く保管が容易なことにありましょう。
消費者には、ホクホク感が好まれ、貯蔵性があり、丸いもの中では目が深く次に選択するときの目安になったものと思われます。

古い品種が主役なのは欧米も同じ
アメリカでは、1914年に見つけられた「ラセット・バーバンク」があります。これは見た目は悪いものの大きないもがたくさん取れて、しかも取扱いが楽なので農家にまず好まれ、さらにアメリカ人の大好きなフレンチフライにも適しているので、今でも人気1番の品種となり続けています。
オランダでも、学校の先生が育成し、クラスの可愛っこちゃんの名前を付けて1910年から売り出された「ビンチェ」が、その豊産性のためまず農家から受け入れられ、第一次大戦に普及し、その後パリーでフレンチフライにも向くことわかったこともあって、今日でも癌腫病のでるドイツを除き、ヨーロッパ各地に広く普及しています。
 ジャガイモには、主婦がスーパーで購入してくるものの外にいろいろの用途があります。北海道産の多くは片栗粉用に使われ、ポテトチップに回る量も多い。これらに使われるものは前者なら澱粉含有率が高いことが歩留りに影響しますし、後者なら加工歩留りよく、カラーのよいものが求められます。このためこれらの業務用に向く新しい品種が登場すると、容赦なくそれに変えられてしまいます。
しかし、「男爵薯」、「メークイン」といった生食用ジャガイモは、消費者の嗜好性で決まり、欧米でも見るようにその保守的嗜好性に支えられています。今後『ホクホクして煮崩れし難いもの』が開発され、消費者が見分けやすい特徴があればなおよく、栽培しやすく農家の利益にもつながる品種が出てくるまで大品種の座は揺るがないことでしよう。


*ポテトエッセイ7・川田龍吉男爵*

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