ジャガイモの出てくる 映 画  第12集

浅間和夫

121.『パパが遺した物語』(原題: Fathers and Daughters) 
 2015年、アメリカ・イタリア合作。監督:ガブリエレ・ムッチーノ 。
 1989年、小説家のジェイク(ラッセル・クロウ。オスカー俳優)は、妻と幼い娘ケイティ(カイリー・ロジャーズ)の3人で幸せに暮らしていたが、ある日事故で妻を亡くし、自分も後遺症に悩むことになる。これを危ぶむ義姉のエリザベスはケイテイを養女としてを預かろうと養育権を取る訴えを起こすが、ジェイクは頑なに拒み、娘のために小説執筆に没頭する。
 やがて退院したジェイクは、しばらく義姉のエリザベスに預けていた7歳の愛娘ケイティに、「ずっと一緒」だと約束する。しかし、ジェイクでは、バスルームで発作が起きた際に転倒し頭を打って死んでしまう。
 それから20年あまり後、過去のショックから人を上手く愛することができなくなっていたケイティ(アマンダ・セイフライド)だったが、父の遺作を敬愛する作家志望のキャメロンに惹かれる。キャメロンとの出会いをきっかけに、自らを傷付けるような不安定な生き方を変えようとする。しかし、寂しさに、行きずりの男に体をまかす。キャメロンは激怒し去ってしまう。ケイティは希望を失い塞ぎ込んだ日々を送るが、最後まで娘の幸せのみを望んだ父の気持ちに応えるべく、再度、正面からキャメロンと向き合う決意を固めるのだった。
 ここに取り上げたのは、ジェイクが愛娘ケイティを「ポテトチップ」と呼んでいるためである。髪色がアクリルアミドを連想する焦げた色ではなく、誰もが好きそうなブロンドで綺麗なため、父親が愛情がたっぷり詰めて付けたニックネームである。なお、彼女の幼少時代を演じたカイリーは、撮影時父役のラッセルから「イルカ」「サル」「カボチャ」などと呼ばれて可愛がられ、本を読んでもらったりしていたとか。
 何れにせよ、ジャガイモと呼ばれないでよかった話である。何故なら、次のような喩えもあるくらいだから。
 ヘミングウエイ著『キリマンジャロの雪』(龍口直太朗訳、角川文庫)に、 「そしてゆきずりのキャフェでは、あのアメリカの詩人が、眼の前にコーヒー皿を積み上げて、その芋面(いもづら)に間抜けな表情を浮かべながら一人のルーマニア人とダダイズムの運動のことを話していた。」
 北 杜夫著『童女』
「少女は村では赤ズキンと呼ばれていた。ジャガイモに似た顔立ちの伝わるこの村では、近来こんな可愛らしい子が生まれたことがない。」

122.『恋愛小説家』(原題:As Good as It Gets ) 
 【写真:いつもの席で、大好きなbacon and friesを注文。BS日テレ、2018.4.27】
 1997年のアメリカ映画。監督:ジェームズ・L・ブルックス
マンハッタンに、言葉だけならどんな美しい愛だって語れる小説家メルヴィン(ジャック・ニコルソン)がいた。しかし実際の本人は、不器用で、異常なまでに潔癖性で神経質の嫌われ者。周囲に毒舌をまき散らし、友人は誰もいない。見ているこちらまでイライラさせる。鍵をかけたか、電灯を消したかを5回ずつ確かめており、石鹸は一度使うとごみ箱に捨ててしまい、人ごみの中は「触るな」とわめき散らして歩きながら、ブロックのヘリを踏まずに歩く、等々。
 行きつけのレストランでも、勝手に自分のテーブルを決めていて、そこに先客がいれば、追い出し、持参した使い捨てのナイフ・フォークを使う。朝食は「卵3個の目玉焼き、ソーセージにフライドポテト、パンケーキにコーヒー、 砂糖はダイエットシュガー」と決めている。ただ、離婚して喘息もちの子供のため精一杯働いているウェイトレスのキャロル(ヘレン・ハント)にだけは素直になる。息子の病気で休むと、彼女の家に名医を差し向けてやる。
隣のゲイのサイモン(グレッグ・キニア)が少年たちに襲われ、自分の住むアパートの一部を貸すことになり、そこのとても可愛い犬(ブリュッセル・グリフォン種)とは、しだいに触れ合える仲になる。その後サイモンが借金から破産したため、昔彼を放逐したボルチモアの両親に金を借りに行くのをことになり、メルヴィンとキャロルも子供の喘息が快方にあることから同行することになった。
 これを機会に、二人の初デートが成就し、上着にネクタイがないと入れないレストランに入る。そこで、「カニ料理スペシャル2人前! ビールも。ポテトは?(キャロルに同意を求め)、ベイクド・フライズ」(字幕スーパーは"フライドポテトを付けて")と注文する。筆者期待の2つめのシーンが出てきたのである。
 サイモンに「恥をかいてもいい、捨て身でぶつかれ」と押し出されて、キャロルに会いに行き、「もうすぐ午前4時、角のパン屋が開くんだ、焼きたてのパンを買いに行こう」「この世で僕だけが君が最高の女性だって知っている。それが僕の誇りなんだ。」と告白してキス。パン屋さんの灯がともる。もうメルヴィンはブロックのへりを踏んでも平気になっていた。原題は「これ以上はない最善」という意味の慣用句である。最高や完璧ではなく、最善であることが強調された語彙なのである。
 第55回ゴールデン・グローブ賞で主要3部門に輝いた、ジャック・ニコルソ ン、ヘレン・ハント共演の恋愛ドラマ。アカデミー賞 第70回(1997年) 主演 男優賞 主演女優賞。

123.『未知との遭遇』(原題:Close Encounters of the Third Kind )
 1977年、アメリカ。監督:スティーヴン・スピルバーグ。  監督は「ジョーズ」などで知られた人であり、内容は世界各地で発生するUFO遭遇事件と、人類と宇宙人のコンタクトを描いたもの。
バミューダトライアングルで行方不明になった戦闘機群や巨大な貨物船が、砂漠に失踪当時の姿のまま突然姿を見せた。謎の発光体があちこちで確認され、原因不明の大規模停電が発生したりする。発電所に勤めるロイ・ニアリー(リチャード・ドレイファス)も停電の復旧作業に向かう途中、不可思議な機械の誤作動を起こす飛行物体と遭遇する。
それから、憑かれたようにUFOの目撃情報を集め出し、枕やシェービング・クリームに漠然と山のような形を見出すようになる。さらに、インディアナ州に住む少年バリー・ガイラーは家の台所に入り込み冷蔵庫を漁っていた「何者か」と鉢合わせするも、恐れを忘れるように後を追い掛け、その母のジリアンも深夜外に出て行った息子を連れ帰ろうとする途中で飛行物体の編隊と遭遇し閃光を浴び、ロイ同様に山の姿を描くようになる。
 飛行物体の群れにバリー少年が拉致された情報が飛ぶ中、フランス人UFO学者のクロード・ラコーム (フランソワ・トリュフォー)は異星人からの接触を確信し、「彼ら」と直接面会する地球側の「第三種接近遭遇」プロジェクトをスタートさせる。「彼ら」からのデータ送信をキャッチした。それが地上の座標を示す信号で、ワイオミング州にあるデビルスタワー(悪魔の塔)という山を指し示していた。軍も出動し有毒ガス漏洩を偽装して住民が退避させられるがニュースで報じられたことによってロイとジリアンは探し求めていた奇妙な形の山がデビルスタワーであることを確信することになる。州境を越えデビルスタワーを目指す。
宇宙船と遭遇してからのロイ頭に浮かぶのは、寝ても醒めても宇宙船のことばかり。宇宙船を恐れるどころか子供のように興味をもつ。リストラされ、訳の分からない宇宙人の追っかけを始めて、生活のすべてが破綻していく過程を哀しげに見つめる子どもたちの様子が切ない。
 夕食時に盛り付けられたマッシュポテトを、子供が見ている横で、皿に岩山状に盛り、狂気さえ漂わせながら作っては壊し、盛っては壊し、必死にその幻想の景色を思い出そうとし、本映画のなかでも印象的なシーンを提供することになる。

 マッシュポテトつくりコツは、茹でてかザルにあけたものを、もう一度暖かい鍋に戻して、数分間加熱して余分な水分を飛ばすとよい。また、バターは室温まで上げておいたものを使い、牛乳も温めてから混ぜると、長くかき混ぜなくてすむ。
 品種はホクホク系で、粘り気が少ないものがおすすめである。つまり、できれば「キタアカリ」(黄肉、淡赤目)、「男爵薯」、「さやあかね」(淡赤皮)、「ベニアカリ」(淡赤皮、でん粉多)、「はるか」(赤目)から選ぶとよい。

124.『はぐれ刑事純情派』( 第5シリーズ)
  1992年、邦画。制作:テレビ朝日、東映。
 勝木と言うところにある寺の縁の下に不審な行動をする男がいた。村人や駐在が駆け付けるとシリーズの主人公安浦吉之助(藤田まこと)巡査部長であり、1本の歯を見つけて出てきた。これで彼の予想通り『エデンの園』の松本は星ではないと確信し、公衆電話で山手中央警察署長(梅宮辰夫)に報告すると、事件は解決していた。電車で帰り、署には寄らずに家に直行すると、次女ユカがおり、翌日の遠足に持参する『肉じゃが』ためとのジャガイモとニンジンを煮ているシーンが現れた。こんな早い導入部にジャガイモに出会えるのは筆者にとって想定外のラッキーなことである。
 一般的な映画の観客は、作品の芸術性、背景となる思想、俳優の演技とかに関心をもって鑑賞しているのであろうが、筆者はまずジャガイモのあるシーンを見落とさないように観賞する習慣が身についている。
長女のエリはデートで不在。彼氏と別れた後、暴走族に絡まれようやく逃げ切ったと思ったところ、トラック野郎の大沢(小西博之)が近寄ってくる。しかし、エリを助けるためであり、足を挫いた彼女を背負って安浦家まで届けてくれる。
 大沢はエリが好きになり、校門ちかくで待ち構えたり、遠慮なく鯛を持参して料理してくれたりする。デートを重ね、安浦の許可をもらいに来る。純粋なところがあるが、粗野であり、安浦を勝手に親爺と呼び、朝早くから近所迷惑な警笛を鳴らして押しかけてきたりする。彼の父親には犯罪歴があった。安浦の上司である新任刑事課長の目からみれば、そのDNAも育った環境も犯罪者になりうる条件を十分備えている。
大沢の妹も上京して友達と同じアパートに住んでいる。そこに出入りしていた佐々木と言う男が殺される。前に大沢と揉めていたことから、刑事課長は犯人は大沢であると直感する。しかし、安浦は正義感の強い彼ではないと確信している。課長の指示で発砲された銃弾が大沢に当たり、救急車に収められる。見送る安浦は、「あいつは必ず又来る」と口にする。姉に理解あるユカも応えて、「親爺ってね」とドラマを〆る。

125.『バグジー』  (原題:Bugsy)
 1991年、アメリカ。監督:バリー・レヴィンソン。
 ネヴァダ州の何も無かった砂漠に、ネオン輝くオアシス“ラスベガス”を作 った実在の人物ベンジャミン・シーゲル(Benjamin Siegel)をモデルとし、 その半生を描いた作品である。バグジー(Bugsy)とは"虫けら、害虫、ばい菌 "の意味であり、彼はこの蔑称を好まなかったと言う。
 1930年代ニューヨーク。暗黒街にその名を轟かせていた殺し屋ベン・シーゲ ル(ウォーレン・ベイティ)がいた。妻と2人の幼い娘がいる。ある日友人で俳 優のジョージのいるハリウッドを訪れる。組織拡大を考えたものだったが、売 れない駆けだしの女優のヴァージニア・ヒル(アネット・ベニング)と会う。 芸名はフラミンゴ。とても美しく魅力的なため、好きになってしまう。
 1945年、ネヴァダ州のラスベガス(当時は砂漠の中継点としてのさほど大き くない町だった)の小さな賭場を手に入れたベンは、その賭場を訪れた際にそ こにカジノ付き大ホテルを建設することを思いつく。資金集めに動くものの、 ある日手下が金を奪われる。相手は裏稼業のミッキー・コーエンと見当つけて 交渉し、縄張りの仕事を与える代わりに金を返してもらうが、盗まれる前に手 下がピンハネしていたことを知って怒る。乱暴するが、殺さず猫ばばを返して もらうことにする。
 男を返した後、隣の部屋で一部始終を聞いていたヴァージニアに「飯にする か」と言ってテーブルに座る。その時150gほどある皮つきボイルド・ポテ ト手をとり、二分して食いつくシーンがあった。
 真っ当なビズネスとして、フラミンゴ・ホテルと仮称のホテルを建てるた め、ベンはマイヤーなどのマフィア仲間から金を調達するが、ベンの壮大な計 画を実現するには莫大な費用を必要とした。
 夢実現のための資金はその後膨らみ、自身の持ち物や不動産を売り、金を工 面し、ホテルの株券まで売ってしまった。ヴァージニアに金の管理を任せてい たが、彼女が金を奪いスイス銀行に200万ドル入れていることが判明する。妻 との離婚を切り出していないことが不満だったようだ。
 いろいろあって、ついにクリスマスにオープンにこぎ着けるが、天候が悪く てハリウッドスターは来ない。おまけに落雷で停電となり、セレモニーは中断 となってしまう...。
 その後ヴァージニアが200万ドル返すものの、当のバグジーが撃たれてしま い、男たちはヴァージニアにホテルを任せる、と伝える。しかし1週間後、彼 女はオーストリアで自殺してしまう。  成功伝のわりに、終わりころは面白くない。救い?は第64回アカデミー賞 (1992年)を得、またこの出演が縁で同年ウォーレン・ベイティとアネット・ ベニングが結婚し、後年4人の子供をもうけたこと。

126.『6才のボクが、大人になるまで。』 (原題: Boyhood)
 2014年、アメリカ。監督:リチャード・リンクレイター。
2002年5月、監督・脚本を務めるリンクレイターが生まれ故郷のテキサス州オースティンでタイトル未定の映画を撮影すると発表した。その時、リンクレイターは「子供が6歳から18歳になり、大学に進学して親元を離れるまでの12年間の親子関係を描き出したい、と。
 撮影は2002年の夏から2013年の10月まで12年間を通して断続的に行われた。劇中の主要人物4人を同じ俳優が12年間演じている。ところどころに「肉」と「ジャガイモ」というお決まりの食材が入っている。家庭を描き続けるから、わが国のお袋の味こと肉ジャガと味噌汁と言うところである。
  両親が離婚している6才のメイソンJr. (エラー・コルトレーン)は、姉サマンサ(ローレライ・リンクレイタ)とともに、母親オリヴィアの故郷ヒューストンに引っ越すことになる。バンド活動にうつつを抜かす父親メイソン・シニア (イーサン・ホーク)は、曲作りのためにアラスカ州に旅立ったものの、結局アメリカ本土に舞い戻り、定期的に子供達と会うようになる。
 オリヴィア( パトリシア・アークエット)は職を得るために大学で心理学を学ぶが、そこで教授のウェルブロックと再婚し、教授の2人の連れ子と共に6人の生活が始まる。だがウェルブロックが酒を飲んで暴力をふるうのを見て、オリヴィアは子供2人と家を飛び出す。オリヴィアは大学の教職に就き、メイソン・シニアは恋人と再婚し、赤ん坊も生まれる。・・・
 監督は『12 Years』というタイトルにしようと思っていたが、2013年に『それでも夜は明ける』(原題:12 Years a Slave)が公開されたためBoyhoodとなった。

127.『眼下の敵』  (原題:The Enemy Below)
 1957年、アメリカ・西ドイツ。監督:ディック・パウエル。
第二次世界大戦中の南大西洋。トリニダード・トバゴへ向け航行中のアメリカ海軍護衛駆逐艦「ヘインズ」があった。そして筆者にとって嬉しくも、上映開始後最短時間新記録でジャガイモに出会えた。すなわち、甲板でジャガイモの皮を剥いている男に、軍医が『やあ、リングファイア。よく毎日ジャガイモが続くな』と話しかけると、『まだまだ、続くよ』と答えるシーンである。
 民間出身の新任艦長マレル(ロバート・ミッチャム)が指揮していたが、出港以来艦長室から出てこないため乗組員たちは船酔いを疑い、"促成栽培のもやしに我々の命を預けられるか"と陰口をたたいていた。ある日の夜、ヘインズは浮上航行中のドイツ海軍のUボートIX型を発見し、追尾する。一方Uボートの艦長シュトルベルク(クルト・ユルゲンス)は追跡を振り切ろうとするものの、イギリスの暗号表受け取りのため、逃げ出すことができない。
 マレルは大胆にも敵に直角に艦を置き、Uボートの魚雷発射を誘う。マレルは、1分48秒で着弾する前に艦の向きを変え、2発を無駄にさせる。的確な攻撃と回避を果たしたことで、乗組員たちはマレルへの態度を改め、その指揮に敬意を示すようになる。シュトルベルクも敵のかわした腕を認める。
 マレルは爆雷の波状攻撃を掛けてUボートの乗組員を心理的に追い詰める作戦にでる。一時狙い通りの混乱が生ずるものの、第一次世界大戦以来のUボート乗りであるシュトルベルクの人望で乗組員たちは正気を取り戻していく。聴音機からその様子を知ったマレルは、敵であるシュトルベルクに敬意を抱くようになり、一方のシュトルベルクも戦いを通じてマレルを好敵手と認識するようになり、駆逐艦の行動のパターンを分析し、爆雷攻撃の後に魚雷攻撃を仕掛け、命中させる。
 マレルはそれを利用して艦が戦闘不能なように偽装しUボートを海上に誘い込む。シュトルベルクは浮上させ、ヘインズに対して「5分後に攻撃を開始する」と警告して退艦を促す。マレルはその時間を利用して砲撃に必要な最低限の人員を残して乗組員達を退艦させた後、Uボートに砲撃を開始する。その後、ヘインズとUボートは衝突し炎上する。<中略>マレルはUボートに取り残されたシュトルベルクの救助を試み、退避した直後、Uボートの自爆装置が作動し両艦は共に爆沈する。米独どちらかを一方的に悪役とはせず、両者を公平に描いており、戦争・潜水艦ものの古典的名作てあろう。

128.『犬の首輪とコロッケと』 

 2012年、邦画。監督:長原成樹。
 監督は吉本興業の人気芸人。自らの青春時代の自伝小説「犬の首輪とコロッケと セキとズイホウの30年」を映画化することで監督デビューを飾ったもの。舞台はもちろん大阪、朝の食卓にはコロッケとキムチしか出さない。在日韓国人の父親のもとに生まれた少年セイキ(鎌苅健太)は小さいころから窃盗やイタズラを繰り返し、中学を卒業するころには札付きの悪ガキになっていた。映画導入部で、喧嘩話に花が咲くチンピラがトイレで血祭になるところ見せて、どのくらいの腕っ節の主人公であるかを見せていた。これで、ある種の予感を期待させるだろう。
 御期待どおり、韓国系の少年達の兄貴分になり、チョッパリ(日本人の蔑称)のリーダーたるヤマトと仲良くなる。ある日、二人でアベックを襲うが、逃げ遅れたセイキは捕まり少年院に収監される。
 出所した後、OLの美智子と恋に落ち、彼女の両親に挨拶に行くが、"少年院あがりの在日"と言われて追い返されてしまう。セイキは生き方を変え、金も稼ごうとする。しかし真面な仕事にはつけず、芸人を目指していた幼友だちのタツと吉本興業に入って漫才師になろうとする。
 やがて、セイキとタツの漫才コンビは人気が出て新人賞を取るまでになる。セイキは美智子と別れることになったり、父の思いなどを経験しながら人間として成長をしていく。自分の生きる道は芸人しかないと心に決めて、街頭で披露する二人の話芸は、哀しみを乗り越えた分深みがこもっていた。
 親と子の固い絆や男同士の友情、不器用な恋愛模様、更生していく過程などを描いた青春ドラマであった。
 タイトルにコロッケの文字があるのに惹かれた。若者の放課後練習の帰りお肉屋とかスーパー、コンビニに立ち寄っての買い食いに人気の高いコロッケであるが、長原成樹はコリアタウンの韓国人の子供として生まれ、毎日の食卓にはコロッケとキムチが鎮座することが多かった(写真)。近年はカニクリームコロッケ、チーズコロッケなどのバリエーションが増え、秋にはスイートコーンの入ったものも人気がある。都道府県別の年間消費額の多いところは福井県(福井市)、京都府(京都市)、富山県(富山市)だそうである。傾向として北陸から近畿にかけて年間消費額が多く、北陸で年間消費額が多いのは、明治以降に北海道と交易が盛んでジャガイモがたくさん入ってきたことが影響しているのではないかと推定されている。

129.『フューリー』  (原題:FURY)
 2014年、アメリカ。監督:デヴィッド・エアー。
 監督の脚本による第二次世界大戦時代のドイツを描いた映画であり、タイトルの大文字.FURYとは戦車の砲身に書かれたニックネームであり、意味は『復讐の女神』である。
 1945年4月、連合国がナチス・ドイツに最後の攻勢をかけようとしていた。第2機甲師団第66機甲連隊に所属する、ウォーダディー(ブラッド・ピット)が車長を務める戦車「フューリー」号に、歴戦の猛者に加え補充として新兵でタイピストを務めていたノーマン(ローガン・ラーマン)が配属される。ノーマンは戦車の中を見たことも無く、ましてや戦闘経験や人を射殺したことも無かった。
 戦車小隊が縦列で行軍中、ノーマンは木陰に敵らしき人影を見つけるが味方に警告せず、そのせいで先頭を走るパーカー中尉の戦車が破壊され、乗員もろとも火だるまにさせてしまう。相手を殺さなければ自分がやられる戦争の現実を「教育」するためにノーマンに捕虜のドイツ兵を射殺するよう強要したりしながら、ノーマンとウォーダディーの絆は徐々に深まってゆく。
 二人は敵の狙撃兵を探しに民家に入り、ドイツ人女性のイルマとそのいとこ、エマ(アルシア・フォン・リットベルク)に出会う。そこでノーマンはピアノで「マリアの子守歌」という曲を弾き、エマが歌う。ウォーダディーの機転でノーマンとエマはベッドをともにできる。その民家で画面左に置かれた大皿にやや大きめに乱切りされたジャガイモが目についた。そこで伝令がやってきてウォーダディー達は任務に戻ろうとするが、そこにドイツ軍の砲撃が加えられる。砲撃によって砲弾がイルマの家を直撃し、エマは死亡する。ノーマンは瓦礫のなかから彼女を助けだそうとする、世界最短の恋愛映画であった。
 その後、ドイツ軍が非協力的市民を殺害し、遺体を見せしめにしているところを見るなどして、ノーマンは敵兵に対する憎悪を燃やし、そして、敵を容赦なく撃つようになってゆく。その後の戦いで、 4両のうち3両が撃破され、フューリーのみが残る。加えて車上無線機が破損して使えなくなり、支援を要請することも不可能となる。監視できる丘の上へ移動しようとするが、対戦車地雷を踏んで、立ち往生する。結局戦車1台で約300名からなる武装SS大隊とどう戦うか。見るほうもパニック気味だ。
 最終的には待ち伏せ攻撃を行うことを決意し、遺棄戦車であるかのように装って待つことにする。敵をギリギリまで引きつけたウォーダディーとクルーは、戦車砲とすべての小火器・手榴弾を駆使して、圧倒的な数の差にも関わらず武装SS大隊に多数の損害を与える。だが、立ち直った武装SS大隊は夜陰に乗じて激しく反撃し、フューリー側の弾薬が乏しくなる。そして・・・
 翌朝、到着したアメリカ軍部隊が車内の唯一の生存者ノーマンを発見し「お前はヒーローだ」と話しかけ、彼らの奮戦によってドイツ軍の攻勢が失敗に終わったことが暗示される。

130.『アンネの日記』  (原題:The Diary of Anne Frank)
 1959年、アメリカ。監督:ジョージ・スティーヴンス
 日記は1942年6月から44年8月までのもので、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」に登録されている。今なお世界中で読まれ続けるアンネ・フランクの日記を原作に、『シェーン』『ジャイアンツ』の名匠ジョージ・スティーヴンスが製作・監督したヒューマンドラマの傑作である。
第2次世界大戦下、ナチスドイツによるユダヤ人迫害から逃れるため、ユダヤ人少女アンネ・フランク(ミリー・パーキンス)の家族は、親しいヴァン・ダーン一家の人々とともにオランダへ亡命し、3年間会社の上階の屋根裏部屋へ隠れる。強制収容所からただ一人生き残った父親の回想形式でアンネの短い青春を綴る。そんな時代と場所なので、ジャガイモの話は度々でてくる。ハンガリーの映画『ニーチェの馬』ほど毎日出てくるわけではないが、昔、皆藤幸蔵訳の文春文庫版で読んだときは、4,50回出ていた。腐りかけたジャガイモでも食べなければならない苦労話は勿論、隠れる身なので、思わず息を呑む場面が多くある。特に本棚の前まで来ているドイツ兵に隠れていることが露見しそうになる場面では、観客に最悪状態を連想させる。
 また、窓からかろうじて見える大木に巣を作る鳥を見て「私はお前達が羨ましい、だって自由に飛べる翼があるのだもの」と言う。置かれた厳しい条件下のセリフに同情の気持ちをわかせ、時には少女の情熱、機知、豊かな情操を見せてくれる。極限状況の中で思春期のみずみずしさを清楚に演じきったミリー・パーキンスのはかない美しさが印象的であった。
 その隠遁生活の中、アンネは少女から大人の女性へと変貌を遂げていき、ダーン家の息子ぺーター(リチャード・ベイマー)と愛し合うようになる。そんなある日、屋根裏部屋でピーターと会話しながら遠くのサイレンを聞く。だんだんと近ずいて来て、それが自分達を捕まえるためのものだと知り、最後の口ずけをピーターと交わす場面。それはまるで、甘い思い出を過酷な運命の前にしっかりと脳裏に焼き付けようとするかのようであった。そして皆が覚悟を決めたところに秘密警察が現れて...。
 その後、アウシュビツ収容所に入れられ、年少ながら勇気と精神力で、家族のためにいろいろ努め、食物不足に苦しみ、ついでドイツのベルゲン・ベンゼンに移され、最後はチフスで他界することになかったと言う。アムステルダムの隠れ家は、観光ルートのひとつなっており、近くの教会前には小さなブロンズ像がある【写真】。


http://potato-museum.jrt.gr.jp/cinema12.html ジャガイモ博物館。ジャガイモと映画 12

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