ポテトエッセイ第119話
アメリカにジャガイモを広めた大統領 【ジャガイモ博物館】
<2018年8月記入>
アメリカにジャガイモが伝わったのは17世紀後半であったが、食べ物として栽培されるようになったのは、18世紀中頃にスコットランド系アイルランド人がニューイングランド地方に伝えてからであった。トマトやジャガイモがアメリカに知られるようになった当初は、これらには「毒がある」といって食べられなかった。とくにトマトは猛毒とされ、男性は勇気の証拠としてそれを公衆の場で食べてみせたり、見ていた女性が気を失ってしまうこともあったとか。
ヨーロッパでは、ルイ16世王朝下のフランス王室による華やかな宮廷生活が繰り広げられていたころの1785年。フランス革命前夜のパリに後に第3代アメリカ大統領となるトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson、1743-1826年、大統領1801-1809年)がいた。私的には2年前に妻を亡くして傷心の彼だが、後にファースト・レディとなる長女パッツィを連れていた。そして運命のジャガイモに出会うだけでなく、映画『ジェファソン・イン・パリ/若き大統領の恋(JEFFERSON IN PARIS)』によると アメリカの国益のために奔走するジェファソンだったが、ある日ヴェルサイユ宮殿での華やかな宴ラファイエット侯爵が主催するパーティの席上でイタリア人女性マリア・コズウェイ、そして愛らしい黒人奴隷サリーとも出会い、彼の心に安らぎを得ていた。
アメリカに帰ってから、アメリカ独立戦争期の指導者の一人となり、弁護士、議員を経て、独立宣言を起草した。初代ワシントン大統領のもとで国務大臣となり、フェデラリスト党に対抗してリパブリカン党を結成、1801年には第3代大統領となった。
ジャガイモ品種「ラセット・バーバンク」やトゲ無しサボテンの育成で有名なルーサーバーバンク(Luther Burbank, 1849-1926年)の活躍する1世紀ほど前の話であり、今日では想像もできないことであるが、当時のアメリカはトマトとジャガイモには「毒がある」と考えられ食べない人が多かった。とくにトマトは猛毒とされ、男性は勇気の証拠としてそれを公衆の場で食べてみせたり、見ていた女性が気を失ってしまうこともあったくらい。しかしなんとジェファーソン大統領はその立場にもかかわらずトマトとジャガイモを美味しそうに食べ、さらには客へも提供した。フランス滞在でジャガイモ料理を堪能し、トマトの俗信も信じていなかったのだ。こうして招待客を通じてトマトとジャガイモはアメリカ料理に浸透していったといいます。
歴代アメリカ合衆国大統領にはそれぞれの好物があります。それがアメリカの食文化に大きな影響を与えたといっても過言ではない。この外にも、アイスクリームやスパゲッティを好み、マカロニにチーズを絡めて焼いたグラタン料理『マカロニ・アンド・チーズ』の考案者ともいわれている。