『片栗粉』とは普通ジャガイモでん粉のことを言います
巷で『片栗(カタクリ)粉』とはジャガイモでん粉のことです。
しかし、元来のカタクリは北国で雪解け後の4〜5月、福寿草やアズマイチゲの少し後に紫紅色の花をつけて、いかにも気恥ずかしそうに上品に咲くものです。ユリ科の野草であり、古名は『かたかご』(堅香子)で、花の姿が「傾いた籠カゴ」に似ているところに由来しているとか。 また「かたかご」は「片葉鹿子(かたはかのこ)」の意味もあります。これは育ってしばらくは片葉(一枚葉)で あり、葉に鹿子模様の斑点があることに関係しているようです。そして、「片栗」の漢字は、食用にする根の鱗片が栗の片割れに似ていることからあてられました。
カタクリの 英名は「Dog tooth violet」(犬の歯の”すみれ”)です。日本での別名に「ゆりいも」というのもあり、また、うぐいすが寄ってくる花?として「ホーホケキョ」と呼んでいた地方もあったという。
『万葉集』巻十九で、大伴家持に次のように歌われていました。
もののふの八十少女らが汲みまがふ
寺井の上の堅香子の花 大伴家持
万葉の時代から人々に愛されいたこの花はうつむくように咲きますので、「初恋」「寂しさに耐える」など可愛らしい花言葉がついています。香りはほとんど感じられません。
昔この鱗茎(りんけい)から良質のでん粉をとっていました。これが本当の『片栗粉』でした。古く江戸時代から、餅などの調理に用いられていました。しかしながら明治時代以後北海道においてジャガイモの栽培が始まり、このでん粉が安く大量に出回るようになり、本物の片栗粉はほとんど生産されず、でん粉の性質が似ていることからジャガイモでん粉のことを片栗粉と呼ぶようになり現在に至っています。
でん粉は外の植物にもあります
でん粉には、片栗粉の原料となっているジャガイモをはじめ、トウモロコシ、サツマイモ、小麦があり、この外少量の米、クズ、などがあります。本来のカタクリから採るのはごくごく少ない。また、エスニック・デザートとして親しまれている輸入タピオカでん粉とかサゴでん粉もあります。
特にジャガイモでん粉は高品質の素材として、アイスクリームやお菓子、かまぼこ類やソーセージ、うどん・そば等の即席麺や生麺にも使われ、独特の歯応えと味をひき立てています。
くずはマメ科植物で、長いつるをもち、秋の七草の一つ。
そして葛は、マメ科の大型つる性多年草で、他の木などにからみついて自生・繁茂しています。葉は卵円形の小葉3個からできている複葉で、裏は白っぽい。花は真紅で蔓に近いほうから咲いていきます。蔓は強靱で、民具をつくる際材料にされます。 大きな葉が風にひるがえり、裏が白く見えるところから裏見=恨みの語呂合わせで、
恋しくばたずねて来てみよ和泉なる 信太の森のうらみくずの葉
と、歌われた例があるとか。
肥大した根からでん粉をとり、これを葛澱粉(葛粉、くずこ)と呼んでいます。このくずでん粉は、くず餅、くず桜などに使われ、奈良県の吉野くずが有名です。しかし精製に手数がかかるため、やはりいもでんぷんに取って代わられました。
根はカッコン(葛根)と呼ばれ、葛根湯などの漢方薬に使われています。
片栗粉ことジャガイモでん粉の特徴、いいところ
片栗粉(ジャガイモでんぷん)は、でん粉の糊化していく温度(糊化開始温度)が低く、大きく膨らみ、粘度(とろみ)が強く、保水力が大きく、糊の透明度が高い特徴があります。【自然状態の生でん粉はβでん粉、糊化したのはαでん粉で、消化がいい。】
でん粉の粒径を顕微鏡でみて、大きなものから並べますと、
ジャガイモ>サツマイモ>タピオカ> >豆> >小麦>米>トウモロシ
となります。穀類でん粉は粒子が小さく、その糊(のり)は粘度が低いが加熱や撹拌に対して安定しているので、製紙や紡織の糊とか段ボール接着剤などに使われています。
ジャガイモでん粉は、水飴・ぶどう糖、家庭では中華などのとろみ、あんかけ料理、春雨、インスタント麺、カマボコ・チクワなどの水産練製品、オブラート、薬、焼酎、洗濯のり、切手のりなど々と広く使われています。
片栗粉ことジャガイモでん粉は比較的低い温度で糊化し、透明感があります。粘度は高いですが加熱を続けたり冷めると粘度(とろみ)が落ちます。コーン・スターチ(コンス)は粘度は片栗粉より低いですが加熱を続けても冷めても変化が少ない。又、コーンスターチは臭味や食感が悪いのでしっかり火を通す必要がありますし片栗粉のような透明感はありません。この点を考えて料理に使い分けるといい。 片栗粉はプリンプリン感を出したいとき、腰を強くしたいとき、透明感を出すときに使われ、コンスはプラマンジェ、カスタードクリームなどに使うといい。カマボコには片栗粉が、ハンペンにはコンスがいい。
片栗粉やでん粉の付録
【(野草の)カタクリ製造】
カタクリ粉は昔奥州地方で採取され、下痢の薬として使われたりしていた。江戸時代の始め頃(寛文年間)から南部藩が幕府に献上していました。江戸幕府が編纂した「古今要覧稿」という百科辞典によりますと、江戸の内では目白あたりから杉並にかけての台地などに多かったようです。
大和宇陀の森野薬園では幕府からカタクリ粉製造の命令を受けていた(亨保14年1729年)
【芋類でん粉製造】
わが国でのいも類でん粉製造業の始まりは天保5年(1834)であり、千葉の蘇我村の十左衛門がカンショを使ったものだった。
北海道のジャガイモを使ったものでは、
安政年間 亀田(現函館市)の栄治というものが水車を使ってでん粉製造を始めた。
明治11年(1878 開拓使が始めた
同17年 動力を利用したものが現れ、日清戦争が過ぎてからでん粉製造が急速に広まった。
同20年 林 顕三著の「北海資料」にも『製造法ハ普ク人ノ知ル処ナルヲ以テ別ニ記サズ』と書いてあるほど、農家の自家用としてよく知られていました。
同37年 八雲片栗粉同業組合が誕生。このころからジャガイモでん粉(片栗粉として)がさらに広く使われだし、明治末期には函館から大阪方面などに移出されるほどだった。
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