ポテトエッセイ第23話

戦争とジャガイモ【ジャガイモ博物館】

 戦争は、1国の人が異国に攻め入るため、結果としてある国の文化だけでなく、食べ物や調理法を他国に広めることにもなります。ジャガイモが普及する前のヨーロッパでは、種子を植えて実をとるものを食べていました。これに対し、ジャガイモは自分自身を植えて同じ物を生産するというクローン型で、バイブルにもない変わった植物のうえ、外見も見劣りしたので嫌われました。 これが18世紀のプロシアに広まっていったのは、戦争と飢きんによるところが大きいのです。17世紀の三〇年戦争でドイツはたくさんの小国に分けられていましたが、ジャガイモを熱心に奨励したフリードリッヒ大王になってからオーストリアの女帝マリア・テレサを相手に2度も戦って、プロシアの領土を広げました。この一七五六年からの七年戦争で、プロシアを敵にしたスウェーデン軍の方には戦果は何もなく、軍隊はジャガイモを本国に紹介するにとどまったので、この戦争を『ジャガイモ戦争』と呼んだとか(正しくはプロシアとオーストリア間の「バイエルン継承戦争」(1778)の異名らしい)。
 後日フランスにジャガイモを広めた恩人パルマンチェは、この時5度もプロシア軍の捕虜になり、ジャガイモを食べて生きながらえました。この経験を生かして、ルイ16世時代に、その援助を得て栽培や料理の普及につとめました。今日でも料理名に「ジャガイモ添え」の意味などにパルマンチェが使われています。
 また、英・仏・トルコ軍がロシア軍と戦ったクリミア戦争(1853〜1865年)では、当然のこととしてジャガイモを運んだ麻袋と傷病兵がたくさん出ることになりました。イギリス軍指令官のラグラン伯爵は、この二つを前にして、次のような一石二鳥の解決策を指示しました。 麻袋の左右を切り落し、傷病兵が楽に着られる服をつくれ、と。これがゆったりとして着やすいラグラン・スリーブの元祖となったのです。
戦争で生まれたファッションと言えば、『トレンチコート』も有名です。打ち合わせがダブルで、肩に共布の大きなあて布がつき、共布のベルトを締めて着るもの。トレンチtrenchとは塹壕のことです。第一次世界大戦のおり、イギリス軍が寒い戦いに対処するため、塹壕で着た軍用コートの名前から生まれました。原型は1900年頃に考案されたようですが、実用性に加え、機能美もあることから1930年代以降冬のファッションの定番の一つに生長しました。ハンフリー・ボガード、アラン・ラッドなどが着用したことからいっそう人気が高まったと言われています。

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